今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT10

 あいつは考えずに行動を決める。
 だから、いつも予測できない。
 「昏」の能力も碧には無意味だ。


「すっかり暗くなっちゃったな」
 何が嬉しいのか碧が笑う。訓練が苦痛ではないのか。どうにも不可解だった。
「そろそろ終わりにするのか?」
 首を傾げて尋ねてくる。頷き終わりを告げた。碧が「そっか」と言う。
「明日も同じ時間に開始だ。遅れるな」
 言い捨て家路に就いた。最近妙に疲れる。任務以上の疲労度だ。碧と銀生、似たようなのを二人も相手しているからかもしれない。
 早く休もう。
 そう思って先を急いだ。ふと気付く。ひたひた。ひたひた。誰かの足音。
「待ってくれよー」
 振り向けば碧が付いて来ていた。俺は立ち止まる。何故だ。どうしてあいつが。
「何か忘れたのか?」
 振り向いて聞き返せば、碧はにかりと笑った。
「え?ないよ。それよりおまえ、待ってくれてもいいだろ」
「どうして待つ必要がある」
「だっておれ、おまえの家、知らねーもん」
 何を言ってるのかわからなかった。碧には桐野の家がある。反対方向にあるその家へ、勝手に帰ればいいのだ。
「俺の家など知らなくても、お前に不自由はないだろう。早く帰れ」
 促せば露骨に口を尖らせた。キッと、強気に睨んでくる。
「あるよ!おれは『水鏡』になりたいんだ。でないとバンバン稼げないじゃんか。それ、困るんだよ」
「俺は困らない」
「けちー!」
 地団駄を踏んで言った。どうして俺の家と「水鏡」が関係するのか。それでも、少しだけ子供の頃を思いだした。当時の碧もすぐにかんしゃくを起こし、またすぐに機嫌を直していた。俺はそれがおもしろくて、反面よく疲れないなと感心していた。
「決めたんだからな!」
 びしり。碧が俺を指差す。
「おれ、おまえから離れない。いつもつきまとって、おまえのこと全部知ってやるっ。それで、おまえの『水鏡』になるんだ!」
 一瞬、唖然とする。碧の思考は変わらない。自分が会いたいから会いに来て、知りたいからつきまとう。あの頃あんなに楽にしてくれた思考が、今は俺を当惑させる。
 面倒なことになった。
 表情を変えずにそう思った。
 撒くか。
 答えは即答で出た。大きく飛び上がる。
「逃げんなー!」
 碧が後ろで叫んでいる。構わず木々を蹴り、家とは別の方向へと走り出した。
 予想外とはこのことだな。
 走りながら思った。遠くに碧の気配。追ってきているのか。
 全く。追走する時は、気付かれないよう自分の気を消す。基本だろうが。
 苛立ちながら思った。しかし、そう長く追わせているわけにもいかない。早く諦めさせなければ。
 これでいいか。
 自分の気の波長を変えた。同時に、それまでと同じ波長の気をダミーとして、いくつかばら撒いておく。これで混乱するだろう。俺は茂みに身を隠し、辺りを伺った。
 しばらくして、碧の気が消えた。諦めて帰ったろうか。念の為いくらか時間をおいた後、俺は森の片隅にある家へと帰ってきた。
 この時間では、もう閉まっているだろうな。
 藤食堂の方を向いて思った。たぶん、今日も俺の分を残してくれていただろう。明日、藤おばさんに謝らなければ。
 玄関の戸に手を掛けようとした時、がさりと庭木が揺れた。
「見つけたっ!」
 緑の中から、金色の髪が出てくる。バラバラと落ちる、小枝や葉っぱ。その中に、透き通る碧い眼。碧だった。
 いきなりのことに、俺は動揺する。あいつの気はなかった。確かに撒いたはずだ。
「へっへーん!気ぃ消したんだっ。おれもやるだろ?」
 得意げな顔。子供の頃と同じ顔で碧が言った。
「どうして俺のいる場所がわかった?気配はなかったはずだ」
 気の波長を変えたはず。ダミーもいくつか出した。だのに、何故。
「そんなの、簡単だったぜ」
「何」
「だってほら、それ」
 聞き返す俺に、碧はついと指差した。俺の任務服。腿の辺りについた、小さなしみ。
「においだよ。おれ、ハンバーグ好きだから。それ、ケチャップのしみだもん」
