今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT20

 夢の中、誰かがこちらを見ている。
 蒼い瞳。銀色の髪。もの言いたげな視線。
 どうしてだろう、そいつをどこかで見たような気がしていた。記憶にない顔のはずなのに。 
「なあ。おまえ、ら(だ)れ?」
 声を掛けてみた。そいつは何も言わない。じっとおれを見つめているだけ。
「おい!なんとかいえよっ」
 焦れたおれは、大声で叫んだ。 


 目覚めてぎくりとした。視線を感じる。やな予感を抑えながら、そっと辺りを窺った。
 またかよ。
 自分のすぐ真上に、気配を見つけてがくりときた。直接見なくてもわかる。昏だ。
 ったくもう。起こすなら起こす、ほっとくならほっとく。はっきりしろよな。
 心の中で毒づいた。自然と顔も仏頂面になる。けれど、昏は見つめるのをやめない。おれを起こそうともしない。たぶんおれが起きていることは、わかっているだろうに。
 あーあ。こう暗いと滅入るよな。
 あいつの暗さが伝染したような気になる。朝一発目から不愉快だった。
『欲シイ』
 頭の中に響いた声を頼りに、おれはあいつへと一歩を進んだ。もっとあいつに近づく為に、進んで昏を受け入れた。あれから半月になる。
 昏はおれを拒まなかった。
 最初に誘った時は「理由」にこだわっていたが、今ではそれも尋ねない。ただ、誘いから決断までに時間は掛かるけれど。
 どうせ、また何かくよくよ考えてんだろうな。
 決断を迷う昏におれは思う。どれだけ考えたって結果は同じだ。おれは昏とここにいたい。だから誘いをやめないし、あいつもそれを拒みきれない。事実この半月の間、昏は誘いにその都度応じ、何度もおれを抱いている。おまけにおれの出した「痛いのはやだ」という条件も、極力守ろうとしているらしい。
(もちろん苦痛がないわけではない。でも許容範囲だし、そのうち慣れると思う。ひょっとしたら、あいつが苦痛を感じないように、昏一族の「力」を使っているかもしれないが)
 おかげで訓練は順調だった。やたらと激しい体術をすることもないし、気を変化させて同調しにくくするという、昏の妨害?もなくなった。あとはおれの「術」を昏に合うレベルにしてゆくだけ。
 表に見える事実だけを見れば、すこぶる上手くいってそうに思えた。だけど、何かが噛み合っていない。
 いい加減にしろよ。
 昏はまだ何もいわなかった。動こうともしない。じっと、おれを見つめている。意地になってきた。
 そっちがだんまりなら、こっちだって無視してやる。
 あんまり沈黙が続くから、後には退けなくなってきた。固く目を瞑りなおし、起きてやるもんかと歯を噛み締める。「おれは石だ」と念じた。しばらくして。
 ちっ。我慢大会じゃねぇぞ。
 ついにおれが根負けした。持久戦では勝てない。小さく舌打ちしながら、のそりと身体を起こした。昏を睨み付けて一言。
「なんだよ。なんか用か」
 殆どけんか腰になって訊いた。
「いや。・・・・・なんでもない」
僅かに目を見開いた後、目を逸らして昏は返した。ちょっと退いてる態度。ムカリときた。
「そーかよ。じゃ、顔洗ってくる」
 言い捨て立ち上がり、苛立ちながら縁側に出る。背中にあいつの視線。無視して洗面所へと向かった。
 あー、うっとおしい。
 次から次へと悪態が湧いた。原因はあれだ。あいつのだんまりとあの目。何か言いたげなくせに、問えば決まって否定する。馬鹿にしてると思った。何もなきゃあんな目はしない。それでもあいつは言わない。はっきり言って、いい迷惑だ。
 やることやってんだから、いいじゃんかよ。
 全くわからなかった。たとえ衣食住全部相手持ちでも、ちゃんと身体で払ってるのに。他に何が不満なのか。
 不満があるならあるで、さっさと言えってんだよ。
 言えばおれもあいつのことがわかるし、問題次第ではなんとかできるかもしれない。だのに、これだ。
 無言では何もわからない。おれは「昏」一族じゃないから、あいつの考えてることなんて知らない。だいたい、あっちには頭の中を覗くなんてご立派な能力があるんだ。手っ取り早くおれん中覗いちまって、あいつの納得するもんを見つけりゃいい。今のままじゃ、前に進まないじゃんか。
 いらだちともどかしさがぐちゃぐちゃになったような気持ち。ひどく不快なそれを、ここ数日、おれは感じ続けていた。
 

