今、ここに在ること by (宰相 連改め)みなひ ACT12 碧は帰らなかった。 迎えに来た義兄に、あいつは大きく言い放った。 「昏は『こんな奴』じゃないっ!」 おそらくは勢いで出た言葉だと思う。でも。 その言葉を俺にくれた者は、一人も存在しなかった。 だからこそ、巻き込んではいけない。 「しかし、本当にお前ん家に押しかけるとはねぇ〜」 腹を抱えながら銀生が言った。くすくすと笑っている。 「あいつ、単純だからいいよ。面白い」 久しぶりに俺達の監督に出てきたかと思えば、一傍観者になっている。もとはと言えば、お前が碧をそそのかしたくせに。 「笑い事じゃない。俺は困っているんだ」 憮然と告げれば、銀生は露骨に疑わしそうな目つきになった。 「本当に困ってるのー?その割にゃ、仲良くやってるみたいじゃない」 「違う。仲良くなどしていない」 「そう〜?昼飯、買いに行かせちゃってるくせに」 にやにや、意味深な笑み。ただでも感じる不愉快が増悪した。どうしてそう、なんでも都合のいいように考えられるのか。 「碧が行くのは今日が初めてだ。それに、あいつはお前の分も買いに行っている」 「そうなの。じゃ、それまではずっと、お前が買いに行ってたんだ。やさしいねぇ」 「うるさい!」 ついに声を荒げてしまった。だけど、銀生は気にもしていない。否、むしろ楽しんでいるのだ。俺が動揺していることを。 「ま、あいつはあいつなりに考えてやったんだろうし、いいじゃない。で、どうだったの?」 ちろりと目をやられた。それが意味していることに気付いて、思いっきり睨み返す。全く、自分と一緒にしないで欲しい。 「何よ、その目は。ということは、まだやっちゃってないんだー」 「当たり前だ」 「どしてよ。やり方がわからない、ってことはないよね。いっぱい覗かせてあげたでしょー?」 「好きで見たわけじゃない!」 思わず叫んでしまった。誰がこいつのプライベートなど見たいものか。「訓練」と称した実戦に俺を放り込み、房事の場所から遠話で指示したくせに。いくら、「昏」同士で同調透視ができるとはいえ、非常識極まりない行動。俺が、それにどれだけ苦労させられたと思っている。 「あーあ。素直にならなきゃ損よ。お前、あいつが欲しいんでしょ?」 図星を指されて目を見張った。読まれたのか。心は遮蔽していたはずだ。 「別に読んだわけじゃないよ。それだけ態度に出てたら、誰でもわかるって。本当、お子さんなんだから」 苦笑しながら銀生。子供を宥めるように言われた。それがひどく、癇に障る。 「俺があいつをどう思おうが、お前に関係ないことだ」 「うーん、そうはいかないんだけどねぇ。俺、一応、お前の監視者だし」 「なら、ちゃんと四六四中見張ってろ!俺が狂ったり、死んだりしないようにな!」 やけになって叫んだ。どうすればいいのだ。俺は残された「昏」として、お前達の言う通りにしてきた。これ以上、何を望むというのだ。 「あらら、早くも煮詰まっちゃってるねぇ。昏、もっと楽に考えたら?碧のことは碧に決めさせればいい。全てはあいつの『器』次第だ。『昏』でも『お前』でも、受け止める『器』がなきゃ、勝手に離れてゆく。それだけ。お前はさ、ただ、それが見たくないだけでしょ?」 「黙れ!」 言葉と同時に印を組んだ。砕破。銀生の座っていた岩を粉々に砕く。 「はずれ〜」 第二波を放とうとした時、知ってる気を感じた。碧だ。 「残念。時間切れだったねぇ」 のんびりと出された言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。悔しい。しかし、どうにもできない。仕方なく、近づいてくる碧に目をやった。 「ただいま。買ってきたぜ、ほらっ」 あいつはほくほくとビニール袋を開いた。 「お前。これ、インスタントラーメンじゃないの」 「へへへ、だって食べたかったんだもん。これがスーパー豚みそキムチで、こっちがスーパー紅しょうがとんこつ、そしてあっちが・・・・ああっ!」 碧が急に叫んだ。何か気付いたらしい。 「どうしよう〜!鍋がないっ。コンロもっ」 「ばっかだねぇ。お前、何も考えてないでしょ」 わめくあいつに、銀生が呆れたように言う。 「せっかく買ってきたのに〜」 「はいはい。なーんせ俺達の仕事場は、元独身寮だからね。あるよ。鍋もコンロも。もちろん、ラーメン鉢もね」 殆ど半泣きの碧に、片目を瞑りながら銀生は告げた。一転。碧の表情が変わる。 「よかった〜。なら、早く行こうよ。銀生さんっ」 喜色満面なあいつが、銀生の腕を引っ張ってゆく。俺は連れ立つ二人の後ろ姿を見ながら、後を追った。 その日の昼、俺達は元独身寮の集会室で、銀生の作ったインスタントラーメンを食べた。銀生がスーパー豚みそキムチ、碧がスーパー紅しょうがとんこつ、そして俺がスーパーはっきり生醤油だった。 