今、ここに在ること by (宰相 連改め)みなひ ACT9 最近、ちょっとおかしい。 おれの知らないところで、何かが動いている気がする。 真っ暗な家の戸を、ガタガタと揺らした。やっぱり鍵が掛かっている。 「ちぇっ、またかよ〜」 ぶちぶち言いながらポケットに手をやった。小さな鍵を取り出す。鍵穴に差し込み、戸を開けた。 「ただいま〜」 暗い奥の間に向かって、そろそろと声をかけてみる。返事はない。でも何となく、言ってみたかったのだ。何も言わずに家に入るのは、とても寂しいと思ったから。 「困ったなぁ。メシ、どうしよ」 空腹を主張する腹をなでなでとさする。冷蔵庫。戸棚。すぐに食べられそうな物は、あいにく見つけられなかった。 こんな時、斎兄ちゃんがいてくれたらなぁ。 「御影」になって行ってしまった義兄を思い出す。斎兄ちゃん、大した材料ないときでも、何かしら作ってくれたのに。ちょっと切なくなった。 「うーん、おれにできるっていったら・・・・・これだな」 戸棚の奥に眠っていた、カップラーメンを取り出す。じつはめったに食べられない。藍兄ちゃん曰く、「こういうものは塩分は高いし、ろくな栄養素が入っていない」とのことだ。 最近ではカルシウム強化とか、減塩しているものだってあるのに。そういうの偏見とか思うけど、取り合ってくれる藍兄ちゃんではなかった。 「ま、兄ちゃん帰ってこないし。いいよな」 うきうきとヤカンを火にかけた。程なく、カタカタと蓋が鳴りだす。沸いた。 「ただいま。今帰ったぞ」 玄関の方で声がした。藍兄ちゃんだ。おれはコンロの火を止め、玄関へと向かった。 「兄ちゃん、遅かったな」 「ああ、ちょっとな。餃子買ってきたぞ」 ばさりとビニール袋を手渡される。焼きたてだ。なんか誤魔化されてる気がするけど、この腹に餃子はありがたい。おれはにんまり、台所へと向かった。 数分後。冷やご飯とカップラーメン、餃子の遅い夕食が始まった。 「最近、どうだ?」 藍兄ちゃんが訊く。 「別に。あ、でもちょっと進歩したぜっ。今、気の同調訓練やってるんだ」 「ほう。本格的になってきたな。で?」 言われて頭を掻いた。実は、全然苦戦していたから。 「難しいよ。でも、退き下がれないし」 苦笑いして返した。本当にそうだ。ここまで来て、そう簡単には退き下がれない。そのつもりもない。 「兄ちゃんは忙しいの?」 質問で切り返してみる。このままじゃ、かっこわるい。 「まあな。いろいろあるから・・・・・」 「ふーん、いろいろって?」 かたり。 おれが尋ねているうちに、藍兄ちゃんが箸を置いた。食べ終わったらしい。 「碧」 固い声で呼ばれた。漆黒の目が、まっすぐにおれを見つめる。 「ん?なに?」 「無理だけはするなよ。お前の未来は、一方向のみじゃないんだからな」 真摯な瞳。心からおれを心配してくれてるのはわかる。でも。 「無理なんかしてないよ。おれ、毎日けっこう楽しいし」 藍兄ちゃんのいうことは、時々難し過ぎてわからない。もともと、おれよりいっぱい考える人だから、仕方がないんだけれど。 「そうか。なら、いい。それに、もうすぐ状況も変わるだろうしな」 含みのある言葉を告げて、藍兄ちゃんは微笑んだ。おれは疑問に思わないでもなかったけど、どう訊いたらいいかわからなかったから、敢えて黙ることにした。 兄ちゃん、このごろずっと帰りが遅い。朝だっておれより早く出てゆく。今まで月末集計とかで忙しい日々はあったけど、それとは比較にならない。あのきっちりした、予定通りに事が進まないと気がすまない藍兄ちゃんが時間をくうのだ。よっぽどの事が起こってるんだろう。 「早く休めよ」 食器を片づけながら、藍兄ちゃんが言う。おれは頷き、自室へと向かった。 なにか動いてそうなのは、藍兄ちゃんだけじゃなかった。 あいつが目を閉じる。 「始めるぞ」 「ああ」 おれも目を閉じた。精神集中。視覚以外の全ての感覚で、昏の気を探した。 草の気。木の気。そこに羽を休める、小さな虫達の気。上空を飛ぶ鳥達の。全身で感じる世界は、さまざまな気に満ちあふれていた。 どれだろう。おれは用心深く、一つ一つの気を確かめた。しばらくして。 あれかな? 