今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT24

 昏がおれを見つめている。
 おれも昏を見ている。でも。
 どう切り出したらいいのか、言葉が出ない。  

 
 コチコチと時計の音だけが響いている。もうずいぶん長い間、おれ達は黙りこくっていた。
 なーんか、気まずいよな。
 ボリボリと頭を掻きむしりながら思った。必死で叫んでしまった分、なんだか照れ臭くなってしまう。あいつは意識を失ってたし、聞こえてないとは思うけど。
『昏っ!死ぬなーーっ!』
 いくらパニックだったとは言え、よく言ったものだとは思う。でも、どこかで同じことを叫んだ。遠い記憶の、奥底で。
 けど、びっくりしたよな。
 昏のやついきなり倒れるものだから、かなり焦ってしまった。けれど、意識を取り戻してよかったと思う。なぜだかわからないが、もう二度とあんな思いはしたくない。
「世話をかけた」
 しばらくして、あいつがぼそりと切り出した。俯く顔。視線は逸らされてしまっている。少し、むかりときた。
「本当、はた迷惑もいいとこだよな」
 イヤミを込めて返す。気だって分けたし、これだけ心配させられたのだ。このくらい、言ってやってもいいだろう。
「・・・すまなかった」
 昏は目を伏せ、殊勝に謝った。拍子がぬける。違う。おれが言って欲しいのは、こういう詫びの言葉じゃない。
「ま、任務も決まったことだし。さっさと身体治さないとな」
 整理のつかない気持ちを放り投げ、おれはそう言った。まずは任務だ。これを成功させなければ、元も子もない。
「とにかくさ、おまえ、ちょっとでも食べろよ。銀生さん、なんか持ってきてくれたみたいだし」
 ごそごそと残された荷物を紐解いた。中を覗きこむ。なんだろう、簡易栄養食とか書いてある。
「げーっ、液体ばっか。これじゃあ、力つきそうにないよ。しかもまずそう・・・」
「碧」
「え?」
「聞いてくれ」
 呼ばれて何かと振り向いた。昏が顔を上げている。意を決したような表情。固く結ばれた唇が開いた。
「任務のことだが。明日、改めて俺は銀生に申し出ようと思う」
 あいつはひどく強ばった声でおれに告げた。おれは首を傾げる。申し出るって、何を?
「何言うの?」
「今回の任務を、俺だけの単独任務にしてもらう」
「ええっ!」
 いきなりなんだと思った。せっかく二人で任務なのに。おれが昏の「水鏡」になれるかどうか、見定めるチャンスなのに。こいつは何を考えている。
「なんでそんなことすんだよ!」
 目の前に詰め寄った。やっとの状態で座っている昏の黒眼が、静かにおれを見つめる。
「もう、十分だと思うからだ」
「はぁ?」
 声が裏返るほど意味不明なおれに、昏はため息を落とした。悲しげな、困ったような顔で言葉を継ぐ。
「任務と訓練とは違う。命の危険率も、おおよそ比較にはならない。ましてや今回の任務は、『昏』である俺にふられる任務だ」
「だから、どうだっていうんだよっ!」
「それだけ危険だということだ。それに、生半可な術者では『昏』に取り込まれる可能性もある。わからないか?」
「わかんねぇよっ!」
「それは、嘘だ」
 静かに、それでもぴしりと昏は言った。必死な表情。切なく訴えるような眼差し。
「お前は『昏』の力を経験している。『昏』がどんな力であるか、知らないとは言わせない。だがあれも、ほんの序の口でしかないのだ。弱い者であれば、精神自体を破戒されかねない。お前にはまだ、俺の力をコントロールできる力がない」
 事実を言われて言葉に詰まる。確かにそうかもしれない。でも、徐々にその域に近づいてるじゃないか。まだまだ足りないかも知れないけど、気だって同調できてるし。おれは唇を噛んだ。
「俺は、お前に取り返しのつかないことをした。『昏』の力を使ってお前の頭に入り、お前を制して自由にしてきた。これは、償えるものではないと思う。しかし、お前はそんな俺を受け入れてくれた。忌み嫌うこともなく、今まで一緒にいてくれた。もちろん、何か考えがあってのことだろうが。それでも俺には、十分過ぎる位だったと思う。だからこそ俺は、せめてお前を任務という危険には巻き込みたくない。お前に甘えるのはこれで、終わりにしようと思う」
「ばかやろうっ!」
 思わず手が出ていた。衝撃に耐えられず、昏の身体が畳の上に沈んでゆく。倒れたあいつの胸ぐらを掴み、引き上げて叫んだ。
「ふざけんなっ!」
 勝手に決められたことへの怒り。自分の意志を無視され、いらないと言われたことへの憤り。胸を突き上げ、噴き出てくる感情。止められなかった。
