| 宿り木 by 近衛 遼 第二十九話 気に入られた男 (『宵闇猫』シリーズ・『真冬の猫』参照) その日。三剣茉莉は、都内の某高級住宅街にある豪邸の一室にいた。 なんだ、ここは。三ツ星ホテルか? 大使館か? それとも鹿鳴館か? ……って、いつの時代のことを言ってるんだよ。 自分ツッコミも、そこはかとなく空しい。 冬威に頼まれてついてきたのはいいが、こういうところに来るなら来ると、最初から言ってほしい。茉莉は見事に、普段着だった。せいぜい、映画を見たあとにちょっと洒落たイタリアンの店に行ける程度の。 とはいえ、ここまで来て帰るわけにもいかない。冬威も仕事のときとたいして変わらない格好をしているし、この際、服装のことは考えないことにしよう。目の前にフォートナム・アンド・メイスンの香り高い紅茶と、三段重ねのケーキスタンドに盛られたアフタヌーンティーのセットが所狭しと並べられているにしても。 「遅いなー。いつもは『遅刻するのは精神がたるんでいる証拠だ』とか言ってるのに〜」 ウェッジウッドのティーカップで紅茶を飲みながら、冬威が呟いた。どうやら、この屋敷のあるじと知り合いらしい。 冬威はいろいろとウラ事情のある仕事をしている。それこそ、ヤクザから一国の大臣が関わるような案件まで。どんな「知り合い」かは知らないが、いまさら驚くこともないだろう。ただ、冬威はいままで、茉莉を現場に連れ出すことはなかった。それがどうして、今回は同行を求めたのだろう。 もっとも、茉莉もごく限られた業務ではあるが、事務員として以外の仕事もしている。それは、とある大企業との連絡役のようなもので、その方面においては機密に類する情報を扱うこともあった。 もしかして、この屋敷ってあの会社と関係があるのかな。 茉莉は思った。その大企業の名は桜井コーポレーション。もしここが、桜井コーポレーションの関連施設のひとつなら、自分が連れてこられたのも合点がいくのだが。 あれこれと考えている茉莉の横で、冬威はぱくぱくとサンドイッチやスコーンを食べている。 最近、冬威は外食のときもまっとうに食事ができるようになった。出会ったころは、味覚障害なんじゃないかと思うほどひどい食べ方をしていて、そのあとも茉莉がいろいろ世話をしないと、外で飲み食いできなかったのだが。 「ほう。やっと『人間』になったようだな」 いきなり、戸口から声がした。張りのあるよく通る声。 冬威は食べかけのサンドイッチを皿に戻し、ぴょこんと立ち上がった。なんだか、ゼンマイ仕掛けの人形のようだ。 「話は聞いていたが、じかに見るまでは信じられなくてな」 声の主は、白髪の老人だった。八十ぐらいだろうか。しかし、その眼光にも声にも、周りを圧する威厳がある。 「なにを突っ立っている。さっきはわしの陰口を叩いておったくせに」 どうやら、しばらく前から隣室にいたらしい。冬威は目を白黒させている。 こんな冬威を見るのははじめてだ。たぶん、藤堂や雛たちは知らないだろう。なんとなく得した気分でうれしい。 「さっさとすわれ。見苦しい」 「あ……あの、その……ずいぶんご無沙汰しちゃって……」 「そうだな。せめて、年に一度は顔を見せろ。正月は毎年、日本に来ているんだから」 日本に来ている? ……ということは、この老人は、ふだんは外国で暮らしているのか。 茉莉はあらためて、室内を見回した。このお城みたいな屋敷のほかに、まだ家を持ってるなんてすごいよな。昔、実家の旅館の常連だった某大富豪もあちこちに邸宅を構えていたらしいが、こういう人ってたくさんいるんだ。 それにしても、冬威はこの老人に対して妙に緊張している。そのくせ、口調は砕けてて。いったい、どういう知り合いなんだろう。 茉莉がふたりを見比べていると、 「ところで、三剣くん」 唐突に老人が、茉莉の名を呼んだ。 「はい」 茉莉も、冬威のようにぴょこんと立ち上がった。しまった。先にあいさつをするべきだったかな。でも、なんでこの人、おれの名前を知ってるんだ? 「よく来てくれた。一度、ぜひ会いたいと思っていた」 「え、おれに……いえ、私にですか」 茉莉は目を丸くした。 「それは、どういうことでしょう。こんなことをお訊きしては失礼かと思いますが、私はなんの説明も受けずに、ここに参りましたので」 率直に疑問を口にすると、老人は弾かれたように笑い出した。 「それはそれは……なんとも、すまんことをしたな」 なんとか笑いを納めて、老人は長椅子に腰を下ろした。 「まあ、おまえたちもすわれ。ああ、そうだ。茶を一杯いれてくれ。笑いすぎてのどが乾いた」 それを聞いて、茉莉はふたたび立ち上がった。脇のテーブルから新しいティーカップを取る。