昏一族はぐれ人物語 〜少年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT8

 誰かが髪を撫でている。その心地よい感覚に、オレは目を覚ました。
 母さんだろうか。
 最初はそう思った。だけどすぐに違うと感じる。髪から頬にまわった手が、温かかったから。
 オレの母さんは、いつも冷たい手をしていた。細くて長い指。透き通るように白かった肌。
 母さんじゃないとすれば、とうさん?
 父の手を思いだす。温かくて、節くれだった手。それとも違う気がする。この手はもっと、柔らかい。
「・・・・なつめ・・・・」
 そっと目をあけた。覗きこむ姿に名前が漏れる。夏芽が目の前にいた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ!サガミこそヘロヘロじゃないか!」
 笑んで聞いたら、涙目で怒られてしまった。なんだよ、オレ、夏芽を助けたのに。
 どうやら「力」の使い過ぎて、オレは意識を失ったらしかった。思えば当たり前だ。短期間でも相当エネルギーを消費する「昏」の能力を、昼飯も食わずに使い続けたのだから。
「気がついたらサガミが倒れてるし、おまえ真っ白な顔だったし!身が縮まったんだぞっ!」
 夏芽はまだ怒ってる。なんだかおかしくなった。だってオレも夏芽のおかげで、身が縮まったのに。 
「いいじゃない。おあいこだよ」
 さらりと言えば、夏芽は思い出したように口に手をやった。しゅんと犬が叱られたように項垂れる。意地悪は十分自覚しながら、オレは追い打ちを掛けた。
「誰かが結界も張れないのに、赤褐甲虫なんか潰すからじゃない」
「うっ・・・それは、ごめん」
 今までの態度は一転、夏芽は小さくなった。己の所業は自覚しているらしい。まあ、いいか。
「起こして」
 オレは右手を上げた。夏芽が慌ててその手を取る。背中にもう一方の手が回されて、ゆっくりと支え起こされた。
「・・・・・うっ・・・」
 起き上がった途端に、ずきりと頭の芯が疼いた。緩く痛み続ける。神経を酷使したことをその痛みが物語っていた。自分でも驚く。こんなに本気で力を使ったの、初めてだ。
「サガミ・・・痛いのか?」
 夏芽が覗きこんでる。オレは微笑んだ。目の前の心配そうな顔を、なんとかしたくて。
「大したことないよ」
「本当に?」
「うん。ちょっと目眩いがするだけ。だから、こうしてて・・・・」
 こつんと夏芽の肩の辺りに頭を乗せれば、支える腕がびきりと硬直した。体温も上がった気がする。
「な、サガミ。し、しんどくないか?」
 やけに焦った声で夏芽が言った。
「全然。結構楽だよ。夏芽の肩にもたれてるし」
 頬に触れてる、夏芽の肌が心地よかった。肌を通し、ドキドキと遠く波打ってるのがわかる。
「そのっ」
「動かないでよ」
 身じろぎする夏芽に、オレはすかさず釘を刺す。ぴたりと動きが止んだ。
「・・・あの」
「じっとしてて。もっと聞きたいんだから」
 固まる夏芽にもたれたまま、オレはその音を楽しんだ。聞いてるだけで心が静まる。夏芽の命の音。
「よかった・・・」
 心の底から零れた。オレの飾らない気持ち。よかった。夏芽が助かって。
「心配掛けて・・・・ごめんな」
 目を閉じるオレの耳元で、夏芽がぼそぼそと言う。
「無茶だってわかってたけど、身体が先に動いてて・・・。マヌケだよな。襲われた奴、おれと違って術も結界もできたのに」
「ほんとだよ」
 口を突いて出た。なんだろう。急にムカムカとしてくる。
「弱いクセに他人助けたりして、死んだらどうすんの」
 自分が怒ってることを自覚する。そうだよ。オレだって心配したんだから。
「そんなの全然かっこわるいよ。しっかりしてよ。オレより年上だろ?」
「違うよ」
「どこがっ」
 思わぬ言葉に顔を上げた。すぐ上の夏芽の顔が、困ったように笑んでいる。
「なんで違うの!」
「だって年上じゃないもの。もう同い年だろ?」
 言われて思いだす。今日が何の日だったか。すっかり忘れていた。
「誕生日おめでと」
 まっすぐ見つめながら、夏芽が囁いた。言葉が耳を通り、頭の奥に染み透る。懐かしい言葉。誕生を祝う言葉。
「お祝い、なにもなくてごめんな。結局時間なくてさ。せめて握り飯くらい持っていこうと思ってたんだけど、あんなことになっちゃって・・・・」
 夏芽が言葉を継ぐ。声が出なかった。ありがとうって言いたい。だけど、何かが喉を塞いでいる。
「いいよ」
 夏芽の首に腕を回し、オレは声を絞りだした。夏芽の身体がびくついてる。
「もらった、から」
「へ?」
「お祝い。確かにもらった」
 絞り出した声は、掠れて変な声だった。それでも言えた。
「ええっ。おれ、何も・・・・・」
「だから、いいんだ」
 狼狽する夏芽にぴたりと身体を押しつけ、オレは呟いた。噛み締める。オレはもらったのだ。夏芽と言う、誕生日を祝ってくれる人を。 
「ありがとう」
 心を込めて返した。微笑みを。お礼の言葉を。かつて父さん母さんに向けた思いを。そっくり、そのままに。
「サガミ・・・」
 夏芽がオレを見てる。オレも夏芽を見つめ返した。言葉と視線と心を交わせる相手。今、取り戻した。
「あーっ!ダメだっ!」
 いきなり身体が離された。両肩を掴まれたまま茫然とする。ダメって夏芽、なんなの?
