昏一族はぐれ人物語 〜少年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT9 

「夏芽」
「なに?」
「術と結界、練習しよう。教えるから」
 誕生日の次の逢瀬で、オレは夏芽に宣言した。夏芽がびっくりした顔している。
「教えるって・・・・サガミが?」
「うん」
「本当に?」
 まだ飲み込めないような様子に、実力行使を決める。
「見て」
 ぱちんと指を鳴らした。火術。右腕が炎を繰り出す。夏芽の足元に投げた。
「わあっ」
「これも」
 飛び退く夏芽に、今度は左手を出した。片手印。夏芽のまわりに、薄く光る防御結界を張る。
「ええっ!」
「わかった?」
 きょろきょろまわりを見回す黒眼に、畳み掛けるように訊いた。こくこく、夏芽が頷く。
「おまえ・・・」
「オレのことはいいの。術も結界もちゃんと出来るようにならなきゃ、卒業出来ないんでしょ?」
 皆まで言わさず遮った。本当は卒業なんてどうでもいい。夏芽に自分の身を守れるようになってほしいだけ。
「始めるよ」
「え?」
 呆けた返事に、じろりと睨んで返した。夏芽が肩を竦める。
「毎日会えるわけじゃないんだ。一秒も無駄にできない。手加減しないよ」
 冷たく告げるオレに、夏芽は引き攣りながら頷いた。
 そういうわけで、夏芽とオレの訓練が始まった。夏芽は学び舎でも学科科目はいいらしい。だから口呪とかはばっちり覚えている。問題は手の動き、手印と気の調整だ。必要な時に必要なだけ気を高め、気自体の性質や波長を変えることができない。だから気配を消すこともできないし、いつでもどこにいてもバレバレだ。オレは手印から始めることにした。
「こう、こう、こう。こう返してこう!これを三回連続する。やって!」
「えっと、こう?」
「違うよ!中指と薬指が間違ってる」
「えっ。動かないよ」
「動く!」
 握り飯も満足に握れない夏芽の両手は、やっぱり印も苦手だった。「昏」の力で侵入して、むりやり手を動かせることはできる。だけどそれは一回だけの事だし、その都度頭の中に入ってては夏芽の負担もオレの負担も重過ぎる。数時間ずっとなんて、いつぞやの緊急時だけだ。夏芽が常に使いこなせるようになるためには、夏芽自身が反復練習するしかない。
「左手が上手くいかないよ」
「泣き言いっても始まらないだろ。これからは箸、左手で持ちなよ。字を書くのも左だよ」
「ええっ。それじゃあ今までの倍時間かかるよ。ただでもおれ、いろいろ遅いのに」
「なら、練習するかあらかじめ多めに時間取るしかないね」
「サガミのオニ〜」
 殆ど半泣きで叫んでる。けれど手を緩める気はなかった。一つでも多く出来れば、それが夏芽の命を救う。文句を言ってるヒマはないのだ。
「手が攣った〜」
 夏芽が左手を押さえてる。額に汗で痛そうだ。仕方がない。急に手を酷使しすぎたか。
「かして」
 オレは近くに歩み寄り、手を差し出した。夏芽が攣った左手をのせる。両手で包み込んで、状態を調べた。
「大丈夫だよ。こうして伸ばせば」
「痛たた・・・」
 攣った筋を伸ばして、すりすりとマッサージする。痙攣は治まった。あとは筋をほぐしてやるだけ。
「本当におれ、できんのかなぁ」
 情けない声で、夏芽が言う。
「できるよ」
 リップサービスでなく、強い願望でもって返した。
「夏芽だもの。やればできる」
 顔を上げ、まっすぐ夏芽を見た。夏芽が驚いた顔している。
「サガミ・・・・」
「晴れて卒業出来たら、しよう」
「何を?」
「変なコト。今度は余計な事言わないから」
 微笑んで告げた。実はあの後オレだって反省したのだ。別にイヤじゃないし、それで夏芽がやる気になるなら、構わないと。
「ね?」
 伺うオレに、夏芽は呆然としていた。なんだろう、ひょっとしてイヤだった?
