今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT11

 昏との生活が始まった。
 おれの知らないあいつを全部知って、あいつの水鏡になるんだ。


「おい、起きろ」
 いつもと違う声で飛び起きた。藍兄ちゃんじゃない。誰だ?
「早くしないと遅刻するぞ。洗面所はあっちだ。厠は向こう」
 見据える漆黒の瞳。藍兄ちゃんみたいな艶やかなそれじゃなく、もっと深い闇の色。加えて全く表情のない端整な顔。昏だった。
「えっ、なんでおまえがっ」
「自分のやったことも忘れたか。末期だな」
 ぴしゃりと冷たい言葉を投げて、昏がすたすたと戸口へ向かう。
「どこ行くんだよ!」
 むかりとしながら問えば、あいつはぴたりと足を止めた。すらりとした後姿。
「朝飯を調達してくる。昨夜の山鳥は、どっかの大食らいが食いきったからな」
 振り向かないまま皮肉を投げ、昏は外へと消えた。
 ちぇっ、けっこう根に持ちやがんの。
 おれは小さく舌打ちして、洗面所へと向かった。
 廊下。奥の間が二つに板の間。風呂に台所に厠。
 昏の住んでいる家は、質素な生活こそ窺えたが、桐野の家より重厚な造りをしていた。太い梁。部屋数の割に多い柱。窓には格子まである。
 なんか、重厚と言うより猛獣とか飼えそうな家だよな。
 しみじみ眺めながら思う。この家に他の住人はいなかった。あいつは、ここに一人で暮らしていた。
「支度はできたか」
 ようやく着替え終わった頃、昏が家に帰ってきた。手に何か持っている。握り飯だ。
「サンキュ、腹減ってたんだ」 
 竹の皮に包まれたそれを、食べようと手をのばした。すっと退かれる。目の前に手のひら。
「これなに?」
「またタダ食いするつもりか。朝飯代を払え」
「ちぇっ、けちんぼ」
 向けられた手のひらを恨めしく見る。なんだよ。昨夜はちょっといい奴だと思ったのに。
「いくら?」
 ポケットを探りながら訊いた。昏が代金を言う。しぶしぶその金額を払った。
 しっかし。昨日の鳥、うまかったよな。
 殆ど一人で平らげた焼き鳥を思う。昔、斎兄ちゃんがよく魚や鳥を焼いてくれた。その前にも、あいつが。
 
 あれ?
 あいつって誰だ?
 
 ふと気付いた。桐野の家に引き取られる前に、誰かがおれにメシをくれた。誰だったろうか。
「聞いてるのか?さっさと食え」
 握り飯が押しつけられた。受けとって頬張る。これ、しそわかめだ。
「うまい〜」
 ふっくらと炊かれたご飯を堪能した。固すぎず柔らかすぎす。昏の買ってくる弁当と、ご飯の味が同じ。
「この握り飯、すっげえうまいな!」
「そうだな。あと五分で出るぞ」
「えっ、そんな」
 慌てて飲み込み、ご飯をのどに詰める。四苦八苦で胸を叩いた。少しして、ため息と共に水が差し出される。もぎ取って水を飲んだ。よかった、なんとか飲み込めた。
 なんか、わっかんねぇよな。
 やっと整った息で、首をひねってみる。昏はわからない。いい奴かと思えば、急にやな奴になる。はっきりしない。
 まいっか。全部知ったら、どっちかわかるもんな。
 悠長なことを考えながら、おれは残りの握り飯を飲みこんだ。


