水鏡映天  by近衛 遼




ACT12

 網は、張った。
 与儀が東館に籠もったことで、岳が渡りに船とばかりに動き出したのだとしたら、その企てにはまだいくつも穴があるはずだ。何事も好機を逃してはならないが、その前提として、よくよく熟慮して準備をする必要がある。
 いまから思えば、御門は岳と与儀を引き離すために自分を送り込んだのではあるまいか。だから、わざわざ与儀に「新しいおもちゃをやる」などという言い方をしたのだ。
 与儀は目新しい「おもちゃ」に興味を持つだろう。そして、古いおもちゃは見向きもされなくなる。そうなったとき、岳はどうするか。
 御門はそれを、自分に探らせようとしたのかもしれない。
 夕闇の迫る空をながめつつ、篝は苦笑した。まったく、あいかわらずの狸だ。
 いままでにも、ごく大雑把な任務内容だけしか告げられず、現場に入ってから四苦八苦したことが何度もあった。「手」の仕事はつねに状況に左右されるとはいえ、基本的な情報は与えてもらわねば困る。
 いつだったかそう上申したことがあったが、御門はゆっくりとかぶりを振った。
『事実が真実とは限らぬ』
 淡々と、語を繋ぐ。
『表向きの情報だけで、物事を判断するのは危険じゃ。おのが目で、耳で、さらには心で確認したものだけを信じよ』
 要するに、先入観を持つなということらしい。
 いくさばに丸腰で立つような仕事を、いくつも経験した。今回は、その最たるものだ。
 もっとも自分にとって、これはもはや「仕事」ではないが。
「かがり〜」
 与儀が軽い足取りで部屋に戻ってきた。
「北門の下見、してきたよ」
「ご苦労さまです。で、どうでした」
「物見が門の両側に三人ずつ。外にトラップ。あとは用心程度の防御結界と封印結界」
 並みの警備だ。篝は頷いた。
「では、予定通り北門から出ましょう。ただし、くれぐれも門を潰すのはやめてくださいよ」
「わかってるってー。はじめに自分で結界張ってから攻撃すりゃいいんでしょ」
 人を騙すには、「本気」を見せるのがいちばんだ。が、本気で北門を攻撃しては、あとあと大変だ。与儀は自身に反結界を張り、そのうえで技を使うことになっていた。
 反結界とは封印結界の一種で、その中で繰り出された術はすべて術者に跳ね返ってくる。一歩間違えば自爆ものの危険な策であったが、篝はあえてそれを与儀に命じた。
 自分も北門へ行く。万一のときには、この身もただではすまないだろう。が、それでもかまわない。
 生きるのも死ぬのも、この男とともにあるのなら。
 脱出は、未明に。
 それははじめから決めていた。岳たちがなにを狙っているにせよ、夜警で疲れたあとに騒ぎを起こした方がこちらにとっては有利だ。
 つらつらとそんなことを考えていたとき。
「ねえねえ」
 与儀が、篝を背後から抱きしめた。
「まだ時間、あるよねー」
 甘えるような口調。息が項にかかる。
「ありますけど……」
「だったら、さ」
 与儀は篝の夜着を落とし、寝台に倒した。
「いいよね?」
 言いながら、手を素肌に滑らせる。篝はそっと、与儀の肩に手をやった。
「あの……少しは、仮眠をとっておいた方が……」
「んー。それはそうなんだけどさ」
 首筋に舌を這わせながら、与儀は言った。
「このまんまじゃ、眠れないもん」
 その部分を押しつける。たしかに、これでは無理だ。篝は小さく頷いた。
「じゃあ……」
 そっと体を返す。できるだけ、あとの負担が少なくなるように。
 与儀もそれはわかっているようで、いつもよりゆっくりと篝の熱源を育てた。徐々に、中が疼いてくる。これから先に来るものを予感して、期待して。
 声よりも早く、体が求めた。高く腰が上がる。互いに望んだものが訪れて、深くゆるやかに交叉する。
 揺れて、揺らして、それらは内側にまで染み込んでいく。
「は……っ…あ……ああっ……」
 こらえきれずに声を散らす。波立つように、敷布が乱れた。


 結局。
 一刻あまりの仮眠ののち、ふたりは東館を出た。強固な防御結界を張り、夜陰を縫って北門へと向かう。
 しばらく鍛練を怠っていたので、四肢が思うように動かない。与儀についていくのがやっとの状態だった。
 まずいな。これではいざというとき、足手まといになってしまう。
 結界は問題ない。体力的なマイナスを、術でおぎなえればいいのだが。
 いろいろなパターンを考えて、篝は自分がとるべき最善の道を模索した。
「なーんか、様子がヘンだよ」
 北門の手前で、与儀が足を止めた。大木の陰から、そっと矢倉を見遣る。
「物見だけじゃないですね。実戦部隊が出てる」
「みたいねー。昼間は、のほほーんとした顔のやつらしかいなかったのに」
「岳どのの配下は……やはり、右側ですか」
 左の矢倉にいるのは、飛沫の部下だ。
「どうする? 予定通り、外のトラップぜーんぶ壊していいのかな」
 左手を前に出し、印を組む真似をする。篝は考えた。岳の目的はなにか。与儀を始末するだけなら、なにも北門まで引っ張り出すことはなかったはずだ。とすれば……。
「漁夫の利、か」
「え? なんのこと」
 与儀は、ぽかんとした顔をしている。篝は微笑んだ。
「まずは、門の左側に攻撃を」
「いいの? そんなことして」
「いいですよ。ただし、相手にわかるように」
 直撃の一歩手前で、気づいてもらわねばならない。かなり微妙な力加減が必要だ。
「うーん。オレ、そーゆーコントロールは苦手なんだけど」
「おれが波を作ります。その波長に合わせてください」
「できるかなー」
「できますとも」
「んじゃ、やってみよっかなー」
 金色の瞳をらんらんと輝かせて、与儀は印を組んだ。
 矢倉が傾く程度に。篝は神経を集中した。薄く広くシールドを張る。与儀の攻撃よりわずかに早く「気」を到達させるために。
『火炎、踏破!』
 闇の中、炎が龍のように空を飛んだ。それが矢倉に向かって蛇行しながら落ちていく。あたりが昼間のように明るくなった。
 直撃の寸前で、強い結界に阻まれた。こちらからは見えなかったが、中に飛沫もいたらしい。
 好都合だ。飛沫なら、こちらの意図を汲んでくれるはず。
 篝はさらに、左の矢倉への攻撃を指示した。
「次は、少し右側へ流しますよ」
「少しって、どれくらい?」
「二割でけっこうです。右の矢倉にいる者たちを脅すだけですから」
 岳の配下は、自分たちは矢面にたつことはないと思っているだろう。そこに与儀の術が流れたら。
 きっとパニックを起こすに違いない。そのとき、岳はどう出るか。
「行きますよ」
「はーいっ」
 ふたたび、炎が夜空を燃やした。