「ダメ?」
「だめじゃないだめじゃないっ!すっごくうれしい!」
 ぶんぶんと首を振って、夏芽はにっかり笑った。オレは嬉しくなる。あ、夏芽のその顔、オレ好き。
「じゃあ決まりだね。今日はこれまでにするから、家で手の筋休めてて」
「え?おれまだ出来るよ?」
「無理して使えなくなったら元も子もないよ。休む時は休む」
「そうか・・・わかった。帰るよ」
 オレの言葉に、夏芽は素直に頷いた。くるりと背中を向ける。
「じゃあなっ」
 夏芽は駆け出して行った。オレはその姿を見送る。だんだん小さくなって。消えたのを確認する。奥歯をかみしめて。
「出てこい」
 振り向きざまに言った。遮蔽した影に告げる。背後の空間がゆらりと動いて、人影が一つ現われた。
「無駄なことはおやめください」
 影は出雲だった。オレは眉を顰める。
「あの少年はもともと、術者として才のある者とは思えません。あなたが時間を割くことも、能力を使う価値もない者です」
「うるさい!」
 思わず叫んでいた。夏芽のことを悪く言うな。価値?そんなの誰が決めた。
「オレの時間と能力だ。オレの好きに使って何が悪い」
「あなた一人の能力ではありません。今では昏一族全体の・・・」
「黙れ!」
 皆まで言わさず遮った。出雲がぐっと顎をひく。
「嵯峨弥様」
「どうしてそう、オレに固執するの。放っておいてくれ」
「どうぞ耳をお貸しください。周様のなくなった折、昏一族は半減しました。だからこそ一族は今、より強い能力者を求めているのです」
「長戸がいるじゃない。従兄弟たちだっているじゃないか」
「おわかりの筈です!」
 今度は出雲が声を荒げた。オレはびくりとする。幼い頃より面倒見てくれた出雲が、そうしたことはなかったから。
「・・・・出雲」
「どうして長戸様や皆があなたを求めるのか。その答えは、あなたの中にあるはずです。よくお考えください。昏は御門のために戦いました。そして、近江様をはじめ多数の者が命を落としました。その昏に、御門が何をしましたか?中央から遠ざけ、辺境に押しやり、不自由な暮らしを強いています。周様まで失ってしまった我らに・・・」
「だけど、それとこれとは違う」
 絞り出すように言った。
「オレは叔父じゃない。昏周じゃないんだ。代わりになんてなれない。それに叔父は、御門を守ったんだ。命をかけて。だのに、それを無にするの?」
 敢えて問いかけた。失くしたものが大きいことは知ってる。待遇が変わったことも。だけど、それらを恨みにしてしまったら、逝った人々の思いはどうなってしまうのだろう。
 認めなくてはいけない。命をかけてもいいと昏周は思ったのだ。父も。だから身を投じた。
「お願いだから出雲、帰ってよ。おまえとは争いたくない。おまえは父さん母さんたちが亡くなった時も、オレの傍にいてくれた。『昏』としての能力が目覚めてなくても、おまえはオレを蔑んだりしなかった。オレに優しくしてくれた。おまえがいたから、オレは立ち直れたんだ」
「嵯峨弥様・・・・」
「長戸伯父に伝えてよ。オレのことは捨て置いてと。そして、もっと違う一族のあり方を考えてと」
 知らずに、泣きそうになっていた。何故だかわからない。でも、胸が痛い。  
「わかりました」
 長い沈黙の後、俯くオレに出雲は言った。
「この場は引き下がります。されど嵯峨弥様、我々昏一族があなたを求めていることを、今一度お考えください」
 一礼をして、出雲の姿は消えた。オレは拳で目の辺りを拭い、ぐいと顔を上げた。唇を結ぶ。
 ほのかに暖かくなってきた風が、さらりと頬を撫でていった。