今、ここに在ること by (宰相 連改め)みなひ ACT17 今までのあいつもわからなかったが、今のあいつは更にわからない。 どうして碧は、俺といるのだ。 「起きろよ。藤おばちゃんとこいくぞ」 ぺしぺしと頬を叩かれた。空色の目が覗きこんでいる。むっつりと起き上がった。 「おまえ、最近寝起き悪いな。前はやたらと早く起こしたくせに。夜更かしばっかりしてるからだぞ」 俺の不機嫌をものともせずに、ずけずけと碧は言った。自然と眉間に皺が寄る。いったい、誰のせいで眠れないと思っているんだ。 「それじゃあ、玄関で待ってるからな。早く支度して来いよ」 びしりと指を差し命令される。どこまでも強気な態度。納得できない俺をよそに、あいつは玄関へと消えた。 碧を「昏」の力で抱いてから、十日が過ぎようとしている。 自分で宣言したとおり、碧は家に帰ろうとしない。それどころか、ここでの生活に完全に馴染んでしまった。 もともと適応能力に秀でているとは思っていたが、まさかここまでだったとはな。 果たして適応能力だけでこうなっているのか不明だが、碧はマイペースだ。毎日言いたいことをいい、やりたいままにやっている。 「昏!早くしろよっ。おれ、腹へってんだからっ」 玄関で碧が怒鳴っている。どうやったらあれだけ元気でいられるのか。俺には理解できなかった。 ひょっとしないでもあいつにとって、俺とのことは大した問題じゃないのかもしれない。 服に手を通しながら思った。途端に言いようのない気持ちになる。あれだけのことをしたのに相手には意にも介されないなどと、そういうことは信じたくなかった。だけど。 碧の変わらない(というか、むしろ更に強気で活気づいている)態度は、俺を当惑させるばかりだった。 闇討ちくらいあると思っていたのだがな。 ため息を落としながら鏡を見る。鏡の中には困り切った自分。打ち消すように顔を洗った。 最初、碧がここに残るのは俺に仕返しする為だと思っていた。油断した時や眠っている時に、俺の命を狙ってくるのだと。が、しかし。 今までの時点で、あいつにその素振りは全くなかった。殺気さえ感じない。ためしにわざと気を緩めたり、結界を解いたりしてみたのだが、碧は仕掛けてこなかった。だから更に混乱している。普通、俺の知る範囲では、自分に害を成した者と平気で暮らすことは難しい。それがどんな小さな害でも、心にわだかまりはできるはずだから。ましてや、俺が碧にしてしまったことは、心身ともにひどく傷つけるはずの内容だ。なのに碧は動かない。俺から離れず、俺との生活に順応して暮らしている。 「すまない。待たせた」 「おっそいなー。まあいいや、行こっ」 あいつがくるりと踵を返した。玄関から走り出す。元気いっぱいな足取りで。俺も後を追った。 「今日は何にしよっかなー」 食堂への道を走りながら、ウキウキとあいつが言う。碧を抱いた翌日より、俺達は二人で藤食堂に通っていた。理由はなんでもない、あいつが言ったのだ。「おまえが弁当買うとこ、行ってみたい」と。 藤食堂に行った碧は、おかみと料理をひと目で気に入ってしまった。おかみもあいつを気に入ってくれて、初日で碧はその場に馴染んだ。俺とは比較にもならない、順応力の現れだった。 「藤おばちゃんの料理ってさ、和風の煮物も捨てがたいけど、洋風のハンバーグとかもいいんだよなっ。おまえ、今日は何にすんの?」 怒りも怖れも蔑みもない顔で、碧は俺に尋ねる。まるで友達に向けるような、無邪気な笑顔で。向けられた俺は苛立ってしまう。どうしてなのかが理解できなくて。 違うだろう。 お前が俺に向けてくるのは、その顔じゃない。 「藤食堂の朝定食は握り飯と味噌汁と漬物だ。余分なものを頼めばおかみの負担になる。ただでもおかみは忙しい。見てわからないか」 「あ、そっか。そうだよな」 八つ当たりのように投げた返事は、あっさりと同意された。肩すかしをくらった気になる。戸惑う俺を気にもせず、碧は走り続けていた。 「あーっ、もう限界。腹へって死にそう。昏、急ぐぞ」 あいつがスピードを上げる。俺は無言でそれに続いた。 「いいねぇ。ようやく息が合ってきたじゃない。やっぱ、夜の生活がものを言うって感じ?」 訓練を眺めながら、にやにやと銀生が言った。俺はひたすら無視する。いちいち、奴に構っている暇はない。 「ほんと?やったあ」 碧が嬉しそうに駆け寄った。