水鏡映天 by近衛 遼 ACT18 かまわない。おまえとならば。 この身が四散しようとも、悔いはない。そうでなければ、ここまで愛しはしなかった。愛せなかった。 生きるのも、滅するのも、おまえとならば。 「与儀……」 心をこめて、名を呼んだ。 自分にとっては「鳥居与儀」が唯一の者だ。ほかのだれでもない。この男だからこそ。 「生きよう」 まっすぐに、告げた。金の瞳を見つめながら。 「生きよう、一緒に」 嵐のごとき結界の中で、篝は与儀を抱きしめた。 荒れ狂う感情。やっと癒えた篝の体を、また切り刻んでいく。 「それが駄目なら……」 口付ける。血の味が行き来する。 「いいですよ」 ともに、滅しても。 愛したから。だから、いい。だから、おれは「人」として死ねる。 選べ。与儀。 おれと生きるか。おれと死ぬか。 鬱金色の双眸が、ぐるぐると回っている。業火に焼かれているかのように。 「い……」 縊られる直前のような声で、与儀が言った。 「……い……や……」 震えている。怯えている。瞳が揺れている。 「……や……だよ……か…がり……」 いやだ。いやだ。いやだ。篝がいなくなるのは、いやだ。 与儀の手が、きつく背を掴む。 「……生きたい」 祈りにも似たその言葉が、篝に新たな力を与えた。 その後のことを、篝は覚えていない。 気がついたときには、また病衣をまとってベッドの上にいた。枕辺には、マスクとキャップで顔のほとんどを隠した与儀。 「ごめんね」 一カ月前と同じ言葉を、与儀は言った。 「ごめんね、オレのせいで」 拳を握り締めて、小刻みに震えている。 「いいえ」 篝も、同じ言葉を返した。 「あなたのせいではありません」 自分で選んだのだから。 「だから……」 「オレのせいだよ!」 血を吐くような声。 「……与儀」 「オレのせいで、篝は二度もひどい目に遭った。オレ、もう、こんなことはしない」 決意。まぎれもなく、この男が自分で考えた末の。 「ちゃんとやるよ。術も、技も、篝みたいにしっかりコントロールして。きっと、そうするから……」 一条の光が、篝の脳裏に差し込む。 道が拓かれた。細くて、まだ頼りないけれど。 先へ続く道。いつか、ともに歩くための。 「待っています」 篝は手をのばした。愛しい者へと。与儀はその手を、おずおずと取った。 「篝……」 「待っています。もう一度、あなたと会う日まで」 生きたいと、与儀は言った。ならば待てる。人として、ふたたび出会うときまで。 「くれるの」 泣きそうな顔で、与儀は言った。 「また、くれるの」 「ええ。もちろん」 なにをいまさら。 篝は微笑した。とっくにおまえのものなのに。こんなことぐらいで、崩れたりはしない。おれは、おまえのものだ。この先も、ずっと。 「だから……あなたも待っていてください」 近づいてくる唇を、拒む理由もない。 監視カメラの向こうで苦笑いをしている面々の顔が浮かんだが、それはこの際、気にしないことにした。 篝は再度、研究所で治療を受けることになった。そして。 与儀はひとり、御影宿舎に戻った。研究所を一部破壊したことについての責任をとって、しばらく懲罰房に入っていたらしい。 「銀狼のヨギ」が懲罰房に、ねえ。 リハビリをしながら、篝は口元がゆるむのを抑えられなかった。 ひとつひとつ、あの男は学んでいくのだろう。この世界というものを。そしてまた、自分も自分の世界を取り戻すために、戦わねばならない。 「手」としての仕事をまっとうして、しかるのちに御門に上奏する。正式に「水鏡」となるために。 きっと、還ってみせる。あの男の側に。そう。そのときは、だれにも文句は言わせない。 信じるものがあれば。 愛するものがあれば。 すべてを賭してでも、守りたい心があれば。 待っている。 あの男が自分の前に立つ日を。 待っている。 自分があの男の前に立てる日を。 早春の風の中、篝は和の都へ向かって新たな一歩を踏み出した。 |