ティーポットの中には、まだ紅茶が入っていたが、少し渋味が出ているかもしれない。茉莉はティーポットのそばにあったホットウォーター・ジャッグ(お湯さし)の湯を少し足して、紅茶の濃度を調節した。 「お待たせしました」 お茶と砂糖壺とミルクジャーをテーブルに置く。老人はそれにミルクだけを入れて、口に運んだ。 「旨い」 ひとこと言って、カップを受け皿に戻した。 「冬威」 老人はちろりと、ななめ前にすわっている栗色の髪の青年を見遣った。 「おまえ、出し惜しみをしていたな」 「……」 冬威は固まっている。 「馬鹿者が。わしは息子のものを横取りするほど、落ちぶれてはおらんぞ」 「もの」ってなんだよ。「もの」って。そりゃ、いろいろ世話やいてるし、あっちの関係もあるけど…………って、ええええええっ??? 茉莉は、老人が発したある単語に気づいた。 息子だって? たしかに言ったよな? 聞き違いじゃないよな?? 茉莉は自問自答した。こいつ、親なんていたのか。いや、そりゃこいつだって木の股やキャベツから生まれたわけじゃないだろうけど。 「あの、ええと、篁さん。つまり、このかたは……」 そろそろと確認してみると、 「そうだよ」 ぼそりと、冬威は言った。 「この人、オレのオヤジ」 老人の名は、篁一馬(たかむら かずま)といった。 ふたりはたしかに親子であったが、血縁関係はなかった。あとから聞いたところでは、冬威が十二歳のとき、とある事情でそれまで暮らしていた児童施設を出ることになり、一馬が養親となって日本に連れてきたらしい。 一馬はほかにも、世界中の子供たちを養子に迎えていて、それぞれ第一線で活躍する人材に育てているという。その中で、荒事専門の興信所の調査員というのは、かなりの変わりダネなのかもしれないが、一馬はそんなことは気にも留めていないようだった。 「正月には、また来いよ。特別に祝儀をはずんでやる」 別れ際、一馬はそう言って笑った。 「今年はまたひとり息子が増えたからな。来年の正月にはそのお披露目をする。おまえもうれしいだろう。あんなかわいい弟ができて」 「そりゃまあ、馨(かおる)くんはかわいいですけどね」 その名を聞いて、茉莉は合点した。 馨というのは、以前、冬威が担当した調査で知り合った少年で、田辺大亮という男と同居していた。ふたりは恋人同士であったらしく、馨が家出をしたときに、田辺が冬威に捜索を依頼してきたこともあった。その後、いろいろな事情があって、馨が養子縁組をすることになったとは聞いていたが、その相手が冬威の養親だったとは。 「よかったら、三剣くんもな」 一馬は茉莉にも声をかけた。 「ありがとうございます。しかし、みなさんにご迷惑をかけてはいけないので……」 「メーワクなんてしないよー。また一緒に来てよ、マリちゃんっ」 自分ひとりで一馬と会うのは気が引けるらしい。 「篁さん。お正月とかお盆とかは、特別なものなんですよ。そういうときの家族の集まりに他人が混ざると、周りは気を遣ってしまいます」 「だって、マリちゃんは他人じゃないし……」 阿呆。こんなところで、不用意なこと言うんじゃねえ! 「篁さん」 茉莉はにっこり笑って、冬威の腕を引っ張った。そっと顔を近づけ、 「ふだんのごはんが要らないなら、正月ぐらい付き合いますけど?」 こっそりと言う。冬威はぶんぶんと頭を振った。なにやら必死の形相である。 一馬はその様子を見て、また呵々と笑った。 「いや、じつに面白い。おかげで寿命が伸びたような気がするよ。……まったく、あやつももう少し精進せねばな」 後半は独り言のようだった。 だれのことを言ってるんだろう。まあ、余計なことは詮索しない方がいい。茉莉は一馬に礼を言い、半分涙目になっている冬威とともに屋敷をあとにした。 その夜。 「ほんとに、これからもごはん作ってくれる?」 冬威は、何度も何度も確認した。 「作りますよ。今日も作ったでしょ」 あまりにしつこいので、だんだん投げやりになってくる。 「あー、やっぱりウソだー。マリちゃん、怒ってるもん〜」 「怒ってませんって」 「ほんと?」 「本当です」 「ほんとに?」 「本当ですってば」 「だって……」 こりゃダメだ。こうなったら、もうアレしかない。 茉莉はバシッと電気を消した。 「奥へ、行きませんか」 根性の裏ワザだ。 「怒ってませんから」 一瞬ののち。薄闇の中で、冬威の表情が変わるのがわかった。 「うん。行こ行こっ。マリちゃんて、やさしいねー」 なんとなく、うまく乗せられたような気もするが、まあいいか。このあたり、思考回路を素早く切り替えないとやっていられない。 こうして、午後十一時。八畳間の襖は静かに閉められたのだった。 (THE END) |