 朝飯を済ませた後、おれ達は訓練場に向かった。相変わらずあいつの気はおれを躱し続けた。けれど。それでも少しずつ、おれはコツを掴んでいった。気の波長の変化させることを。あいつの気に近づくことを会得していったのだ。そして。 
 夕暮れ。
 結局その日は銀生さんが姿を見せず、おれ達二人だけで訓練を終えた。その帰り道。
「ひとつ、訊きたいことがある」
 ぼそりと昏が言った。
「なに?」
「お前の家の人は、何と言っている」
「え?何とって、何?」
 意味がわからず聞き返せば、昏は大きく目を見開いた。異様に険しい目で、おれを睨む。
「もしかして、無断で俺の所に来たとか言うか?」
「無断って、誰に・・・・ああーっ!」
 言いかけて思いだした。藍兄ちゃんに言ってなかった。
 忘れてた。
 冷や汗が背中に流れる。昏の家に入るのに必死で、兄ちゃんの存在を忘れていた。きっと、心配して怒りまくってる。
 逆上時の藍兄ちゃんを思いだしながら、おれは一生懸命考えた。どうしよう、いったん帰った方がいいだろうか。でもせっかく昏の家に入れたんだし。
「遅かったようだな」
 前方を指差し、昏が言った。おれはひきつる。昏の家の前には、腕を組んだ藍兄ちゃんが立っていた。
 うわ、まずい。
 藍兄ちゃん、怒ってるよ。
「兄ちゃん、どうしてここに・・・」
 おそるおそる訊いた。
「さあ、どうしてだろうな。どこかの無断外泊者が、ここにいるからじゃないか?」
 ニッコリと微笑みながら、藍兄ちゃんが質問に答える。やばい。これ、秒読み段階だ。
「ら、藍兄ちゃん、黙っててごめんな。おれ・・・」
「おまえだってもう、一人前だもんな。学び舎も卒業したし。別に、連絡なしで外泊くらい、したって構わないよな?」
 笑顔のまま、ひくひくと兄ちゃんのこめかみが震えている。もう駄目だと思ったその時。 
「見苦しいものだな」
 低音が響いた。昏だった。
「何を、『昏』がっ!」
「そうだ。俺は『昏』だ。だから、関わらないでくれ」
「来たくて来ているわけではない」
「ならば、来なければいいだろう」
 声を荒げる藍兄ちゃんに、あいつは冷ややかに告げた。ちょっとかっこいい。おれはどきどきと二人を見比べた。
「碧を返してもらおう」
 ぎりぎりと睨み付けながら、藍兄ちゃんが言った。昏は無表情を返す。
「わかっているのか?貴様のやったことは誘拐だ」
「藍兄ちゃん!違うって!」
 慌てて否定した。誘拐だなんて、兄ちゃんいきすぎっ。
「どうしようもないな」
 ふふんと鼻で笑いながら、昏が答えた。ぴきりと藍兄ちゃんのこめかみに青筋。きれいに浮き立つ。
「・・・・・何が言いたい」
「別に。どうしようもない者を、どうしようもないと言ったまでだ。それ以上の何ものでもない」
 藍兄ちゃんの怒りの言葉を、昏は次々と切り捨ててゆく。渦巻く空気に殺気。どうなるだろうとくぎづけになる。兄ちゃんも恐いが昏も負けてない。どっちが強いか、完全に怖いもの見たさの域だった。
「貴様に言われる筋合いはない」
「俺は俺の言いたいことを言ったまでだ。こいつは無断で押しかけてきた。とっとと連れて帰ればいい」
「ちょっと、たんまっ!」
 いきなり状況が変わった。ここで連れて帰られちゃ、昏のあれこれを知ることができない。せっかく昨日、痛い思いまでして家に入ったのに。
「おれは帰らないからな!」
 大きく宣言した。四つの黒い目が、じろりとこっちに向けられる。思わず怯みそうになった。意地になってふん張る。
「碧。帰れ」
「貴様が呼び捨てるな。碧、帰るぞ」
 黒髪二人は聞いてない。おれは更に主張した。
「決めたんだからな!おれは昏の水鏡になるんだ。『水鏡』になって、『御影』で稼ぐんだ!」
「なあ碧、何もこんな奴と組まなくても・・・・」
「昏は『こんな奴』じゃないっ!」
 言いながらあいつの腕を引いた。ぐいぐい玄関に引っ張ってゆく。中に入ろうとした。
「いいのか」
 戸口に手を掛けようとした時、昏が訊いた。
「帰らないと言い張るのなら、それなりの覚悟がいるぞ」
 確認。黒い瞳が尋ねる。
「うるさいっ、それがどーした!ごちゃごちゃメンドクサイこと言うなっ」
 ばしりと啖呵を切った。後には退けない。退くつもりもない。
「わかった」
 半ば諦めたように、昏が答えた。藍兄ちゃんの方を向く。
「そういうことだ。どうしても連れて帰りたいのなら、あんたが勝手にやってくれ」
 がらりと戸を開け、昏が中に入ってゆく。おれも続こうと思った。
「碧!」
 藍兄ちゃんが呼ぶ。かなり必死な声。
「大丈夫だよ。おれ、頑張るから」
 答えて中に入った。戸に手を掛ける。藍兄ちゃんが、呆然という感じで見ていた。
「じゃあね」
 ぴしゃんと戸を閉めた。外に兄ちゃんの気。動かなかった。
 ちょっと悪かったかな。せっかく心配して、ここを探し出してくれたのに。
 ふと見上げると、上がり口で昏がこっちを見ていた。じっと、無言で。
「夕飯、どうすんの?」
「後で弁当を買いに行く。もちろん、弁当代はもらうぞ」
「へいへい。わかってるよーだ」
 言いながらおれも中に上がった。歩き出す昏の背中を追う。後ろの兄ちゃんが気にならないでもなかったけど、帰る気はなかった。
 藍兄ちゃんの気配は、しばらく玄関を動かなかった。けれど。
 昏が弁当を買いに行く頃には諦めたのか、こつぜんと消えてしまっていた。

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