西日 by近衛 遼 ACT2 如月水木(きさらぎ みずき)は、和の国の「御影」であった。 「御影」とは和の国において、表沙汰にできぬ暗殺や工作などの特殊任務を専門に扱う部署の総称で、その任務にあたるエージェント個人を指すこともある。「御影」には通常、補佐として「水鏡」と呼ばれる術者が付くが、水木は「水鏡」としての才能もずば抜けており、単独で任務に当たることが多かった。 その水木が任務中に負傷して天坐の砦に逃げ込んできたのが、いまから六年あまり前のこと。当時、英泉は十一歳になったばかりだった。 はじめて見る他国の細作。それは、英泉がいだいていたイメージからはほど遠いものだった。 「なによ、この粥。もしかして、新手のゴーモン?」 宜汪の作った薬草粥を口にした水木が、秀麗な顔を思いきり歪めて言い放った。宜汪は苦笑しつつ、 「そんなに不味いかね」 「不味いに決まってるでしょ。人間の食べるモンじゃないって」 たしかに、その粥は苦みと酸味のきつい食べにくい味だったが、滋養強壮と疲労回復には最適の粥で、英泉も体調のすぐれぬときにはよくそれを食べていた。 「こんなのが三食続くんなら、あることないことしゃべっちゃおうかな〜」 匙を弄びつつ、ちらりと宜汪を窺う。 「『あること』だけで結構だが?」 自分のぶんの粥を食べ終えた宜汪が、さらりと返した。 「あらら、そりゃムリよ。これでもオレ、『御影』だし」 「それだけわかれば重畳。あとはゆっくり養生なされよ」 和の国の「御影」が槐の国内で活動している。その事実だけで、宜汪はなにがしかの情報を掴んだらしい。もっとも水木の方も遠回しに情報を流したかったらしく、そのあとは文句を言いながらも粥を口に運んでいた。 そして、いま。 水木はまたしても匙を左手で弄びながら、目の前の男を見据えている。 「最後になってイノシカチョウが続けて来るなんて、どう考えたってオカシイわよ、源宇」 罰ゲーム代わりの薬草粥を前に、愚痴る。 「そんな色っぽい目でにらみなさんなって。勘違いしちまうじゃねえか。だいたい、どーゆーわけでそんな形(なり)になっちまったんだい?」 「ふふーん。秘密よ、ヒミツ。知りたかったら、もうひと勝負しなさいよ」 「へーえ。てことは、俺が勝ったら、その『秘密』とやらを教えてくれんのか」 「そのかわり、掛金のレートは倍にしてよね〜」 「そりゃ暴利だぜ」 「アタシの秘密を教えてあげるって言ってんのよ。それぐらい安いもんでしょ」 色とりどりのメッシュの入った明るい色の髪をばさりとかきあげて、水木は婉然と微笑んだ。 場所は砦の広間。表向きの任務(和王の名代として親書を届けること)を終えた水木は、さっそく旧知の男たちと賭け事を始めたのだ。久しぶりのこととあって、円卓を囲んでわいわいと盛り上がっている。 天坐の砦は連山の砦の中でも自由な風潮が強く、公式の場でなければ上下関係などないに等しかった。年齢や身分を問わず、言うべきは言い、為すべきを為す。これは宜汪が砦を与ってから徹底させた天坐独特のルールだった。 「み……水木さんっ、秘密って、あの、まさか……」 すぐ横にいた黒髪の青年が、なにやら落ち着かない様子で水木の袖を引っ張った。 にわかには信じがたいが、この青年は水木の「対」だという。ひとりで「御影」も「水鏡」もこなしてきた水木が、まさかこんな気の弱そうな男と組むとは思わなかった。 「なによ、斎。アンタもまざる?」 「いえ、その、おれは賭け事はあんまり……」 「だったらジャマしないでよ。気が散るじゃないの」 「でも……」 「心配しなくても、まだ手持ちはあるわよ。それに今度の勝負は、たとえ負けたってこっちの持ち出しはないんだし」 「そっ……それがいちばん困りますっ!」 