今、ここに在ること by (宰相 連改め)みなひ ACT23 あいつが起きない。 あいつが動かない。 なぜだろう、どんどん不安になってくる。 自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえている気がした。 どきどき。どきどき。鼓動は急きたてる。 「昏。昏っ!起きろ!」 力ない身体をがくがくと揺らした。揺らされたあいつはぴくりとも反応しない。 白い顔。閉じられたままの瞼。結ばれた唇。 不安。 なぜだろう。今まで感じたことがないくらい、怖いと心が言っている。 「なあ昏っ!起きろってば!」 力の限りに呼んでみた。けれど、あいつは目を覚まさない。自然と身体が震えてくる。 いやだ。こんなのいやだ。いつだろう、前にも今と同じ気持ちになった。不安で。怖くて。悲しくて。 「昏っ!死ぬなーーっ!」 「死なないよ」 殆どパニックで叫んだ言葉は、後ろからあっさりと否定された。飛び上がらんばかりに驚く。この声は。 「あーあ。こりゃ、いっちゃってるねぇ」 振り向けばいつの間にきたのか、銀生さんが立っていた。何やら荷物を抱えている。 「銀生さんっ!」 「だーいじょーぶだよ。こいつ、これくらいじゃくたばらないから。まあ、結構弱っちゃってるけど」 半泣きで駆け寄るおれに、銀生さんはいつもの調子で答えた。のんびりとした口調。少しだけホッとした。 「本当にあいつ、大丈夫なの?」 「まあねー。これからちゃーんと手当てするから。な?」 なでなでとおれの頭を撫でながら、銀生さんが諭す。それまで我慢していた感情が、ワッと噴き出してきた。 「昏のやつ、ろくに食べてなかったんだ」 「そうだろうねぇ」 「おれ、ちゃんとあいつにメシ食えって言ったんだ。なのにあいつ、食わなくて・・・」 「うーん。ちょっと違うね」 昏の横に座り込み、脈を取りながら銀生さんが返した。おれは目を見開く。 「食わないんじゃないよ。食えないの。無理に食ったら全部戻しちまう。いわゆる、拒食状態ってやつね」 言われて思いだした。確かに昏は、食べたものを戻していた。ということは。昼食の時間に消えていたのも、まさか・・・・。 「どうせこいつのことだから、残したら申し訳ないとか思って、律義に詰め込んでたんじゃない?で、その都度御丁寧に吐いてたんだと思うよ」 「なんでそんなことすんだよっ」 ふつふつと怒りが湧いてきた。理解できない。無理なら無理って言えばいいじゃないか。 「さあね。それは本人に訊いてみな。こいつはね、これで結構手が掛かんのよ。必要以上に自分で自分を責め過ぎる。殆どマゾだね」 怒りに混乱が混じり合う。あいつは何を責めていたというんだ。だから、食えなかったっていうのか? 「うーんと、気もかなり弱ってるねぇ。ところで碧、お前元気?」 脈を取り終えた銀生さんが、くるりと振り向きながら訊いた。おれは驚きながらも、こくこくと頷く。 「オッケー。じゃ、手ェだしな」 「いたっ」 わからないまま出した右手に、いきなり痛みを感じた。皮膚が薄く裂かれて血が滲んでいる。すっごく弱い砕破術だ。 「なにすんだよっ」 「ちょっとねー。こいつ、気が足りないから。お前の分けてよ」 「ええっ」 「別に俺のでもいいんだけどね。せっかく気をあげたのにさ、嫌がられたらやな感じでしょ?」 「はあ?」 疑問符に囚われている間に、銀生さんは手のひらの血を指で掬った。おれと昏の額に印を書く。右手をおれの血印に翳し、左手で手印を組んだ。口呪を低く唱え、昏の額に左手を当てる。 ぱしん。 小さな音と共に、一気に身体の力が抜けた。がくりと座り込む。同時に昏の身体がびくんと跳ねた。 「おーっ。若い気はいいねぇ。反応が違うよ」 「な、どうなったの?」 「お前の気を昏に入れたのよ」 にんまり。面白そうに笑いながら、銀生さんが答えた。おれは目を丸くする。おれの気を昏に、だって? 「すごいねぇ。昏の奴、殆ど抵抗なく受け入れたよ。伊達に惚れてるわけじゃない」 「へ?」 「なんでもなーい。ほら、もうすぐ目ぇ覚ますよ」 「えっ、ほんと?」 慌てて昏を覗きこんだ。そして少しホッとする。あいつの頬に、うっすらと赤み。 「昏っ!」 大声で呼んだ。昏の瞼がピクリと動く。形のいい眉が顰められ、くっきりとした二重の目が開いた。 「ああっ、起きたっ!よかったー」 「・・・碧。どうか・・・したのか?」 「どうしたもこうしたもないでしょー?」 見つめ合うおれ達の間に、銀生さんが割り込んだ。昏があからさまに不快な表情をする。おれは安心した反面、なんだかおかしくなった。 「まったく厄介な奴だねぇ。お前、栄養失調と脱水で倒れたのよ。ストレスに弱いってわかってるんだから、ちょっとは気をつけなさいよね」 銀生さんにそう言われ、昏が憮然とこちらを向く。どうやらおれに真偽を問うているらしい。 「ほんとーだよ。おまえ、いっきなり倒れるんだもの。びっくりしたんだからな」 わざと恩着せがましく言った。昏が目を閉じる。小さく「すまない」と告げた。 「謝ったらいいってもんじゃないよ。詫びる気があるなら、二度とこんなことしないでよね。近々任務に行ってもらうんだから」 「「任務だって?」」 ダブルで訊いてしまった。昏が目を見開いてる。おれも寝耳に水だった。 「そうだよ。任務。そろそろいい頃でしょ?」 至極当然という感じで、銀生さんは言った。おれは「やったー」と叫び、昏は顔を顰めた。 「銀生。まだ早い。碧の結界術は完全ではない」 力の入らない身体を起こそうとしながら、昏が抗議した。 「完全でなくともいいでしょ?その分、お前がフォローすればいい。それが『対』なんだから。それとも、生粋の昏一族にはできないの?」 するりと身を躱すように、銀生さんが聞き返した。あいつが息を詰める。 「俺達はまだ、『対』ではない。それに、訓練も不十分だ」 「実戦よりいい訓練はないよ。命がけだけに習得率も高いし。残念ながら、お前達に拒否権はないの」 困ったような表情で、銀生さんは宣言した。ハッと昏が血相を変える。 「まあ、下手なことは考えないでよね。これは俺より上位の人からの命令。逆らったらお前はおろか、碧も任務放棄として処罰をうけるよ。忘れないでね」 「・・・・銀生」 昏が唇を噛む。二人ともしばしの間、睨み合った。 「とにかくお前達に選択肢はない。開き直って、立派に任務を成功させることだね。んで、晴れてその時はなりなさいよ。真の『対』にね」 「貴様・・・」 ぎりぎり。昏の射殺すような視線をものともせず、銀生さんは印を組んだ。風が巻き起こる。 「じゃ、俺はこれで消えるから。後は自分でなんとかしなさいよ。そうそう、お前、碧に礼言うの忘れないでね。お前にあいつの気、入れたから」 「なんだと」 「明後日、朝八時に出頭ねー」 昏が二の句を告げる間もなく、銀生さんは消えてしまった。 残されたおれたちは二人、気まずくお互いを見つめた。 銀生×藍連動作『禍事』ACT9へ |