今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT18
 
 昏の水鏡になる。
 あいつの「水鏡」になって、「御影」の宣旨を受ける。
 「御影」の宣旨を受けて、立派なエージェントとして認められて稼ぐ。
 それが、おれの一番の目的。

 眠る頬をぺしぺしと叩いた。以前では出来なかったことを堪能する。 
「起きろよ。藤おばちゃんとこいくぞ」
 まだ眠そうな顔を覗きこんだ。漆黒の目がうるさそうに開いて、昏が目を覚ました。
「おまえ、最近寝起き悪いな。前はやたらと早く起こしたくせに。夜更かしばっかりしてるからだぞ」
 これみよがしに言ってやる。あいつがむっつりと起き上がった。眉間にくっきりと皺。ざまあみろ。毎晩遅くまで何してんのか知んないけど、何やったって無駄だよ。おれは帰らないからな。
「それじゃあ、玄関で待ってるからな。早く支度して来いよ」
 早く起きた優越感ばっちりで、おれは昏に命令した。あいつが憮然と見つめる。おれはその顔をしっかり確認して、玄関へと向かった。
 あれから十日が過ぎようとしている。
 おれは自分の宣言どおり、桐野の家には帰らなかった。最初の数日間、昏は帰れとか言っていたが、おれは徹底して無視し続けた。おかげで今はほとんど言わない。やっと諦めたようだ。
 まったく、融通効かねぇよな。さっさと切り換えろってんだ。
 半ば呆れながら思った。あの日以来、昏は思い悩んでいるようだ。おまけに、自分のしてしまったことをひどく後悔しているらしい。
 いつまでくよくよしてんだよ。やっちゃったもんは、しかたないじゃんか。
 被害者のおれが言うのはなんだが、早く割り切ってしまえよと思う。昏が後悔しているからと言って、おれはされたことを帳消しにする気はない。むしろ、その分あいつから取り返してやろうと思っている。だからこそ、いつまでも一所でぐじぐじ悩まれても困るのだ。
 遅いな。
 空腹がさらに濃くなってくる。たまらず、大声で怒鳴った。
「昏!早くしろよっ。おれ、腹へってんだからっ」
 奥の間からいらえはなかった。代わりに急ぐ気配。なんだよ、ちゃんと聞いてるんじゃないか。ちょっと安心しながら、おれは昏を待ち続けた。 
「すまない。待たせた」
 数分後に現れたあいつが、ぼそりと言った。
「おっそいなー。まあいいや、行こっ」
 おれは余裕で返す。踵を返して走り出した。朝飯を摂る為、藤食堂へと向かう。その場所へはあの日の翌日から通っていた。
「今日は何にしよっかなー」
 道すがら、嬉々としておれは言った。藤おばちゃんの料理はおいしい。自分も連れて行ってくれるよう、昏に頼んで本当によかった。
「へええ、きれいな子だねぇ。碧ちゃんて言うの。あたしゃ藤だよ。よろしくね」
 初めておれを見た時、藤おばちゃんはそう言った。おれを嫌がるそぶりもなくて、普通に接してくれた。言葉も作るものも表情もあったかくて、おれはひと目で藤おばちゃんを気に入ってしまった。
「藤食堂の朝定食は握り飯と味噌汁と漬物だ。余分なものを頼めばおかみの負担になる。ただでもおかみは忙しい。見てわからないか」
 朝飯のメニューで迷うおれに、昏はぴしりと言った。少しいらだっている。そういう言い方はないじゃんかと思うけど、あいつが言うのは正論。食堂は藤おばちゃん一人で切り盛りしている。そうだよなと納得した。
 いいけどね。おれ握り飯好きだし。どうせ握るのはあいつだし。
 後で知ったのだが、昏の家で毎朝食べていた握り飯は、全部あいつが握ったものだった。
 今日は何の握り飯かな。そうそう、あの日に食ったの、うまかったよな。
 ふと思いだした。あの朝のしゃけ握り。斎兄ちゃんと同じ作り方だった。更に、腹が減る。
「あーっ、もう限界。腹へって死にそう。昏、急ぐぞ」
 大きく宣言して、おれはスピードを上げた。