なにやら必死になっている。源宇はにやにやと笑いながら、 「ほーお。こりゃだいぶ面白い『秘密』が聞けそうじゃねえか。な、姐さん」 「姐さん? それってアタシのこと?」 「おうよ。ほかにだれがいる」 「ん〜、そういうのもいいわねえ。なんか仇っぽくて」 周りを取り囲んでいるギャラリーがどっと湧いた。 「よっ、姐さん。イケてるねえ」 「俺は姐さんが勝つ方に賭けるぞー」 ひとりが卓上に数枚の硬貨を置いた。続いて何人かも同じように金を出して、 「俺は源宇!」 「俺もだ。姐さんのヒミツとやらも聞きたいしなあ」 「レート、倍だろ? だったら、やっぱり姐さんだよな」 「………」 斎は完全に硬直している。 「よっしゃー、んじゃ始めるぜ」 自称「立ち会い人」の男が、手際よく花札を配り始めた。 九代目御門からの親書は、時候のあいさつ程度のものだった。 これぐらいなら文官が文遣いをしてもよさそうなものなのに。英泉は文筥を手に、小さくため息をついた。 たかが文遣いに御影本部の切り札とも称されている水木が来た。しかも「対」を伴って。 源宇が言っていた通り、こちらの動静を探りに来たのだろう。宜汪に封じられていた「呪」はどんなものだったのか。その後、天坐はどうなっているのか。 万一、天坐が砦としての機能を損ねていたとしたら、和の国は国境の兵を動かすつもりだったのかもしれない。その先鋒として、水木たちが投入された可能性はある。もっとも、いまの水木の様子を見るかぎり、少なくとも今回はその心配はなさそうだが。 「は〜いっ。これでアタシの勝ちよねー」 最後の一枚をぴしっと卓に投げて、水木は得意気に宣言した。 「やったなあ、姐さん」 「ちくしょー、こんなことなら、もっとたくさん賭けときゃよかった」 「源宇〜、おまえ、さっきまでの勢いはどうしたよ」 「姐さんの色香にやられちまったんじゃねえだろうなっ」 勝ち組、負け組、ともにテンションが上がっている。負けたうちのひとりが「もうひと勝負!」と言ったところで、広間の入り口から低く硬質な声がした。 「まもなく夕餉だ。皆、装束を改めるように」 赤茶色の髪と闇色の隻眼。守役の馮夷だった。 「げっ。もうそんな時間か?」 源宇があわてて札を片付けはじめた。 「今宵は和の国の礼に倣い、膳を供する。そのつもりで」 表向き、水木たちは和王の名代である。和の国のしきたりに準じて饗応するのは当然だが、彼らが到着したのは日の入りのころ。それから一刻ばかりのあいだに、膳の用意をしたのだろうか。 「馮夷、炊き屋の者たちに……」 「無用だ」 皆まで言う暇もなく、切り捨てられた。視線を合わすこともせずに出ていく。英泉はこぶしを握り締めた。 厨所へのねぎらいの言葉を伝えようとしただけなのに、なぜあの男は……。 「なーんか仰々しいことになっちゃったわね」 いつのまに、そばに来ていたのだろう。水木が苦笑まじりに言った。「対」の青年はいない。どうやら先に、着替えに行ったようだ。 「こんなことなら、アタシだけでこっそり遊びに来た方がよかったかも」 「以前のように、ですか?」 「そうそう。任務帰りに、よく世話になったもんねえ」 宜汪がいたころ、水木は東方の任務が早く片付くと、決まって何日か天坐に滞在してから帰国していた。なんでも、せっかく早めに帰還してもボーナスが出るわけでもなく、すぐまた次の任務を振られてしまうので、期限ぎりぎりまで遊んでから帰った方が得策だと考えていたらしい。 「でも、ちょっとホッとしたわ」 「え……」 「心配してたのよ」 薄い茶色の瞳がまっすぐに向けられた。 「あんたがここのトップになったって聞いて……ね」 ひっそりとした声で、水木はそう言った。 |