「そんな目で見ちゃダメだっ。おれ、我慢できなくなる。せっかくいい友達んなるって決めたのに、変なことしちゃうよっ!」
 夏芽は半泣きだった。言われた言葉を頭で反芻する。我慢。友達。変なこと?
「ごめんっ。サガミせっかく元気になったのに、こんなこと考えて・・・おれのバカーっ」
 頭をブンブン降りながら、夏芽は慌てまくっていた。自分の記憶を探る。こういう場合の変なことって・・・・・あれかな?
 思い当たる行為を頭に浮かべる。それは大抵御影宿舎の男たちで、触られたり剥がれたり、吐き気がするほど気持ちの悪いものだったが。
 もしかして、夏芽もやりたいの?
 ふと考えた。もしあれらが夏芽のしたことだったら、オレは・・・・。
「いいよ」
 答えはすぐに出た。悩むまでもない。夏芽ならいい。
「・・・・・・へ?」
 あっさりと言ったオレに、夏芽は固まった。目がまんまる。驚いてる。
「したいんだろ?いいよ」
 にっこりと返すと、夏芽は自分の頬をつねった。痛がって泣いてる。バカだな。力入れすぎだよ。
「・・・・いいのか?」
 右の頬を抑えながら、涙目で夏芽が聞いた。オレはもう三度目の「いいよ」を口にする。
「後悔しないか?あっちに行っちゃうんだぞ?」
 何わけわかんないこと言ってるの。あっちってどっちだよ。夏芽って変。
「ヤなら帰るよ。夜だし」
「お願いします!」
 焦れて告げれば、がばりと頭を下げられた。オレはびっくりする。夏芽っていつも急だ。何するか予測出来ない。
「オレ、どうすればいいの」
 苦笑しながら訊いた。そんな、仰々しいものなの?
「じゃあさ。その、目を瞑って」
 どうしてそんなことするのと聞きたかったけど、言われた通りにした。口に出してしまったら、夏芽はいつまでもやらないだろうから。
「そ、それじゃあ、参りますっ」
 夏芽が宣言した。再び肩に手が置かれる。少しずつ、夏芽の息が近づいてきた。あ、そうだ。
「口づけならしたよ」
 思いだして目を開けた。目の前数センチで、夏芽が金縛りにあってる。
「・・・・いつ?」
「解毒剤飲ます時。夏芽自分で飲まなかったから」
 事実をそのまま話す。だから夏芽、先に進もう。
「そうか・・・・そうなんだ」
 オレの気持ちとは裏腹に、夏芽はなんだか元気がなくなった。がくりと肩を落とし、背中を向ける。 
「しないの?」
 疑問に思って訊いた。
「今日は・・・・またにする」
 よろよろと振り向き、夏芽が力なく答える。
「どうして?」
「・・・・うん。なんか、腹減ったし・・・・」
 ?なオレに引き攣り笑いをして、よいしょと夏芽は立ち上がった。台所へと向かう。なにやらごそごそしだした。
「食うだろ?昼間の握り飯、もったいないからおじやにしたんだ」
 台所から夏芽が言う。
「うん・・・いいけど」
 不可解な気持ちを抱えたまま、オレはこくりと頷いた。


 だしが入ってないんじゃないかと思うおじやを食べた後、オレは夏芽の家に朝までいた。
 小さな布団に二人で寝るのはとても窮屈だったけど、ひさしぶりに両親と川の字で寝た日を思いだした。
 自分以外の温もりを感じて眠る。
 温かい誕生日だった。