「おれはおまえの『水鏡』になりたいの!なんで駄目なんだよ!」
 昏が茫然と見上げている。切れた唇。腫れた片頬。どうしてなのかわからないみたいな表情。構わず睨み付け、おれは全部吐き出した。
「初めてお前に会った時、すごい奴だと思った。こんな奴といっしょにやりたいって思った。だから、おまえと組むってわかった時、すっごく嬉しかったんだぞ。おまえに認められたいって頑張ってきたのに・・・・・。『昏』が何だって言うんだよっ!そんなの、関係ねぇっ!」
 大きく言い放った。言ってからすっきりとする。そうだ。おれは「昏」じゃない、「あいつ」を求めてたんだ。
「・・・碧。お前・・・・」
 見開かれた漆黒の目に、半泣きで怒ってるおれがいる。ガキみたいな顔で。みっともないぐちゃぐちゃの顔で。
「取りあげんなよっ」
 悔しくて涙が出てきた。かっこわるい。これじゃあ、あのときみたいだ。何もかも自由にならなくて、やっと仲良くなれたあいつも、突然取り上げられたあのときと。
「勝手に取りあげんなーーっ!!」
 思いっきり叫ぶ。既に駄々っ子状態だと思った。藍兄ちゃんや斎兄ちゃんを困らせていたおれだと。でも、どうしても嫌だった。力が及ばないのではない、おれとは関係のない理由で昏を取り上げられるのは。
「おれ、嫌だって言ってないっ!帰りたいなんて言ってないっ!一度だって言ってないぞ!あれだってちゃんとやってるじゃないかっ。なのに、何でお前は一人で決めちゃうんだよっ!」
 悔しい。悲しい。入り交じった感情。胸ぐらを掴む拳がぶるぶると震える。更に力が入った。
「おまえといたいのっ!」
 叫んだ。これが一番の気持ち。どんな事情や感情やその他諸々を全部抑え込んでしまえる、おれの一番強い意志。
「・・・・は・なせ・・」
 言いたいことを喚き散らし、ぜいぜいと息を整えているおれに、昏が呻いた。苦しそうな声。病人の胸ぐらを締め上げていたことを思いだす。慌てて手を離した。どさりと落ちた昏が、軽く咽せる。
「お、おれは謝んないからなっ」
 罪悪感いっぱいのくせに、強気で言った。だってあいつが悪い。
「おまえが一方的に決めつけるからだぞ。おれは、おまえといるんだっ」 
 こちらこそかなり勝手な言い草だと思う。だけど、これは譲れなかった。否。譲ってはいけない気がした。
「文句あるかよっ!」
 子供のケンカよろしく言い放つ。咽せ終えた昏がゆらりと起き上がった。ひどく不安げな表情で、おれを見る。
「・・・いいのか」
 ぼそりと訊いた。
「何がだよ」
「俺と、いるのか?」 
 昏の声は震えていた。
「いるって言ってんじゃん!何度も言わせんなっ!」
 身構えて言う。こうなりゃ力ずくでも、ここに居座り続けてやる。
「そうか・・・・わかった」
 少しの沈黙の後、目を閉じ昏が言った。まだ迷いのある表情。しつこいと思ったけど無視した。とにかく任務に行ければいい。任務を成功させれば、誰が何と言おうとおれ達は「対」だ。
「お前・・・・無理矢理だな」
 ため息混じりにあいつが告げた。諦めと迷いの入り混じる顔。それでも、少しだけふっきれたように見えた。
「ふん。お前こそ無理矢理だったくせに」
 痛いところをわざと突く。昏は複雑な顔をしていたが、そろそろと起き上がった。よろよろとした足取りで銀生さんの荷物のもとに行き、何かごそごそと探っている。
「なんか食うんなら、藤おばちゃんち行ってこようか?」
 気になって尋ねてみた。あの簡易栄養食とかいうやつよりは、おばちゃんの弁当の方がましな気がしたから。
「いや・・・今はいい」
「ええっ、食わないの?」
「一晩胃を休める。藤食堂には明日の朝いけばいい。手伝ってくれ」
 そう言って振り向いた昏の腕には、五百ccの点滴ボトルが二本抱かれていた。
「な、何すんの〜?」
 ビビりながらも訊いた。点滴って、お医者さんみたいに。まさかそれ・・・・。
「取り敢えず二本。今の弱った胃から摂るより、このほうが早い」
「でも痛いじゃんっ」
 抗議してみる。実は、注射は大きらいだ。
「大丈夫だ。注射針は自分で刺す。お前は駆血を手伝ってくれ」
 手早く準備をしながら、昏は言葉を返した。会話がすれ違っている。それでも、しゃべれるだけよかった。
「自分で点滴なんて、昏ってヘン。銀生さんがマゾっていうのもわかるよな」
「うるさい。あいつが必要時にやらないから、自分でできるようになっただけだ」
「はいはい。じゃ、サービス。寝るんだろ?布団敷いてやるよ。あ、でも今日はナシだよな」
「銀生みたいなことを言うな。あの性格は二人いらない」
「いいじゃん、楽しいと思うぜ」
 憮然とする昏の横を通り過ぎ、おれは押し入れに手を伸ばした。