にっこりと笑っている。銀生はなでなでとあいつの頭を撫でた。 「ねえねえ銀生さん。じゃあさ、おれ達『対』になれるかな」 「なれるんじゃない?ねえ?昏」 喜ぶ碧に銀生が言った。こっちに振ってくる。全てはお前次第だと暗に示して。忌々しいと思った。 「確かに気は同調してきた。しかし、それだけでは足りない。術が俺に追い付いていない」 「わかってるよ、そんなの。これからやればいいじゃん」 「大丈夫だよー。碧のパワーは並じゃないからね。昏、それはお前も知ってることでしょ?」 ああ言えばこう言う。口の減らない奴が二人。疲労も二倍になっていた。 「度々暴走するような力は、危険以外の何者でもない」 「そうだよねぇ。それも、お前が一番知ってることだよね」 面白そうに銀生。揚げ足を取られた気になる。今までずっと思ってきたが、やはりこいつはやな奴だ。 「でもさ。おまえの気、すっごく合わせやすくなったぜ。前はウナギかドジョウみたいに、ひゅるひゅる逃げちゃったのに」 にっこりとご機嫌な顔で、碧が言った。俺は眉を顰める。 「当たり前だ。わざと同調しやすいよう調整している」 「ふうん。意地悪はやめちゃったわけだ」 「うるさい」 ぎろりと銀生を睨んだ。だが奴は動じない。それどころか、嬉しそうに切れ長の目を細めた。 「そろそろ腹減ってきたなー。ねえ銀生さん、ちょっと早いけど昼飯にしていい?」 銀生と俺の会話を全く聞いてなかっただろう、碧が言った。もう練習場の外へと足が向いている。俺はため息をつき、銀生のほうを見やった。銀生は普段と変わりない様子で、「いーよ」と間の抜けた返事を返した。 「今日はおれが買いにいくよっ。うーんと、何弁当にしようかなー。昏、おまえは何にすんの?」 朝と同じことを悩んでいる。よっぽど食うことが大事らしい。俺は二人分の弁当代を手渡しながら、「日替わりでいい」と言った。 「じゃあな。すぐ帰ってくるからっ」 大きく宣言して、碧が駆け出してゆく。やはり元気だ。あの明るさはどこからくるのか。「カラ元気も元気のうち」という感じでもない。 「うまくやってるじゃない」 見送る俺に銀生が言った。どういう意味で言ってるのか。じろりと睨んだ俺に、銀生はやれやれとため息をついた。 「お前ってさ、どうしてそう素直じゃないかね?喜べばいいじゃない。お前の能力もヤられちゃったことにも関わらず、碧はお前と一緒にいる。望んでたことでしょ?」 見透かしたような笑み。必要以上にいらつく。そんなに簡単にいくかと思った。 「違う。俺はそんなことを望んでない。あいつには何か、目的があるんだ」 「『目的』ね。やだねぇ、疑り深いったら。捩じくれすぎじゃない?」 「黙れ。お前に言われる筋合いはない」 憮然と言い返せば、銀生はにやりと片頬で笑んだ。煙草を取り出して火をつける。深く吸い込んだ。 「俺は気にしないね」 白い煙を吐き出しながら、銀生は言った。言葉を継ぐ。 「たとえ殺意があっても、俺だけを見ている。俺は、そういう奴が好きだよ。殺意なんてどうでもいい。肝心なことは、よそ見しないで俺を見ているってこと。わかる?」 わかりたくもなかった。できれば、碧の敵意は受けとりたくない。今では、そう言える資格もないが。 「あいつが何考えてんのか視てないけど、それほど複雑なことができる奴じゃないと思うね。おそらく、なーんも考えてないと思うよ。俺の相手と違ってさ」 「誰か仕掛けているのか?」 気になって尋ねた。そういえば、過日の盗み聞きした輩も気になる。俺や銀生を狙ってくる位は構わないが、碧が危険にさらされるのは避けたい。 「仕掛けてるよー。かなり切れる奴みたい。でも、お前と同じだね」 「何だ、それは」 「だって同じなんだもん。よく似てるよ。自分で終わっちゃってるからねぇ」 自己完結だと言いたいのか。ムッとする俺をよそに、銀生は楽しそうに笑った。それは、久しぶりに見る狩りの顔だった。 「とりあえずはさー、お前は動かなくていいから。碧も気にしなくていい。狙われるのは、お前か俺だよ」 その言葉には安心した。ならいい。俺は碧だけで手一杯だ。あいつの真意を突き止めなくては。 「ただいまー」 碧の声が聞こえる。 「帰ってきたようだねぇ。さ、お仕事しましょうか」 のんびりとした銀生の声。俺は無言で頷いた。 銀生×藍連動作『禍事』ACT8へ |