| 宿り木 by 近衛 遼 第三十話 紫のイモの人? 業務用スーパーって、やっぱりいいよな。 三剣茉莉はしみじみとそう思った。おかげでこのところエンゲル係数が少し下がって、貯金に回せる金額が増えた。貯金が趣味とまでは言わないが、通帳の残高が増えるのはうれしい。 今日の特売品は根菜類と豚肉と豆腐だった。サツマイモ五本二百八十円、ゴボウ五本百二十円、大根二本百円、金時ニンジン二本百円、豚肉こまぎれは百グラム五十八円。豆腐は一丁三十八円だ。 これで、豚汁とキンピラごぼうを山ほど作れる。あしたあたり、あの「トラブルプレイヤー」で「ロシアンルーレット」で精神年齢五歳の男が晩飯をタカりにやってくるはず。今日のうちに材料を切っておけば楽勝だな。もっとも、そのあとのあれこれはどうなるかわからないが。 こうして、茉莉が両手いっぱいの荷物を持って帰宅すると。 「あーっ、マリちゃん。遅かったじゃない〜。オレ、心配しちゃったよー」 その「トラブルプレイヤー」な男が、玄関の前にいた。 ……なんで、いまここにいるんだよ。茉莉はがっくりと肩を落とした。 こいつ、今日は徹夜で張り込みするんじゃなかったのか? たしか、借金踏み倒して逃げた男の潜伏先をマークして、身柄を確保するとか言ってたはずだが。 「あ、それね、もうカタついたから」 茉莉の疑問に、冬威はあっさりとそう言った。なんでも、その男が五月組の関係者だったとかで、若頭がきっちり始末をつけたらしい。 ヤクザの「始末」というと、どう考えても穏便に済んだとは思えないが、その点には触れない方がいいだろう。茉莉はそう判断して、なんとか笑顔を作った。 「そ……そうですか。よかったですね」 こころなしかぎこちない口調だったが、冬威はそんなことはまったく気にしていないようだった。 「ほーんと、よかったよー。おかげでマリちゃんのごはん食べられるし」 にこにこと、語を繋ぐ。 「今日のおかずはなーにかなっ」 「豚汁とキンピラごぼうです」 明日作るつもりだったが、こうなったら仕方ない。前倒しで作ってやる。 「わー、おいしそうだねーっ」 「いまから準備しますから、待っててくださいね」 「うんうん。待ってる〜」 スキップを踏むような足取りで、冬威は玄関に入った。思いきり機嫌がいい。こういう場合、流れを止めるのは思いきりマズい。 茉莉は買ってきた食材を調理台に置いた。超特急で作らねば。豚汁は圧力鍋で作ろう。ごぼうとニンジンはピーラーでささがきにして、調理時間を短縮するんだ。 脳細胞をフル回転させて段取りを確認し、茉莉は台所に向かった。 「キーンピラ、キーンピラ、まーだかなーっ」 いつものごとく、勝手に節をつけて歌っている。茉莉はその声を背に、調理に励んだ。 圧力鍋のおかげで豚汁は十五分で仕上がった。キンピラごぼうも煮詰める時間も入れて二十分あまり。ごはんは早炊きモードでも四十分近くかかったが、そのあいだにキュウリとワカメの酢の物を作ったので、じつに有効に時間を使うことができた。だが。 じつは茉莉は、自分的には思いきり失敗だと思っていた。まずは豚汁。 中に入れたサツマイモ。業務用スーパーで買ったそれは、じつは紫イモだった。金時芋と並んで売られていたので、つい間違えて買ってしまったのだ。味はふつうのサツマイモと大差ないが、色がまるっきり違う。紫イモを味噌汁に入れると、色素が解け出して濁った赤紫になるのだ。 で、次は、キンピラである。慌てて作ったために調味料の配合をまちがったらしく、通常の1.3倍ぐらいの濃さに仕上がっていた。 どうするかな。暫時、考える。 ぶっちゃけ、冬威は茉莉の作ったものならば、どんなものでも機嫌よく食べるだろう。それはわかっているのだが、だからといって自分が納得できないものを出すのは嫌だ。 茉莉は考えた。豚汁は、まあいい。色はともかく、味的には合格だろう。問題はキンピラごぼうだ。ここまで濃いと豚汁との相性も悪い。さて、どうするか。 しばらく考えて、茉莉はそれを卵とじにすることにした。卵は味をまろやかにするし、キンピラごぼうの卵とじで丼を作って豚汁と合わせれば、ボリュームたっぷりのメニューになる。 「お待たせしました」 両手鍋で作った豚汁と、具だくさんのキンピラごぼう丼を卓袱台に運ぶ。冬威は目をらんらんと輝かせて、ちょこんと座蒲団の上にすわった。 「うっわー、こんなの、はじめてーっ」 語尾に盛大にハートマークが飛んでいる。なかなかいい感じだ。このまま腹いっぱい食べてくれれば、あとはそれなりに流れていくはずだが。 「篁さんは、ゴマがたくさんかかってるのがお好きでしたよね」 キンピラごぼうの卵とじに、これでもかと煎りゴマを降りかける。冬威は大きく頷いて、 「マリちゃん、覚えてくれてたんだねー」 うるうるとした瞳を向けて、続ける。 「オレ、しあわせだよ〜」 はいはい。わかったから、さっさと食え。とりあえず食欲だけでも満足しておいてもらわないと、あとがタイヘンなんだから。 心の声は胸の奥に留め、茉莉は黙々と箸を運んだ。 「今日のお味噌汁、きれいな色だったねー」 紫イモ入りの豚汁四杯とキンピラごぼう丼三杯と酢の物を山ほど食べた冬威が、しみじみとそう言った。 「え、そうですか?」 後片づけをしていた茉莉は、あやうく小鉢を落としそうになった。 あの濁った紫色の豚汁の、どこが「きれい」だったんだろう。自分としては、見た目はいまいちだと思っていたのだが。 「うん。夜になるちょっと前の地平線みたいでさ」 「地平線?」 いったい、なんの話をしているんだろう。日本で地平線が見えると言ったら北海道かな。 「外の景色見たのってあれがはじめてだったから……」 ぼそりと言って、ふと口をつぐむ。 「篁さん……」 いつもと微妙に違う空気。茉莉は冬威の顔を覗き込んだ。その瞬間。 「マリちゃん!」 がばりと冬威がのしかかってきた。あっというまに卓袱台の横に倒される。 「なっ……なんですか、いったい……」 もうひとつの欲望が点火したのだろうが、畳の上はやっぱりイヤだ。流し台に残っている洗い物は、この際無視しよう。茉莉は冬威の腕を掴んだ。 「ちょっと待ってください。奥に蒲団を……」 「今度、また作ってね!」 「へ?」 話が見えない。 「紫のお味噌汁。あれ、すっごくすっごくすっごーーーく美味しかったから」 「え、あ、はい」 なんなんだ。この展開は。そんなこと、人を押し倒して足を絡ませてまで言うことかよ。作ればいいんだろ、作れば。紫イモさえ手に入れば、いくらでも作ってやるよ。なんなら、次からずっと豚汁でもいいんだぞ。その方がラクだし。 混乱した頭で考えていると、冬威の手が衣服の下に滑り込んできた。 うわ。始まっちまったよ。 指がなめらかに動く。茉莉の体もぽつぽつと点火されていく。 余計なことを考えてないで、さっさと八畳間に移動していればよかった。後悔先に立たず。こうなったからには、なるべく負担を軽くするよう努力するしかない。 密かな覚悟と根性を胸に、茉莉は冬威の背に両手を回した。 (THE END) |