禍事〜まがごと〜 ACT11(三十八話対応) やれやれ。まーったく、一時はどうなるかと思ったねえ。 冴えざえとした蒼い双眸で空を仰いで、銀生は大きく息をついた。御影本部でも指折りの「水鏡」である檜垣閃がフォローについているとはいえ、昏も碧も他部署の人間と関わるのははじめてだ。 初任務。しかも東館クラスのベテランが受けるべき難しい仕事。それを学び舎を出たばかりの新人ふたりに任す。失敗すれば確実に、御影長と軍務省長官の首が飛ぶ。当然ながら、来期の特務三課発足は白紙に戻され、自分たちは再び「昏」同士で汚れ仕事をやっていかねばならない。 その場合、いちばん喜ぶのは藍だろう。碧の義兄。とことん親バカでブラコンで、ちょっと間違ったらイケナイ道にまっしぐらになりそうな、愛しい人。 もっとも、今回の任務が失敗するとすれば、それは昏がおのれの力を暴発させてしまうか、あるいは碧が「昏」を制御できずに飲み込まれてしまったときだから、いずれにしてもふたりとも無傷でいられるわけはない。 ま、なんとか無事にカタがついてよかったよ。碧を失ったあの人が、怒りと悲しみに我を忘れてこっちに向かってくるのを見てみたかった気もするけど。 危険な想像に、つい笑みが漏れる。銀生は目を閉じた。蒼い瞳を内に隠して、再びゆっくりと開く。 それにしても、あの人はいまどこにいるのだろう。何度か「昏」の力で探してみたが、結局いまだに見つけられない。 和王である九代目御門に、なにごとか上奏していた。そのあとで、ふっつりと消息が途絶えた。まさかとは思うが、王の逆鱗に触れて人知れず葬られていたりして……。 あー、やめたやめた。あの人がいきなり極刑なんていうヘタな手を打つわけないし、仮に王の周辺に動きがあれば、御影本部に噂のひとつも流れてくるはず。 先日、こっそり西央の砦に遠話を飛ばして確認したところ、 『え? うーん。いまんとこ、そんな話は聞いてないですねえ』 御影きっての情報通、檜垣閃がなにも掴んでいないなら、その線も薄い。 とりあえず、あの人のことは保留にしておこう。考えてどうなるものでもない。こっちが「切り札」を握っている限り、きっと戻ってくるだろうから。 あの人が、自分よりも大切に思っている金髪の義弟。まもなく初任務を終えて帰還する。そうしたら地下の部屋に遮蔽結界を張って、「銀鬼」となった昏を封印しなければ。 銀髪蒼眼。かつて和の国最強の一族として尊敬の対象であったその姿は、いまでは禁忌である。 まあ、今回は特別に、碧も一緒に入れてあげるよ。がんばったもんねえ、おまえたち。なんなら、そこで「打ち上げ」をしてもいいからねー。 あいかわらずの不道徳な想像を巡らせて、銀生は家の中へと入っていった。 その夜のうちに、昏と碧は都に戻った。 『ご苦労だった』 銀生から遠話で報告を受けた軍務省長官、通称「冠」(かむり)は、静かな声で言った。 『これで九代さまも安堵なさるだろう。“昏”の行方をずっと気にしておられたから』 『まだまだ、これからでしょ』 ことさら軽く、銀生。 『“昏”が表に出るのを、よく思わない連中もいますからねー』 『そのあたりは、すでに九代さまもご承知だ』 なーるほど。もう「手」が動いてるワケね。 『あー、だったら俺は、あいつらの心配だけしてりゃいいんですね』 『そういうことだ。詳しくは正式に“対”の宣誓を終えてから……』 『わっかりましたー』 皆まで聞かずに遠話を打ち切る。 仮にも相手は軍務省長官。ふつうなら部下から話を遮るような真似はできないはずだが、銀生にはそのあたりの感覚がまるで欠如していた。もともと気ままな性格であるにの加えて、御影本部に配属されたときの直属の上司が、まったく縦の関係を無視するような男だったためだ。 