禍事〜まがごと〜 ACT9(二十話〜二十三話対応) どうして、もっとカンタンに考えられないんだろうねえ。 碧から昏の最近の様子を聞いて、銀生は思った。惚れた相手とイイコトできてんのに、あれこれ疑ったりして。 ま、あまりにもすんなりコトが進みすぎてコワイってのもわかるけど。 生まれてこのかた、望み通りになったことなどないに等しい昏である。そんな中で、碧を想うことが唯一許された「自由」だったから。 それにしたって、今回の落とし穴は深すぎるよ。早いとこ埋めないと、酸欠で窒息だね。のんびり訓練なんかさせてるより、現場に放り込んだ方が余計なコト考えないでいいかも。 銀生は軍務省トップの通称「冠」の了承を取り付け、御影本部へと向かった。 「あいかわらず、無茶なことを言いおる」 約四カ月ぶりに会った御影長の飛沫は、眉間に深いしわを刻んで銀生を見遣った。 「海のものとも山のものともわからん訓練生に、東館レベルの任務をやらせるとはな」 「はあ、まあ、はじめての仕事にしちゃデカいかもしれませんけど、俺んときはもっと……」 「おぬしとくらべるでないわ」 言下に切り捨てる。 「『銀狼』と差しで勝負できるような輩とくらべても、なんの参考にもならん」 飛沫は前の御影長の通り名を引き合いに出した。 「それを言うなら、俺だってあんなヤツとくらべられたくないですよー」 初任務のときから五年ばかり、銀生は前御影長とその「対」の下で働いた。 めちゃくちゃ、イビられたよねえ。当時を思い出すと、ため息が出る。やつの「水鏡」だったあの人がそのたびに庇ってくれたけど、それがまた面白くなかったのか、よく小突かれた。いま考えれば、あれは単なるヤキモチだったんだろうけど。 「……で、よいな」 あらら、しまった。思い出に浸ってるあいだに、飛沫がなにか話をしていたらしい。 「えー、スミマセン。なんでしたっけ」 「……補佐のことだ」 言いたいことは山ほどあるのかもしれないが、飛沫は本題だけをぼそりと口にした。 「実戦経験のない訓練生だけに御影の仕事を任すわけにはいかん。こちらからひとり、補佐を出す。それでよいな」 「あー、はいはい。いいですよ。むしろこっちからお願いしたかったぐらいで。じつはウチの『水鏡』候補、見切り発車でしてねー」 へらへらと笑いながら言う。飛沫はさらに苦虫を噛み潰したような顔をした。 「……これを持って事務局へ行け」 命令書の備考欄に何事が書き付けて、 「補佐役として水鏡を派遣する。委細、打ち合わせをしておくように」 「了解しました〜」 命令書を受け取り、部屋を出る。ちらりと備考欄を見ると、そこにはよく見知った名前があった。 檜垣閃。クセのある御影と組んでいる、古参の水鏡だ。 なるほど、あいつなら小回りもきくし頭もいい。今回の仕事にはもってこいの人材だ。ここはひとつ「ウチの子をヨロシク」と頭を下げておくかな。思い切り引かれるかもしれないけど。 あれやこれやと考えながら、銀生は南館の一階にある事務局へと向かった。 「うわー、やめてくださいよ、銀生さん」 事務局横の応接室。思った通り、檜垣閃は大袈裟なジェスチャーでかぶりを振った。 「銀生さんに頭下げられたら、やりにくいですって。っつーか、なんか気持ち悪いですよ」 「あらら、そこまで言わなくてもいいじゃないの。これでも気を遣ってんのに」 単にからかっただけなのだが、一応、そう言っておく。相手もそのあたりのことはわかっているのだろう。それ以上は言及せず、話題を変えた。 「ところで、『昏』と『桐野の鬼子』のコンビって、ずいぶん思い切った組み合わせですねえ」 「んー、まあね。ギャンブルっちゃギャンブルだけど、うまくいったら万馬券だから」 「いっちょ噛みしといて、損はないです?」 鳶色の目をくるりと回して、閃。 「噛み具合にもよるけどね〜」 銀生はにんまりと笑った。 