今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ



ACT22

 なんでこうなるんだよ。
 昏のやつ、どうなってるんだ。


「昏ちゃん、もういいのかい?」
 藤おばちゃんが心配そうに言った。あいつは目を閉じ頷いている。食卓の上にはおばちゃん特製の卵粥が、半分以上残されていた。
「すまない。よければ保存しておいてくれ。・・・・・・夜には、残りを食べる」
「何言ってるんだい。お粥ぐらい、夜には夜で新しく炊くよ。そんなの気にしないどくれ」 
「そうはいかない。せっかく、おかみが炊いてくれた粥だ」
「じゃあ、おれが食うよ」
 言葉が口を突いて出た。ここ2、3日、藤おばちゃんと昏は同じ会話を交わしている。たいがい、うんざりしていた。
「食えばなくなるだろ?だったら、おばちゃんも夜に粥炊けるし。それでいいじゃん」
 畳み掛けるように言葉を重ねた。二人がおれを見ている。
「なんか文句ある?」
「・・・・いや」
「碧ちゃんが食べるってんなら、あたしはいいけど・・・・」
「じゃ、くれよ」
 ずいと手を出した。昏が粥の入った一人用の土鍋を差しだす。受けとり、一気に口へ運んだ。
 いい加減にしろよな。
 殆どヤケ食いで腹に詰め込む。向かいの席に座るあいつを睨んだ。昏はおれと目を合わさず、ちまちまと水を飲んでいる。
 胃痛だかなんだか知らないけど、さっさと治せって言うんだ。
 このところ、昏の食事量はめっきり減った。もともとあまり食わない奴だったけど、ここ数日は更に拍車が掛かっている。ひょっとしたら、水分さえ十分に摂れていないかもしれない。
「それにしても心配だよ。昏ちゃん、医者は?薬とか飲んでるかい?」
「医者に行くほどでもない。俺の主治医は遠くにいるし、今は訓練があるからな」
「でもさあ、人間身体が資本だよ?きちんと食べなきゃ、いざってときに動けないよ。わかるだろ?」
「・・・・・ああ。わかっている」
 覗き込んで言うおばちゃんに、昏はぼそぼそと答えた。もともと細身だけど、確かに痩せてきている。本当にわかってんのかと思った。わかっているなら、自分で飯ぐらい食えよと。
「食べられないなら仕方ないねぇ。でも、水分だけは摂るんだよ。夜にはなんか栄養のつく飲み物、作っとくから」 
「すまない」
 優しいおばちゃんの言葉を、昏は項垂れて聞いていた。おれは少なからずイライラする。どーして食えないんだよ。おばちゃん、昏を甘やかしてる。食えないなら、食えるまでほっときゃいいんだ。
「ごちそうさま!」
 苛立ち紛れに立ち上がって言った。すたすたと食器を片付ける。昏が自分の飲んでたコップを持っていこうとした。
「かせよ」
 おれは憮然と手を出した。漆黒の瞳が戸惑ったように見つめる。更に苛立った。
「一緒に持っていってやるって言ってるんだよっ。かせ!」
 強く言うと昏は無言でコップをさし出した。おれはそれをひったくって、食器を食堂の流しへと運ぶ。手早く洗いはじめた。
 ったく。手間が掛かるよな。
 黙々と食器を洗う。背中にあいつの視線を感じていた。完全に無視してやる。馬鹿野郎。何見てんだよ。見たって何にも出ないぞ。
 何が不服なんだよ。
 更に怒りが湧いてきた。おれはやることはやってる。現におまえとしてるじゃないか。訓練だって順調に進んでるし、徐々に力だってついてきた。おまえにふさわしい「水鏡」に近づいるんだぞ。なのに。
 どうしておまえ、そんな顔してんだよ。暗いし。何も言わないし。おまけに、最近じゃ食わないし眠ってないみたいだ。なんでなんだよっ。
 心で延々と毒突きながら、おれは手を動かし続けた。程なく全部洗い終わる。手洗いしてさっさと流しから出てきた。
「・・・・すまない」
 ぼそり。消え入りそうな声であいつが言う。
「『すまない』じゃない。『ありがとう』だろ」
 不機嫌丸出しで返した。藤おばちゃんが「まあまあ」といなす。おれはプイとそっぽを向いた。
「いくぞ。時間だろ」
「そうだな。おかみ。また来る」
「いってらっしゃい。気をつけて行くんだよ」
 藤おばちゃんの声に見送られながら、おれ達は藤食堂を出た。木々を渡り、訓練所へと急ぐ。訓練開始の時間が迫ってきていた。
 よく保つよな。
 前を行く昏を見つめた。殆ど食ってないだろうに、おれより早く走っている。昏一族だし学び舎首席だったし、鍛え方が違うのかもしれないけど。それでも尋常じゃない気がした。
 でも、あいつ頑固だし。聞かないもんな。
 おれだって放っておいたわけじゃない。ちゃんと「食べろよ」とか言ってた。でも、あいつが食わないだけだ。
 まあいいか。ちゃんと訓練やってるし、昏だって子供じゃないんだしな。
 そんなことを思いながら、おれはあいつの後に続いた。


