水鏡映天  by近衛 遼




ACT13

 炎が走る。縦横無尽に。
 左方の矢倉が傾いだ。何人かが外に飛び出す。右方の矢倉からも、幾人か出てきた。さすがに危ないと察したのだろう。
「横一列に火炎!」
 篝は叫んだ。薄く結界を張る。逃げていく者たちに直撃しないように。
「中央に風穴を開けてください」
 続けて、言う。
「門が吹き飛ぶよー」
「この際、仕方ありません」
「うわ。篝って、いざとなるとコワイのね」
「早く! タイミングがずれたら、共倒れです」
「はいはい」
 与儀は左手を門に向けた。右手を添えて、風を起こす。
『風渦!』
「右へ五度修正して!」
「え、右?」
 やはり、細かい調節は苦手なのか。篝は縦に障壁を作った。門の真ん中を風が突っ切るように。
 どおっ、と大きな音がして、門が壊れた。左右の矢倉から煙が上がっている。火が移ったらしい。
 まだか。
 篝は右方の矢倉を見据えた。
 まだ、知らぬ顔を決め込むか。それなら……。
「出ますよ」
「えーっ、ほんとに出ていっちゃうの」
「向こうが出てこないなら、こちらから出ていくしかないでしょう」
「狙い撃ちされるよ、そんなことしたら。……本気でやってもいいの」
 わずかに声音が変わる。篝は与儀の腕を掴んだ。
「だめです」
「でも……」
「あなたが本気を出す必要はありませんよ」
 軽く唇を合わせる。与儀は目を丸くした。
「おれが、やりますから」
 体力がもつかどうか、微妙なところだが。篝は念を飛ばした。
 岳はどこだ。矢倉の中にはいない。とすれば、門がよく見える場所に潜んでいるはず。おそらく、「仕上げ」は自分でするつもりだろうから。
 暗く、重く、いくらかねじれた「気」。それを探して。
 ……いた。なんと、左方の矢倉のすぐ側に。
 よほど、自分に自信があるんだな。与儀の攻撃を受けてもかわせる、と。
「左の矢倉へ」
 篝は目配せした。
「中に飛沫どのがいるはずです。懐に飛び込みますよ」
「えーっ、飛沫の? やだよ、オレ。あいつ、好みじゃないもん」
 ふざけている場合ではないのだが、与儀としては、真面目に言っているのかもしれない。篝は苦笑しつつ、
「背に腹は代えられませんからね。狙い撃ちされたくないでしょ」
「あーあ、もう、仕方ないなー。燭に貸しを作るはずだったのに、飛沫に借り作ってどうすんのよー」
 不本意そうに、与儀がぼやいた。
「ご心配なく。ちゃんと、貸しは作れますよ」
「ほんとに?」
「本当ですとも」
「だったら、いいけど」
 てのひらを返したように、与儀はにんまりと笑った。
「とりあえず、牽制しとく?」
 右を見遣って、訊く。篝は頷いた。
「派手にやってもいいですよ。どうせ、門を壊してしまいましたし」
 こうなったら、ひとつ潰すもふたつ潰すも同じだ。
「はーいっ。んじゃ、雷術でも……」
「念のために言いますけど、殺しちゃだめですよ」
「……わかってるよーだ」
 ほんの少し唇をとがらせて、与儀は横を向いた。右手を構える。気を集めて、それをエネルギーに変えて。
 バチッ、と放電したかと思った直後、与儀の右手から鋭い光がほとばしっていた。
 右の矢倉が土台から崩れる。最後まで残っていた者たちが次々と飛び降りた。それを見てから、篝たちは繁みから飛び出した。
 左方の矢倉から、竜巻のようなうねり。飛沫か。篝は細く「気」を飛ばした。
 思念波に乗せて、こちらの意志を告げる。飛沫はすぐに合点したようだった。
『承知した』
 左方の矢倉から十人ばかりが飛び出してきた。皆、臨戦態勢である。与儀は反射的に応戦の構えをとった。篝がそれをさえぎる。
 詳細は不明だが、飛沫には自分たちを害する気はない。もちろん、自分たちもそうだ。数瞬のにらみ合いののち、飛沫がはっきりとした口調で叫んだ。
「燭! かかったぞ!」
 その声を待っていたかのように、周囲に大勢の人影が現れた。中央には、燭。
「捕えよ!」
 ふだん、めったに大声を上げぬ燭が凛として叫んだ。影が飛ぶ。なにやら怒号が聞こえたが、やがてそれも収まった。
 燭に従っていた細作が松明を掲げた。与儀は、なにが起こったのかよくわかっていないようだった。篝もまだ、漠然とした状況しか把握していない。
 岳が燭の前に引き立てられてきた。後ろ手に縛られ、足枷をはめられて。
「おまえら、みんなグルだったのかよ!」
 吐き捨てるように、岳が言った。
「いいや。それは違う」
 燭が、つねの口調で答えた。
「桐野にも、もちろん与儀にも、なにも伝えてはいなかった」
「けっ。それなら、なんでこんなにタイミングよく、おまえが出張ってくるんだよ、燭」
「偶然だ」
「ふざけるな。どこの世界にこんな都合のいい偶然がある」
 岳はぎろりと与儀をにらんだ。
「ったく、おまえまで俺をはめるとはなあ。そんなにそいつがよかったのかよ。八代目のお下がりをもらって喜んでるなんざ、いいツラの皮だぜ」
「なによ、お下がりって」
 それまで黙っていた与儀が、憮然として口を開いた。
「お下がりはお下がりだよ。いいか。そいつは親父を亡くしてから、ずーっと御門の世話になってきたんだぜ。要するに、お稚児さんだったんだよ」
 一応、おれのことも調べたわけか。篝は心の中で苦笑した。それにしても、御門の援助を受けたという事実から、とんでもない邪推をしてくれたものだ。まあ、自分と与儀との関係を見れば、そう考えてしまうのも無理はないのかもしれないが。
「篝は、オレのもんだよ」
 なにやら、自棄になって与儀が言った。岳はせせら笑うように、
「ふん。そうだよな。お古をもらうのが、おまえにゃ似合いだよ。昔っから、だれもおまえのために、なにかをしつらえるなんてことはしなかったんだから。おまえが大事にしていたあの服だって……」
「黙れ!」
 だれも予想だにしなかった。
 まさか、ここでこの男が術を全開させるなどとは。
 雷鳴。発火。暴風。竜巻。
 すべてを焼き尽くすほどの熱量。
「与儀!」
 篝は与儀を抱きしめた。
 だめだ。
 だめだ、与儀。このままでは、おまえは戻ってこられなくなる。「人」ではなくなってしまう。


 見て。おれを見て。おれは、ここにいるから。
 言っただろう。おれは、おまえのものだと。
 仕事なんかじゃない。ご褒美でもない。おれがおまえと一緒にいるのは、おれがそうしたいから。
 ずっと、そうだった。はじめて会った日から、ずっと。
 しばらくのあいだ、それを忘れていたけれど。本当の気持ちに気づかずにいたけれど。
 あげるよ。全部。だれに言われたからでもない。おれが、そうしたいから。
 だから。戻って。おれのところへ。
 おれがほしいなら、帰ってきて。


 全身を、切り刻まれたような気がした。咄嗟に反結界を張ってしまったが、与儀は無事だろうか。
「アオ……。アオ……ア…オ……」
 意識を失う直前に、与儀の声を聞いた。
 「アオ」。……青?
 与儀は子供のような声で、同じ言葉を繰り返していた。