水鏡映天 by近衛 遼 ACT3 御影の宿舎は、集合場所となっている講堂を中心に四棟あって、それぞれが渡り廊下で繋がっていた。 長や指揮権を持つ古参の者は南館。それから任務ランクに応じて、上から順に東館、西館。新入りや任務ランクの低い者は、日当たりの悪い北館に入ることになっていた。 篝が着任のあいさつに南館にある御影長の部屋を訪れると、そこには長の燭(しょく)と、古参の飛沫(しぶき)がいた。 「ほう。おまえが桐野の息子か」 燭はどうやら父の知己であるようだった。言葉の端々から、互いに深い信頼関係を築いていたことが伺えた。 「われわれもできるだけのフォローはするが、なにぶん扱いづらいやつなのでな」 苦虫を噛み潰したような顔で、飛沫が言った。 それは十分、承知している。御門からの資料によれば、鳥居与儀は暗殺任務では右に出る者はいないほどの手練れだが、団体行動がまるで取れず、複数での任務の際に、ターゲットだけではなく仲間まで爆砕してしまったこともあるらしい。 敵も味方も関係ない。任務は、遂行すればそれでいい。巻き添えになる方が悪いのだ。きっと、与儀という男はそう考えているのだろう。 ここで自分の正体を知るのは、燭と飛沫の二人だけ。篝はざっと今後の打ち合わせをしてから、南館を出た。 北館の自分の部屋に入り、荷物を片づける。 荷物といっても、たいした量ではない。着替えが何組かと、履物、武具、薬物。それから何冊かの書物。行李ひとつに十分に納まった。 御影の標準服に着替え、寝台に腰を下ろす。目を閉じて、これから為すべきことをシミュレートした。 あらゆる場面を想定して。どんなときにも、最適な振るまいができるように。 ……よし。 御門の命令書を手に、篝は立ち上がった。 御門は、篝を与儀の「水鏡」に任命していた。 与儀は協調性のかけらもない男だったが、御門と燭に対してだけは、文句を言いながらも従っていた。自分は御門の勅命を受けてここに来たのだと説明すれば、無下に追い返したりはするまい。篝はそう考えていた。 「水鏡」とは御影を補佐して任務遂行を助ける術者のことで、通常、御影と水鏡は二人一組で行動する。もっとも与儀の場合は、これまで組んだ水鏡をことごとく死なせてしまったらしく、ここ数年は単独任務専門だ。それでも御影一の成績を上げているのだから、その力は半端ではない。 与儀の部屋は、東館の最上階にあった。 最上階は十室あり、通常はひとりひと部屋を使うのだが、この階にはほかにだれもいなかった。以前、ちょっとしたいざこざで与儀が隣室の者を殺したことがあって、それ以来、与儀と同じ階にはだれも住まなくなった。 階段を上り、その部屋に近づく。 気配を消して、扉の前に立った。中の様子を窺う。 「……なんだ。これは」 あけっぴろげな「気」。警戒のかけらもない。むろん、結界も張っていない。 なにやら、話し声がする。だれかいるのだろうか。その人物は、用心深く気配を殺しているようだ。 笑い声。嬌声に近いような。 先客がいるのなら、出直そうか。そんなことを考えていると、中から大きな声がした。 「だーれーっ。開いてるよーっ」 やや甲高い、よく通る声だった。もう一人が、なにやら必死になって止めている。それに答えて、 「えーっ、いいじゃん。べつにー。オレは気にしないって」 拗ねたような口調。ここでまたもめ事を起こして、死人を出しては大変だ。篝はドアに手をかけた。 「……」 目に飛び込んできた光景に、篝は絶句した。 銀髪の少年が、寝台の上で焦茶色の髪の男と抱き合っている。二人とも、全裸だった。 「あれえ、あんた、だれ? 見ない顔だねー」 鬱金色の双眸。 記憶がフィードバックした。銀髪、金色の眼。白い肌、細い手足。くるくるとよく変わる表情と、あっけらかんとした物言い。 あの子だ。体中に飛び散った返り血を洗い流すために、早春の冷たい川に飛び込んだ、幼い御影。 これが、「銀狼のヨギ」なのか? 「あ、もしかして、ミカドが言ってた人?」 男のひざにまたがったままの態勢で、与儀は言った。 