| 宿り木 by 近衛 遼 第二十八話 脅された男(『宵闇猫』第七話参照) 今夜は、きっとウチに来るだろうな。 冬威を送り出したあと、茉莉は思った。急な依頼があったからとはいえ、非番の日に叩き起こしたのだ。 『え? 眠い? 甘えるのもいい加減にしてくださいよ。そんなわがままばかり言うんなら、もうごはん作りませんからねっ』 飯を作らない、というのがいちばん効くと思って、思わずああ言ってしまった。予想通り、冬威は脱兎のごとく事務所に駆け込んできて、 『マリちゃん、オレ来たよっ。だから、ごはん作らないなんて言わないでっ』 ほとんどすがりつくような表情で、そう叫んだ。 正直、あれにはまいった。依頼人は何事が起こったのかという顔でこちらを見ていたが、ありがたいことにその点に関しては言及されなかった。 依頼人は田辺大亮(たなべ だいすけ)さんという建築士の人で、未成年の同居人が家出をしたようなので探してほしいということだった。以前、とある調査の折に、冬威は田辺さんの家に不法侵入した。インターホンを鳴らしても応答がなかったので、玄関の鍵を勝手に開けて(常日頃から、そーゆー道具を持ち歩いているらしい)中に入ったという。 経緯を聞きながら、心底、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。たしかに菅原事務所はなにかとアブナイ仕事が多いが、一般市民に迷惑をかけるのは最小限にしてほしい。苦情を聞いたり、あとで菓子折を持って謝りにいくのは、たいてい茉莉だからだ(まあ、ときには所長の菅原もついてきてくれるが)。 ともあれ、そんなトラブルを起こした冬威のところに依頼を持ってきてくれたのだ。これは逃す手はない。 茉莉は個人用の携帯電話で冬威を呼び出し、仕事に行かせた。五月組が関わっているようなことを冬威は言っていたが、大丈夫だろうか。一応、弁護士の加賀に連絡を取り、緊急に動いてもらうよう頼んでおいたが。 「あれえ、どしたんだ? 三剣」 言いながら、事務所に入ってきたのは藤堂だった。うしろに上中野もいる。ふたりはいま、最近頻発している雑居ビルの火災について調べていた。保険金を狙った放火の可能性が高いのだが、警察も実行犯が特定できず、このままだと多額の保険金が支払われることになる。 むろん、捜査中ということを理由に支払いを延ばすことはできるだろうが、某大手保険会社が不当に支払いを拒否していたことが明るみに出たこともあって、それも難しい。そんなわけで、保険会社は加賀弁護士を通じて、犯人探しを依頼してきたのだった。 「あ、おつかれさまです」 茉莉はあわてて、席を立った。コーヒーをいれるため、キッチンへと向かう。 「なーんか、元気ないねえ。今日は篁、休みだろ? またデスクワーク押しつけられたのか?」 藤堂が訊く。 「ったく、やつぁ、進歩ってモンがねえな。三剣に頼みゃ、なんでもやってもらえると思ってやがる」 上中野がぼやく。当たらずと言えども遠からず。いや、けっこう的を射ていることを言われて、茉莉はぎくりとした。 「そっ……そんなことはないですよ。篁さんも、このごろは報告書、書くようになりましたし……」 なにしろ茉莉が休みのたびに、高野豆腐やカボチャの煮物やブリ大根などをエサに、懇切丁寧に教えたから。 「簡単なヤマんときだけだろ。それも、ごくたまーに」 そうなのだ。単発の、飛び込みの仕事の報告書ならなんとか書けるようになったが、ウラのある複雑な依頼だと、いまだにお手上げ状態だ。全部完璧にできるようになるのは、いったいいつのことか。というより、そのためには、どんな「ご褒美」を用意しなくてはいけないのかと思うと、なんとなく薄ら寒い。 茉莉はコーヒーを手に、デスクに戻った。それぞれの好みのコーヒーを、ふたりに手渡す。 「で、なにがあったんだい」 上中野に訊かれて、茉莉は田辺大亮という人物の依頼について説明した。 「五月組〜? またかよ」 藤堂ががっくりとした様子で言った。 「ガッポリ儲かるか、思い切り持ち出されるか、どっちかだな」 上中野はごくりとコーヒーを飲んだ。眉間にはくっきりしわが寄っている。 「ですよねえ」 加賀がうまく、五月組とのあいだを調整してくれればいいのだが。 そんなことを考えつつ、茉莉はぼんやりと秋晴れの空を見上げた。 予想通り、その夜、冬威は茉莉の家にやってきた。 「こーんばーんは〜」 やたらと機嫌のいい声だ。