一つだけ、うまくカムフラージュされた気を見つけた。一見、草の気にも思える、微弱な気。 あれ、だ。 確信して同調を始めた。途端。 するりとその気は身を躱していった。波長が変わってしまっている。まるで、うなぎか何かのつかみ所のないものが、しなやかに身をくねらせて滑り落ちてゆくように。 「くそ」 思わず声が出る。 目を開いて睨み付けた先には、後ろを向いた昏が立っていた。 「おまえ、波長変えるってのは、ズルいんじゃない?」 ふくれっ顔で抗議した。冷ややかな目が一瞥する。 「力不足の証明だな。その時々に応じて、波長を変えることも必要だ」 昏の気はおれと違い、様々な波長を備えていた。一つの波長だけでなったものじゃないし、本人の意志でそれを自由に変えられる。それどころか、別の気を作ることだって可能らしかった。 あいつこそ、「水鏡」やった方がいいんじゃないか? お世辞じゃなくそう思った。あれだけいくつもの波長や性質の違う気を作り出せるのだ。パワー一本のおれより、よほど「水鏡」らしい。 『俺は、おおよその“水鏡”より、遥かにましな結界が張れる』 今さらながらに、あいつが言ったことが身に染みた。まさにその通り。気の微妙な調整は様々な結界を生み出す。真実、あいつは「水鏡」を必要とはしていないのだ。 だからって、こんな肩すかしはないよな。 憮然と目を閉じた。再度気を探しに掛かる。今度こそと思った。その時。 「はーい、午前中はそこまで。メシにしよ〜」 間延びした声が掛かる。銀生さんだった。 「それで?最近どうよ」 昏に弁当を買いに行かせた後、銀生さんがおれに尋ねた。 「銀生さんこそ全然おれ達んとこ来ないけど、毎日何やってんのさ」 「仕事。面白くなってんのよ」 質問返しはあっさりと躱されてしまった。藍兄ちゃんと同じだ。大人ってずるいよな。 「昏の奴、逃げてるみたいね」 「なんだ、見てるんじゃない。そうだよ。あいつ、ちっとも同調させてくれないんだ」 「よっぽど嫌なんだろうねぇ」 嫌。言葉がことりと引っかかった。今まで好かれてはないと思っていたけど、どうして。 「銀生さん」 「何よ」 「おれって、やっぱりあいつに嫌われてるのかな」 思いきって訊いた。銀生さんが見つめている。 「どうしてそう思うの?」 「だっておれ、こんなだし。あいつより全然力ないし。嫌なのかなって・・・・」 今までいろんな人がおれを蔑んできた。露骨に厭味や罵倒する奴。汚いものを見るような顔をした奴。ただ冷たい視線を浴びせる奴。本当にいろいろだった。 おれはそんなのへっちゃらだし、藍兄ちゃん達もガードしていてくれた。だから、落ち込む程ではなかった。けれど。 あいつがおれを嫌っているのなら、ちょっとつらい気がする。 自分の考えに驚いた。おれ、そんなこと考えてたのか。 「そりゃあ、ないね」 銀生さんが言った。ごそごそとポケットをさぐり、煙草を取り出す。火術で火をつけた。 「あいつは外見には左右されない。中身が見えてるからねぇ」 「どういうこと?」 「言葉そのままだよ。あいつは『昏』だからね。それも、一番血の濃い『昏』だ。その気になれば、何でも視えてると思うよ」 白い煙を吐きながら、銀生さんが答える。おれは目を見張った。視えてる、だって? 「あいつがお前を遠ざけようとしてるのは、おそらくあいつ側の理由だ。お前に非があるわけじゃない。同調訓練だって、あいつがお前に同調すればいいことだ。でも、あいつは逃げまくってる」 「あいつ側の理由ってなに?」 「さあねぇ。それは俺も知らないよ。あいつ、秘密主義だし。昔はそれなりにかわいかったんだけどねぇ」 また一本、銀生さんが煙草を取り出す。火をつけた。うまそうに吸い込んでいる。 「とにかく、あいつをもっと知ってみたら?それこそ一日中へばりついてさ。そしたら、何か見えてくるかもよ」 片目をつぶりながら、銀生さんが言った。おれは考え込む。あいつを知る、か。 「お、帰ってきた。またまた仏頂面だねぇ。じゃ、俺はこれで」 空気の擦れる音と共に、銀生さんが消えた。転移の術とかいうやつだ。 「よし。やってみるか」 頭に浮かんだことを決心しながら、おれは近づいてくる昏を見つめた。 銀生×藍連動作『禍事』ACT2へ |