 その日の訓練も順調に続いた。昏のアドバイスを得て、おれの結界術は安定してきている。同調率やその時間もかなりのものになってきた。
 もうちょっとってとこだけど、なんだかなあ。
 昼休み。インスタントラーメンをすすりながら一人、おれは考えた。昏は用事があるとかでいない。このところ、ずっと昼には消えている。
 あいつ、何してんだろ。
 昼休みが終わって帰ってくる昏は、いつも蒼い顔をしていた。訊いても「なんでもない」の一点張り。今では勝手にしろよとほったらかしにしている。
 あーあ、なんかつまんないよな。
 どう考えても釈然としなかった。やることはやってるし訓練は順調。でも、何か足りない。以前はあいつもイヤミで訓練も進まなかったけど、もっと日々が面白かった気がする。
 昏のやつ、早く帰ってこないかな。
 おれはため息一つ落として、またラーメンをすすった。


「昏ちゃん、これだけは飲んどくれよ」
 夜。訓練を終えて藤食堂に寄ったおれ達(正確には昏らしいが)を、藤おばちゃんは待ち受けていた。
「ちょっと苦いかもしれないけど、身体にはいいんだよ。キャベツは胃にもいいし」
 それはミックスジュースだった。ケールやキャベツや小松菜やらの野菜と、バナナやリンゴの果物。牛乳や生卵も入っているらしい。
「うちの長男が子供のころ身体弱くてねぇ。一時このジュースで凌いだんだよ」 
 おかみは大きめのコップになみなみとジュースを注いだ。いろんな匂いがする。昏は黙ってコップを手にとった。
「いつもすまない」
「いいんだよ。さ、頑張って飲んどくれ」
 あいつは口にジュースを含んだ。ゆっくりと少しずつ、それを飲みこんでゆく。おれは夕食に残してもらっていたカツ丼と味噌汁とサラダを食べながら、それを眺めていた。
 なんだ。飲めるじゃん。
 ちょっと安心した気持ちと、大したことないじゃんという気持ちが入り混じった。でもこれで元気になる。心配して損した。
「よかったねぇ。これでちょっと力がでるよ。明日も作っとくからね」
 昏はジュースを飲み干した。藤おばちゃんが喜んでいる。うきうきと食器を下げていった。
「おまえ、飲めるんだったら最初から飲めよな」
 びしりと言ってやった。そうだよ。おまえ、甘えてるぞ。食える時に食っとかないと。おれなんか食わせてもらえなかったんだから。
 小さな頃を思いだした。桐野の家に来る前のことを。あの時代もおれを苛める大人が何人かいて、時々食事を抜かれた。だからおれは森へと脱走した。森には果物とかがあったし、あいつが食べ物を分けてくれたから。
 あいつ、どうしてるんだろうな。
 食べ物をくれた奴を思った。今は顔も思いだせない。どんな奴だったかも。おれが覚えているのは、そいつが食べ物をくれたことと、そいつといるのがとても楽しかったこと。それだけだった。
「おかみ。また来る」
「おばちゃんおやすみっ」
「おやすみ。また朝にね」
 夕食を平らげたあと、おれ達は藤食堂を後にした。月明かりの中を二人、あいつの家へと向かう。ほどなく家についた。
「食べれてよかったじゃん」
 戸を開けながら言う。振り向いてびっくりした。後ろにいる昏の顔。紙のように白い。
「どけ」
 昏はおれを押しのけて中に入った。急ぎ足で台所へと向かう。流しの前に立った。
 なーんだ。今頃腹減ってんのかよ。
 思わずついて来てしまったおれは、流しの前で呆れた。馬鹿らしくて部屋に戻ろうとする。その時、ぎょっとした。
 吐いてる。
「おいっ、どうしたんだよっ」
 駆け寄って言った。しかし返事はない。昏は流しに持たれ込むようにして、吐き戻していた。けれど、殆ど何も出ない。藤おばちゃんところで飲んだジュースの残骸みたいなのの後には、胃液みたいな透明の液体が少し。
「なあ、どうしたんだって!」
 背に手をやり言った。しかし返事はない。昏は次々と吐き気に襲われているらしく、話すこともできないようだ。
 
 なんだっていうんだよ。
 冗談じゃないぞ。

 吐き続ける昏の背をさすながら、おれは茫然としていた。どうして吐いてる。なんでこうなる。まったくわからない。
「すまない」
 ひとしきり吐いた後、昏が振り向いて言った。顔は白から蒼白に変わりつつある。妙に不安になった。
「おまえ、大丈夫かよ」
「・・・・ああ。なんでもない」 
 かろうじて聞こえる声で答え、あいつはふらふらと歩いていった。座敷へと向かっている。支えようとのばした手は、やんわりと振り払われた。昏が畳の上へと倒れ込んでゆく。手足を丸め、目を瞑った。
「昏っ」
 駆け寄り顔を覗きこむ。一度閉じられたあいつの瞼が、うっすらと持ち上げられた。
「なあ、なんか飲まなくていいのか?」
「いい。少し休めば・・・・おさまる」 
 あいつはやっとと言う感じでそれだけを言い、再び瞼を閉じた。浅い息。乾いてカサカサになった唇。落ちくぼんでしまった目と、その下の黒い隈。
 熱い。
 身体に触って驚いた。熱が出ている。乾いてしまった肌には、汗の気配さえない。

 まずいじゃん。
 どうしてこうなるんだよ。

「昏!おいって!昏っ!」
 焦って身体を揺らした。けれど。
 あいつは意識を失っていた。