どうやら、仕事はうまくいったらしい。 「こんばんは、篁さん」 とりあえず、三ツ星クラスの笑顔で迎える。冬威もにこにこ顔で入ってきた。 「今日のおかずは、なーにかなー」 「豚の角煮と大根サラダと鯛の赤だしです」 「うわあ、今日もご馳走だねーっ」 うきうきと、冬威は卓袱台の前にすわった。 「マリちゃんてば、もうごはん作らないなんていじわる言うんだもん。オレ、心配しちゃったよ〜」 「それは……失礼しました。緊急の依頼だったので」 ここは、下手に出ておいた方がいいだろう。茉莉は素直に謝って、料理を卓袱台に並べた。 角煮は圧力鍋で作った。大根サラダは、大根まるごと一本。鯛の赤だしの中にはミツバをたっぷり入れた。 業務用食品スーパー、ありがとう。つくづく、そう思う。あの店ができたおかげで、月末も財布とにらめっこをしなくて済む。 「いっただきまーすっ」 いつものように、冬威はほくほくと箸を運んだ。茉莉も一緒に食卓を囲む。 約一時間後。大皿に盛られた角煮とサラダがなくなり、ツルマル印の両手鍋で作った赤だしも底をついて、冬威は例によって卓袱台の横に転がった。 「あー、もう、おなかも心もぽっかぽか〜」 よかったな。できれば、そのまま頭もポッカポカになって眠ってくれたらうれしい。 食器を洗いながら、茉莉は思った。まあ、でも、今日はムリか。きのうまで数日間、ほとんど寝ずの張り込みのような仕事をしていて、やっと自宅に戻ってきたところを無理矢理起こしてしまったんだから。 茉莉は八畳間に蒲団を敷いた。 「篁さん、こんなところで寝たら風邪ひきますよ」 肩をゆすると、冬威は寝惚けたようにごろりと寝返りを打った。茉莉のひざにしがみついて、 「マリちゃーん」 「はい。なんですか?」 「愛って、やっぱりスゴイよね〜」 「はあ?」 なんの話だ。またぞろ、「真実の愛」とか言い出すんじゃないだろうな。いくらなんでも、アレは嫌だぞ。気を失ってからも………なんて。 「だーって、愛があれば、なんでもできるもん」 とても素面のセリフとは思えないが、この男ならそれもアリかもしれない。茉莉はふと、あることに気づいた。 「それって、もしかして今日の仕事のことですか?」 田辺大亮の真剣な顔を思い出す。 「そうだよー。きっといまごろ、オレとマリちゃんみたいに愛の語らいをしてると思うな〜」 愛の語らい、ねえ。語らいだけで終わればラクなんだけどな。 「ねえねえ、マリちゃん」 「はいはい。なんですか」 半ば惰性で訊く。 「子守歌、うたってー」 「子守歌?」 なにをふざけたことを。茉莉はまじまじと冬威を見た。しあわせそうな顔で目をつむっている。 これはどうやら冗談ではないようだ。いったい、どうしたのだろう。ただでさえ「精神年齢五歳」とか言われているのに、これではどう見ても「精神年齢三歳」だぞ。 いろいろ疑問はあったが、とりあえず一曲でも歌わないと納得してもらえそうにない。茉莉は仕方なく、小さな声で歌い始めた。はっきり言って、歌は得意じゃない。カラオケに行っても、もっぱらセッティングと飲物係だ。 音痴とまではいかないが、明らかに数カ所音がズレた。いくばくかの恥ずかしさを感じつつ子守歌を歌い終わると、冬威は静かに寝息をたてていた。 うわ。どうするよ、これ。 冬威は茉莉のひざに頭を預けたままだ。うっかり動かして、起こしてしまったら……。 茉莉は考えた。一か八か、体を引くか。それともこのままでいるか。 お盆に実家の旅館に泊まったときは、その類の行為をしないという約束ができていたからよかったが、今日はどうなるかわからない。一応、覚悟はできていたが、しなくて済むならその方がいい。 よし。決めた。人間、寝入り端は眠りが深いはずだ。いまのうちに、ひざを外してしまおう。 そろり。そろり。なるべく衝撃を与えないように。 茉莉は細心の注意を払って冬威から離れた。そっと寝かせて、蒲団を掛ける。 なんとかうまくいった。もしかしたら夜中に起こされるかもしれないけど、そのときはあきらめよう。先刻から思考がころころ変わっているが、それぐらい柔軟性がないと、この男とは付き合えない。 おやすみなさい。また、あした。 心の中でそう言って、茉莉は部屋の明かりを消した。 余談ながら。 結局、冬威は朝まで熟睡し、茉莉は夜中の急襲を受けずに済んだ。が。 「こんばんは〜」 翌日の晩。 「今日のおかずはなーにかなっ」 茉莉の家の玄関では、またまた冬威の元気な声が響いたそうである。 (THE END) |