 あの日以来、訓練の様子も変わった。
「いいねぇ。ようやく息が合ってきたじゃない。やっぱ、夜の生活がものを言うって感じ?」
 にやにやと笑いながら銀生さんが言った。おれは嬉しくなる。はっきりとした手応え。最近とみに、あいつとうまく同調出来ていた。
「ほんと?やったあ」
 上機嫌で駆け寄る。しぜんと顔が緩んだ。銀生さんが頭を撫でてくれる。おれは調子づいて訊いた。
「ねえねえ、銀生さん。じゃあさ、おれ達『対』になれるかな」
「なれるんじゃない?ねえ、昏」
 いつもの調子でのんびり答えて、銀生さんは昏を見た。あいつがぶすくれている。はっきりと見える不機嫌が、なんか面白く思えた。
「確かに気は同調してきた。しかし、それだけでは足りない。術が俺に追い付いていない」
「わかってるよ、そんなの。これからやればいいじゃん」
「大丈夫だよー。碧のパワーは並じゃないからね。昏、それはお前も知ってることでしょ?」
 すかさず反撃。銀生さんも加勢してくれた。あいつの不機嫌が更に濃くなる。
「度々暴走するような力は、危険以外の何者でもない」
「そうだよねぇ。それも、お前が一番知ってることだよね」
 往生際の悪い昏を、銀生さんがやり込めた。あいつがぐっと息を詰める。ざまあみろ。なんだか楽しくなる。まっすぐ返ってくる昏の反応。それまでの人形みたいな無関心より、よっぽど気持ちがいいと思った。
「でもさ。おまえの気、すっごく合わせやすくなったぜ。前はウナギかドジョウみたいに、ひゅるひゅる逃げちゃったのに」
「当たり前だ。わざと同調しやすいように調整している」
「ふうん。意地悪はやめちゃったわけだ」
「うるさい」
 誉めたつもりで言った言葉は、ぴしりと返されてしまった。すかさず銀生さんが揶揄う。昏が銀生さんを睨んだ。やっぱり、前はわざと逃げてたのか。ということは、あのことが効いてるんだよな。

 こういうの、「ケガの功名」っていうのかな。
 うーん、考えるの苦手だ。

「そろそろ腹減ってきたなー。ねえ銀生さん、ちょっと早いけど、昼飯にしていい?」
 空腹にまかせて訊いてみた。オッケーの返事が出される。ラッキー、休みだ休みだ。
「今日はおれが買いにいくよっ。うーんと、何弁当にしようかなー。昏、おまえは何にすんの?」
 ウキウキとあいつに訊いた。昏は仏頂面のまま、「日替わりでいい」と金を手渡した。手のひらの金を見ておれは気付く。それが二人分であることに。
 
 あーあ、また「奢り」だよ。
 まいっか。

「じゃあな、すぐ帰ってくるからっ」
 大きく宣言して、おれは駆け出しだ。


「はい。おまえが日替わり。おれがエビフライスペシャル弁当ね」
 弁当を買ってきたおれは、がさりと袋を手渡した。昏が中をあらためている。日替わりを取り出した。
「おーっ、そっちの弁当、豪勢だねぇ。値段、昏の倍くらいするんじゃない?」 
 銀生さんが覗きこんだ。
「へへっ、新メニューなんだって」
 自慢げに言って、ほくほくと弁当を取り出す。「本当はあんたより、昏ちゃんがこれ位食べてくれればいいんだけどねぇ・・・・」とか藤おばちゃんが言っていたけど、そんなの気にしない。
「さっさとメシに行け」
 昏が銀生さんを追い払っている。
「はいはい。お邪魔虫は消えますよ。二人だけのランチタイム、ゆっくりねー」 
「早く散れ」
「ん、もう、冷たいんだから。じゃあねー」
 言いながら銀生さんが印を組む。一陣の風と共に消えた。見送っていたおれは、自分の弁当に目を落とした。ちろりと昏を見遣る。昏は食べ始めていた。
 今日も金、受け取らないんだろうな。
 あの日以来、昏は朝夕の食事代も昼の弁当代も請求しなかった。それどころか、出しても受け取らないし藤食堂でもいつのまにか払っている。全部「奢り」だった。
 奢って当然だとは思ってたけど、こう何日も衣食住全部ってのはやだよな。
 バツ悪く思う。おれは昏の水鏡になりたいんであって、被保護者になりたいんじゃない。こんなの、全部負担の「お荷物」みたいでいやだ。
 かといって、あいつを言い負かすだけの頭と力はないし。
 今まで何回か、代金のことで問答した。その都度、俺の頭はあいつの論理について行けず、押し切られてしまっていた。おれをあんなめに会わせた罪悪感か何だか知らないけど、あいつはいつもに増して頑固だった。
 ともかく。金が駄目なら、なんかで支払わないとな。
 箸を止め、じっとりと昏を見る。あいつが視線に気付いた。
「何か用か?」
「いや、何でもない」
「そうか」
 ぎこちない会話。腫れものを触るような。おれはこれが欲しいんじゃない。おれがしたいのは、もっと昏に近づくこと。生身の昏に触れること。
 やっぱ、あれかなぁ。
 支払い方法に心当たりがないわけではなかった。ちょっと慣れないことだけど、それでおれが昏といられるのならば・・・・・。
 ま、今夜試してみるか。
 あいつがどう反応するかは知らない。乗るか怒るか退いてしまうか、おれには予想もつかない。でも今、考えられるのはこれしかない。
 あの時、頭の中に響いた昏の声。
『欲シイ』
 その声を頼りに、おれは一歩進むことを決めた。