そんな状況で、よく普通に話ができるな。さっきまで、外に聞こえるほどの声を上げていたのに。 「ねえねえ、そうでしょ」 与儀はひざをついて、上体を起こした。 「おい、まだ終わってねえのに……」 男があわてて、言った。どうやら、繋がりが解かれたらしい。与儀はちろりと男を見下ろして、 「もう、いい。帰って」 「なんだと?」 「オレ、さっき一回いったから」 「おまえなあ……」 「なに? なんか文句あるの」 微妙に、声音が変わる。背筋に冷たいものが走った。空気の震えを感じる。これは、まずい。 篝が防御の構えをとろうとしたとき、男が両手を挙げた。 「わかったわかった。今日のところは引き上げるさ」 「うん。じゃあね」 与儀は男の衣類をひとまとめにして、押しつけた。 「この格好で出ていけってか?」 「どうせ、だーれもいないでしょ。ほら、早く」 素っ裸のまま、男は廊下に出された。 「さーて、っと」 ドアの前で、くるりと与儀は振り向いた。 「あんた、ミカドの言ってた人?」 同じ質問を繰り返す。 「きのう、ミカドがここに来たんだよ」 「ミカドって……八代さまのことですか」 仮にも自国の王を呼び捨てにしている。あまりにも予想外の展開に、先刻のシミュレーションはまったく無駄になってしまった。が、予定通りに事が運ばないのはめずらしくない。篝は頭の中で、今後の成り行きを計算した。 「そうそう。新しいおもちゃをくれるって」 「おもちゃって……」 「あんたのことでしょ」 「はあ?」 なんとか会話についていこうと思うのだが、どうもうまくいかない。この男の思考回路はどうなっているんだ。 情事の最中に平気で他人を部屋に入れたり、全裸のまま相手を放り出したり。そのうえ、おもちゃだと? 「あの……訊いてもいいですか」 「なによ」 「さっきの人とは、どういう関係で」 馬鹿げたことを訊いているとは思う。が、この男がその類のことをどう考えているのか、データが必要だった。 「どういうも、こういうも。見た通りだよ」 「ええと、ですから……」 「ごほうび、もらってたんだよ」 ご褒美って……あれが、か? 「オレ、ここんとこ、いーっぱい仕事したからさあ。あいつ、たくさん誉めてやるって言って」 くすくすと笑いながら、与儀は言った。 任務を遂行したあとの、ご褒美。この男の認識は、それか。 側にいてもらうこと。肌を合わすこと。それが「ご褒美」。 これは、本当に厄介だな。この男に取り入って宿舎内の動静を探るつもりだったが、うっかりしたら閨の相手をしなければならないかもしれない。しかし。 篝は考えた。 それでは、自分はさっきの男と同列にしかなれない。この男の、「銀狼のヨギ」の内側にまでは入っていけない。 「でもさあ」 与儀は篝の前に立った。腕を首に回して、引き寄せる。 「あんたが来たから、あいつはもういい」 ふたりは寝台に倒れ込んだ。 「してよ」 唇が近づく。冷たい感触。篝はそっと、与儀の肩を押し返した。 「……なに?」 不思議そうな顔。 「鳥居どの」 あらゆる可能性を吟味した挙げ句、篝は意を決した。 吉と出るか、凶と出るか。 最悪の場合は、ここでこの男と戦わねばならない。被害を少なくするために、外に出られればいいのだが。 「それは、できません」 きっぱりと、言った。 「え……」 首をかしげる。なにを言われたのか、よくわかっていないようだ。 「どうしてよ」 「それは、おれの役目じゃありません」 「役目って?」 「おれは『水鏡』として、あなたのサポートをするように言われてきたんです」 「水鏡? あんたが、オレの?」 与儀は、まじまじとこちらを見つめている。しばらく無言でいたが、やがて、ぱっと顔を明るくした。 「じゃあさ、ちょうだいよ」 「え?」 「あんたを、ちょうだい。それなら、いいんでしょ」 「水鏡」は「御影」のためにある。 「……ええ。いいですよ」 篝は微笑んだ。このうえもなく、穏やかに。 とりあえず、第一段階クリアだ。 うきうきとした顔で下衣をゆるめる与儀を見ながら、篝はそう思った。 |