「え?もういらねぇの?だったら、おれにちょうだい」 半分ほどで吐き気を覚えてしまった俺の残したラーメンを、あいつはうまそうに平らげた。 「おまえ、しつこいの嫌いだったの。なら、次はスーパーあっさり鶏がらにするから」 そう言って碧は笑った。俺は何とも言えないような気持ちを抱えながら、あいつの声を聞いていた。 碧と暮らして数日が過ぎた。 『なんとかしなくてはいけない』 その気持ちは持ち続けていた。けれど、あいつは思ったよりも適応能力に長け、みるみる間に俺との生活に馴染んでしまった。なのに、俺の方は・・・・・。 あいつと暮らす。 それが、これ程俺を侵食してゆくものだとは、思ってもみなかった。 「ただいま〜」 戸を開けて俺の家に入る時、碧は毎回そう言った。 「別に言う必要はない。この家には、俺達だけしか住んでいない」 疑問に思って事実を述べれは、碧はにかりと笑って返した。 「いいのいいの。こんなのは気持ちの問題じゃん。おれは言いたいから言ったの。それに、帰ってきて何もなしじゃ、なんか寂しくなんない?」 尋ねるあいつに、俺は何も言わなかった。言えなかったのだ。 「ただいま」の一言。 その一言で、俺はいかに自分が孤独であったか思い知らされた。 「おれ風呂洗っとくから、代わりに洗濯してくんない?洗濯苦手なんだ。水組み面倒くさいし」 「水術を使えばいいだろう」 「ああっ、それって名案〜!なぜ気付かなかったんだろう」 「考えてないからだ」 自分で洗わなくなった風呂。二人分になった洗濯物。変わってしまった俺の「習慣」。それらの全てが、ごく当たり前のものになってゆく。あいつなしでは成り立たないものに。いつかは、なくなってしまうのに。 「なあなあ。今日の弁当、おかず何なの?」 「さあ。日替わりだからな」 「ふーん。まいっか。嫌いなのがあったら、取り替えっこしようぜ」 二人で食べる食事。時折ひょいとこちらにやられる、あいつが苦手なおかず。(でも「自分で食え」と、毎回碧に返す) もっとも恐ろしいのは、自分がそれに慣れ始めているということ。 慣れてしまってはいけない。 いつか、こいつも離れて行くのだ。あいつのように。 思いだした。 ほんの僅かな間、一緒に暮らした。 碧はあいつに似ている。否。あいつが碧に似ているのかもしれない。 それは、傷ついた柴の子犬だった。だいぶん大きくなっていたそいつを、俺は碧と出会った森で見つけた。後ろ足が一本折れており、子犬は歩くことが出来なかった。そいつを家に連れて帰ってしまったのは、碧と引き離されたばかりで寂しかったからかもしれない。それでも世話役の爺は、何も言わずに家においてくれた。 俺は子犬に名前はつけなかった。いつか離れてゆくと思っていたから。 そんなに汚れてなかった毛並みが、そいつには帰る場所があることを示していた。 子犬は活発で、大人しくさせるのが大変だった。だれかれ構わずきゃんきゃんと吠え、何度銀生に絞められそうになったかわからない。(銀生は「遊び」だったらしいが) また、あいつは自由奔放だった。窮屈なのを嫌い、抱こうとすると必ず手を噛む。なのに、飯をやる時は尻尾を振って駆けてきた。大食らいでわがままいっぱいな子犬。それでも、眠るときは俺の傍で眠った。 ある日、子犬は家から姿を消した。銀生は気で探せばいいと言ったが、俺は探さなかった。折れていた足は完治していたし、身体も一回り大きくなっていた。だから、大丈夫だと思った。そして何より、俺は犬がどこへ行こうとしていたかを知っていた。 犬は帰りたかったのだ。自分の「主人」のもとへ。 わかっている。 碧もいつか帰る。自分を待つ者の所へ。でも。 その「いつか」を待っていたら、俺が耐えられなくなってしまう。 碧の「不在」に。 「お前は『御影』本部に入ることができればいいのか?」 そろそろ限界だと感じた夜、俺は碧に訊いた。 「なんだよ。それってどういうこと?」 怪訝な顔で碧が聞き返す。俺は言葉を継いだ。 「お前は言った。『水鏡』になって『御影』で金を稼ぐと。ならば、俺の『水鏡』でなくとも、『御影』に入ることはできる」 「でも上からの命令じゃ、おれはおまえの『水鏡』でないと、駄目みたいじゃんか」 「それくらい、『昏』の力で変えられる。銀生は厄介だろうが」 ひょっとしたら銀生と戦うことになるかもしれない。この首に刻まれた呪印の発動印を、銀生が組んでしまうかも。それでもいいと思った。呪印は俺の首を飛ばす。命が無くなった者の「水鏡」はできない。結果、碧は帰らざるを得なくなる。自分の世界に。 「どうだ?」 様子を窺う。この話にのって欲しい。願いをこめて碧眼を見つめた。 碧は黙って聞いていたが、真顔で一言、「やだ」と言った。 銀生×藍連動作『禍事』ACT5へ |