「でさ、最近どう?」
 昼休み。昏が弁当を買いに行っている間に、銀生さんが言った。
「どうって何だよ。訓練のこと?」
「違うよ〜。そいつは見ればわかるでしょ?」
 プルプルと首を振りながら銀生さん。おれは首を傾げた。
「俺が訊いてるのはあっちよ。夜の生活。よろしくやってるんでしょ?」
 にやにや、嬉しそうに訊いてくる。おれは少なからずげんなりした。大人は暇でいいよな。
「何よ。してないの?」
 怪訝な顔で言われた。どうやらこっちの表情に気付いたらしい。しかたなく、おれは口を開いた。
「してるよ」
「じゃ、いいじゃない」
「でも、よくないの」
「?」 
 かくり。目の前の顔が右四十五度傾いた。納得できないらしい。しばらくして。
「ひょっとして昏の奴、下手なの?」
 真剣な顔で銀生さんが言った。おれは呆れる。どうしてそうなるかな。  
「知らないよ。あいつ以外、おれ、したことねぇもん。そっち方面の話じゃないよ」
「いや、それでもわかるでしょ?他に比較するもんがなくてもさ、もう二度としたくないって思ったらお前、下手なのよ」
「そうなの?じゃ、下手じゃないんだ」
 ちょっと感心したおれに、銀生さんはにちゃりと笑った。
「よかったねぇ。そりゃ大切なことだよ。もしそっちが原因だったら、俺にも責任あるからねぇ。教育不足だったってさ」
「だから、違うって!」
 ムキになって言った。あれだけで上手くいくなら楽なもんだ。上手くいかないから困ってるのに。
「はいはい。違うのね。で、なによ」
 ブスくれるおれに、言ってみな?という顔で銀生さんが訊く。おれは大きく息をつき、思いきって言った。
「あいつ、変なんだよ」
「変?」
「いらいらするんだ。黙ったまんまでさ、じっとこっちばかり見てるし。あれだって拒まないけど、毎回迷ってる。終わったら終わったでがっくりきてるみたいだし、頭ん中読んだのも最初だけ。いやならさ、拒めばいいじゃん」
「そーだねぇ」
 いつものように腕を組み、のんびりと銀生さんは呟いた。ちょっと困ったような、それでいて楽しそうな顔。
「あいつ、お前になんか言ってる?」
「言わないよ。言えばなんでかわかるじゃん。最初は理由がどうとか、面倒なこと言ってたけど」 
「理由?」
「うん。おれがあいつを誘うの、どうしてかわからないって」
「昏らしいねぇ」
 くしゃり。銀生さんが苦笑した。更に嬉しそうな顔になる。
「で?どうなったの?」
「もたもたいつまでもしてるからさ、おれ、理由なんてどうでもいいから早くやろうぜってチューした」
「やるねぇ。お前から襲っちゃったわけだ。それで?」
「そしたらあいつ、急に『わかった』って言ってさ、やっとで応じたんだ。でも、日にちを追うごとに難しい顔してるし。おれこそわかんないよ」
「なるほどねぇ・・・・・」
 コキコキ。首を鳴らしながら銀生さんが言う。何やら考えているようだった。 
「銀生さん、わかる?」
 思わず覗きこんでみる。そうだ。昏を育ててきた銀生さんなら、わかるかもしれない。
「まあね。お前さんよりは。しっかし、こりゃ嵌まってそうだね」
「嵌まる?」
 目を見開くおれに銀生さんはにやりと笑った。悪戯そうな笑み。
「あいつは自分専用の落とし穴を持ってるからねぇ。あれに入られると、ちょっと厄介なんだよね」
「はぁ?」
「いいのいいの。穴は俺が埋めるから。こりゃ、忙しくなるねぇ」
 意味不明なことを言ってる。おれは顔を顰めた。何かなんだかわからない。
「まあまあ、そんな難しい顔しないでよ。とにかくさ。お前、あいつとするの、嫌じゃないんでしょ?」
「うん。そういえばそうだ。嫌だとか考えなかった」
 本当にそうだ。いきなりあんなことされて、畜生とか仕返ししてやるとか思ったけど、嫌悪感は全くなかった。
「お前、本当にいい子だねぇ。あいつも早く気付きゃいいのに」
 にっこりと目の端に皺をよせ、銀生さんが微笑んだ。おれは何だか照れ臭くなる。どこがいい子なのかわからないが、誉められたことは分かる。
「俺はこれから空けることが多くなるけど、お前はいつも通り昏とやってな。いいか?」
「いいけど。銀生さん、めったに来ないから同じだし」
「そうだねぇ。その通り。昏のお守り、宜しくな」
 ポンポンとおれの頭を叩いて、銀生さんは去って行った。相変わらず、何を考えてるか掴めない。
 昏とは別の意味で、あの人も謎だよな。
 そんなことを思いながら、おれは昏を待ち続けた。
 
 難しいことはわからない。
 それでもおれはここにいる為、自分にできることをする。

「明日、午後から訓練だよな?」
 家の戸を開けながら訊いた。後ろの昏が、頷く気配。
「じゃ、やろっか」
 あいつを見やりながら言った。漆黒の目が見つめる。思い詰めているように揺れた。
「なに?」
 無視してもいいけど、やっぱりおれは訊いてしまう。どうしてあいつは黙っているのか。なんで迷ってしまうのか。
 苛立ってしまうのは短気なだけじゃない。この耳で直接聞きたいから。
『欲シイ』
 身体を通して伝わる言葉。昏の唇に乗るのではなく、おれの頭に響いてくる。
 知りたいのだ。
 それがあいつの本心なのか。だから、誘う。
「黙ってないでさー、返事しろよ。どうすんの?」
 急かすおれの言葉に、昏が「そうだな」と頷いた。