「飛沫にも言ったけど、ウチの水鏡、まだ未完成なのよ。ここいらで本物の水鏡ってモンを見せてやって、尻を叩いとかないとね。なにしろ、まだ遮蔽結界も張れないんだから」 「あっちゃー、よくそんなの現場に出す気になりましたね」 閃は肩をすくめた。 「荒療治みたいなもんよ。演習ばっかりやってても、ラチがあかないしね」 銀生は懐から小さな巾着を取り出した。それをポンと投げて、 「ま、イロイロ教えてやってよ。俺、あいつらがうまくいってくれないと困るのよねー」 ここまで来て、いまさら「駄目だった」では済まされない。なにがなんでも「対」になってもらわねば。 「へーえ、銀生さんでも困るようなことあるんですか」 閃はさも驚いたように言い、巾着を内ポケットに仕舞った。なにやらすでに、微妙に膨らんでいる。きっと、正規の報酬のほかに飛沫からも、いくばくかの金子を受け取った(もしくは巻き上げた)のだろう。あいかわらず、小金稼ぎに余念がないらしい。 「大アリよ〜。なんたって俺の人生かかってるから」 冗談めかして言うと、閃は面白そうに口の端を上げた。数枚の書類をテーブルに広げる。今回の任務の概要と、申し送りだ。 「んじゃ、具体的にどんなカンジでやりゃいいんです?」 補佐といっても、その方法はさまざまだ。 「えーと、うーん。そうだねぇ……」 二人は書類を覗き込んで、今後のあれこれを確認した。 おおまかな打ち合わせを終え、銀生が自宅に戻ってきたのは夕刻だった。 さあて、これで下準備はオッケー。あとはあいつら次第だよねえ。さっさと現場に送り込んで、高みの見物といきたいもんだよ。 銀生は縁側に腰を下ろし、このところ日課となった都全体の遠見を始めた。 細かく網を張り、目標物を探す。結界で隠されている場所はないか、あるいは結界自体をカムフラージュしているところはないか。 しばらくその作業を続けたが、今日も目指す相手は見つからなかった。遠見をやめて、ため息をつく。 いったいどこに行ったんです、藍さん? あの日、謁見の間にいるところを「視て」以来、藍の気配はふっつりと途絶えていた。藍が王になにを言上したのか、それさえも城内に複雑に張られたシールドに阻まれて、銀生には窺い知ることができなかった。 あのあと。 参謀室には休職届が提出されている。桐野の家は財団の職員が管理していて、そのほかはとくに変わった様子はない。 最初は「手」の仕事でいずれかに潜伏しているのかと思ったが、御門の近辺を見る限り、いま現在「手」が動くような事態は起きていない。とすれば、藍自ら身を隠したことになる。 自分は二度、あの人を退けた。次に会うときは……。 妄想が膨らむ。こうあってほしいと思う願望が、頭の中で独り歩きして。 われ知らず、口元がゆるんだ。そうだねえ。あの人と、こんな時間が持てたら最高だ。 さらにそのつづきを楽しもうとしたとき。 ……あーあ、いいトコだったのに。 脳細胞の一部に、異常を知らせる警戒波が届く。銀生は、やれやれと肩を叩いた。 「昏」の力ってのは、いやになるほどありがたい。同調しうるのは視覚だけでなく、やろうと思えば五感全部を共有できるのだから。 森の中の家で、昏が激しく嘔吐している。血の気のない顔。ガサガサの唇。どうやら脱水症状を起こしているらしい。 食べられなくなってたのは知ってたけど、毎度毎度、芸のないやつだよ。せっかく俺がビッグな仕事を獲ってきてやったのに、出かける前にぶっ倒れてちゃダメでしょーが。 碧がただでさえ大きな目をさらに見開いて、昏の名を呼んでいる。必死な叫び。懸命な心。 こーんなにわかりやすいのに、なんでああなっちゃうかねえ。ほんと、「豚に真珠」だよ。 銀生は御影研究所から支給された救急用のパックを持つと、素早く移動の術の口呪を唱えた。 『今、ここに在ること』ACT20〜23へ |