「なーんで、ミカドがビョーキになったからってオレが見舞いに行かなきゃなんないのよー。篝〜、代わりに行ってきてよー」 当時の御影長、鳥居与儀は、内外から「銀狼のヨギ」と異名を取るほどの手練れで、歴代の御影の中でも群を抜いた実力者だったが、世間一般の常識の欠片も持ち合わせていなかった。 「そういうわけにはいきません。八代さまはあなたを御影長に推してくださった恩人です。私もお供しますから、礼装に着替えて参りましょう」 御影長補佐だった桐野篝にそう促されると、 「オレ、御影長になりたいなんて言った覚えないもーん」 まるで駄々っ子である。 どうしてこの人は、こんなヤツの「対」になったんだろう。 当時、銀生はよくそう思っていた。その疑問はいまだ晴れていないが。 そろそろ、あいつらが帰ってくるころかねえ。 銀生は旧独身寮の集会室で煙草を吸っていた。予定ではこの部屋が、特務三課のオフィスになるはずだ。来週あたり、新しい応接セットと事務機器が搬入されるはずだから、あいつらが戻ってきたら掃除でもしてもらうかな。 そんなことを考えていたとき。 ぎぎぎぎぎいいいい…………。 思い切り立て付けの悪いドアが、ゆっくりと開いた。 「失礼いたします」 はっきりとした発音の、聞き覚えのある声。 「へっ……」 思わず、煙草を落としそうになった。うわ。なんだよ、これ。だれかの幻術……ってことはないよねえ。 そこにいたのは、銀生がこのひと月、ずっと行方を探していた藍だった。 「本日、九代さまより正式に『水鏡』の宣旨を賜りました」 「水鏡って……あんたが俺の?」 「はい。それから……」 すっ、と一枚の書状を差し出す。どうやら「冠」の直筆らしい。 「同時に、特務三課の主任の内示もいただきました。三課設立の暁には、よろしくお願いいたします」 流れるように、作法通りに一礼する。 信じられない。この人が、俺の「水鏡」に……。 これまでのあれこれが去来した。碧のために、ありとあらゆる手を使い、体までも使おうとした。あの一夜のあとの憔悴。謁見の間での思いつめた顔。そして神隠しにでもあったかのような、このひと月。 銀生は「冠」の辞令を受け取った。 まさか、こう来るとはね。おそらくいままで、この人はこんな方法を取ったことはないだろう。九代目御門のもっとも信頼する「手」のひとり。人の心を測って操って、運命を転がしてきた人が。 藍はきっと、碧が三課に配属されると知って、しかもそれが自分の力では動かしがたいと悟って、自分も移ってきたのだろう。「手」として培ってきた人脈を駆使して。これまでになかったような道を通って。 藍は、ひと月前とは別人のようだった。きれいに形作られていた外壁が見事に剥がれ落ち、内面が異様に見通しよくさらけ出されている。あまりに見えすぎて、かえって気味が悪いほどに。 いまの藍には、作為の部分がなかった。ただあるのは、自分は「ここ」に居るのだという確固たる意志。 銀生は藍の目の前で辞令を破り捨てた。 「社課長!」 「まだ課長じゃないもんねー」 「しかし……」 「あとで始末書、書くよ」 紙片をうしろに放る。 「本気なの」 本気で、あんた、俺と「ひとつ」になるの? 「むろんです」 即答だった。 「じゃ、証明して」 「なにを……」 「その『本気』ってやつを、さ」 銀生は右腕を横に振った。ばん、と勢いよく窓が飛ぶ。 元々、取り壊す予定だった建物だ。少しぐらい壊れたって文句は出るまい。来期からここを使うのは、俺たちだしね。 ガラスの破片が中庭に飛び散った。窓枠も何カ所が吹き飛んでいる。 藍の目がそれを捕えた。きらり。漆黒の瞳に、違えようもなく鋭利な「気」が宿る。 「承知」 言うなり、藍は粉々に砕けた窓から外に飛び出した。 『今、ここに在ること』ACT38へ |