 呆然とした。ハンバーグだと?ケチャップのしみから出るにおいで、俺を追ってきたというのか?
「ラッキーだったよなっ。そのにおいがなかったら、おまえ見失うとこだった」
 思いだした。昼食時、碧はハンバーグ弁当をこぼした。それも、俺の腿の上に。その時についたしみとにおいか。
「おれ、昔から鼻だけはよくてさ。森で迷子になっても、大抵においで帰ってこれたんだ」
 確かにそうだった。こいつはいつも、撒いても俺を見つけ出した。そしてついて来たんだ。あれは皆、俺のにおいを辿ってきたというのか。
 昔からそう思っていたが、こいつは動物すぎている。
 何とも言えない気持ちになった。俺が気を駆使していても、こいつは鼻一本で嗅ぎ分けてしまう。どう追い返そうか考えていた時。
「残念だったなー。いくら『昏』だからって、気に頼り過ぎてんだよ」
 碧が言った。カッと頭に血が上る。素早く家の戸を開け、中に入った。
「逃げんなよっ、うわぁっ!」
 ばしん。
 戸に手を掛けようとして、碧が結界に弾かれている。この家全体に張られている、俺の攻撃結界。この結界を解けるのは、術者の俺と銀生くらいのものだ。
「痛ってーな!出てこい!籠城なんて卑怯だぞっ」
 何が卑怯なものか。自分の家に入って何が悪い。他人の家に入ろうとしているお前の方が、よっぽど常軌を逸している。
「ちっくしょー!絶対に家ん中、入ってやるからなっ!」
 ばしん。ばしん。ばしっ。
 玄関で。窓で。裏庭で。あいつが結界に弾かれている。どうやら体当たりしているらしい。衝撃音。何度も何度も。いい加減、しつこいと思った。しばらくして。
 しん。
 急に外が静まり返った。それまで間欠なく、碧が結界に弾かれる音がしていたのに。俺は気配を伺った。
 碧の気は・・・・・いる。消えてない。
「おい」
 家の中から呼んだ。
「返事をしろ!」
 声を荒げた。だが、返事はなかった。
 まさか。
 不安が頭を過る。もしかしたら。そうだ、あれだけ俺の攻撃結界にぶつかったのだ。
「碧っ!」
 ついに戸を開けた。玄関のすぐ前に、碧が倒れている。
「おい碧、しっかりしろ!」
 身体を揺すった。碧が顔を顰める。全身に細かい傷。切り傷と火傷だ。
「・・・・・馬鹿な」
 防御なしで突っ込んでいたのか。俺の結界、それも攻撃結界に。俺は碧を抱き上げ、家の中へと運んだ。思ったより軽い身体を、そっと敷物の上に寝かせる。
 手当てしなくては。
 立ち上がろうとしたその時、俺の手を誰かが掴んだ。ハッと見る。ぱちりと開かれた碧眼。
「やっとおれの名前、呼んだよな」
 にやり。してやったりの満足そうな表情。
「中、入ったぜ」
 さも嬉しそうに碧は笑った。俺は言葉を失う。こいつ、何を考えている。
「あーっ、あっちこっち痛ぇな。ひりひりする」
 上体を起こしながら、碧が言った。身体の傷を見ている。
「当たり前だ。俺の結界に無防備で飛びこんだんだぞ。それくらいで済んで、よかったと・・・・」
「それよりさ。腹減った。なんか、食いもんないの?」
 俺に皆まで言わせず、碧は言った。大きな目を見開き、首を傾げて。無防備な顔。
「・・・・待ってろ」
 ついに俺は根負けしてしまった。家を追い出す気力もなく、台所へと向かう。桶に水を汲み、手拭いを放り込んだ。
「ええーっ、食いもん持って来たんじゃないの?」
 碧が文句をたれる。
「うるさい。手当てが先だ」
「そんなの舐めときゃ治るよ〜。腹減った〜」
 がなる碧を無視しながら、俺は傷の手当てをし続けた。すべての手当てを終えた後、俺は真夜中の森へと狩りに出た。
「おまえ、器用だな。まるで、斎兄ちゃんみたいだ」
 獲物の山鳥が火術で焼かれてゆくのを見つめながら、碧はうきうきと待っていた。きっと、桐野の家でも同じことをしてもらっていたのだろう。

 覚えてないだろうけどな。
「器用」もまともに言えない頃、お前は俺にメシをたかってたんだぞ。

「いっただっきまーす」
 複雑な思いを胸に、俺は嬉々として食べる碧を見つめた。
 その日から碧は、ちゃっかりと俺の家に居座ってしまった。

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