昏一族はぐれ人物語 〜少年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT7
 
 誕生日。
 昏の血をもつオレにとっても、それは特別な日だった。
 父さんが任務先から早めに帰ってきて、臥せがちだった母さんが赤飯を炊く。
 祝い品なんてなかったけど、大抵父さんが使っているものを一つだけ譲ってくれて、家族三人夕餉を囲む。
 そんなささやかで静かだけど、幸せな日だった。
 三年前のあの時、オレはその日を失ってしまった。そして今。
 夏芽はオレの誕生日を祝ってくれるという。
 夏芽といれば、オレはあの日を取り戻せるのだろうか。

 
「遅いなぁ」
 言葉と共に空を見上げた。太陽はもう、西に傾き始めている。約束したのは昼のはずなのに。
 森のいつもの場所で、オレは夏芽を待っていた。
「誕生日祝うって言ったのは、そっちのほうなんだぞ」
 つい零れてしまったものが、恨み言だと自覚する。バツが悪くなって肩を竦めた。
 どうしたんだろ。寝坊かな。
 よくある理由を考える。でも、すぐに打ち消した。これは夏芽らしくない。夏芽は早起きが得意だって言ってたし、時間にもきっちりしていた。
 もしかして、なんかあったのかな。
 他の理由を考えて、急に不安になってきた。夏芽はあの通り術下手だし、体術も人並み程度だ。自分の身を守れるかと言えば、十分だとは言えない。
 どうする?
 自分自身に訊いた。心配しなくても、もうちょっとしたらやってくるかもしれない。でも、そうでない場合もある。とにかく、確かめたいと思った。
「行こうか」
 気持ちを言葉にして自分を押した。夏芽の住んでる場所は知ってる。火術教えた時、頭の中覗いたら視えた。夏芽の中は無防備で、簡単で飾らない思考が心地よかった。
 いいよな。 
 決めるより先に足が動いていた。夏芽の気は目をつぶっても追える。移動していたとしても、必ず追い付ける自信がある。和の国ではいろいろ目立つこの身だけど、そんなことは言ってられない。
 うん、行こう。
 自分自身を促して、オレは足を速めた。なるべく木や屋根づたいに走る。ほどなくして、目的の場所に到着した。
「あそこだ」
 夏芽は下町通りの隅っこに住んでいた。小さな長屋の連なる、ある一角に。
 端から三番目の戸口に屋根から直接降りたつ。幸い辺りに人はいない。家の中には夏芽の気。
「あれ・・・・夏芽!」
 瞬時に中に入った。自分が感知したものが、戸を叩く間などないと言ってる。夏芽の気が弱っていた。
「夏芽どこ?」
 家の中を見回す。どうしてだろう、ひどくドキドキしている。夏芽は台所の板の間に倒れていた。
「夏芽!」
 駆け寄って身体を起こす。熱い。夏芽は発熱していた。
「どうしたんだよ!」
 ゆさゆさと身体を揺らせた。強行で意識を取り戻そうとした時、閉じられていた瞼がうっすら開く。
「あ・・・・れ?サガ・・・ミ」
「あれじゃないよ!」
「ごめ・・・ん。昼飯・・・落とした」
「何言ってんの!」
 思わず怒鳴ってしまう。夏芽の近くには、いつもの握り飯がいくつか、転がっていた。
「そんなことどうでもいいよ。夏芽、どうしたの!」
 覗きこんで訊けば、夏芽は困ったように顔を歪めた。
「大したこと・・・ないんだ。ちょっと、咬まれちゃって・・・」
「咬まれたの?もういい、黙ってて!」
 有無を言わさず夏芽の意識に滑りこんだ。記憶を探って。あった。
「赤褐甲虫!」
 口をついて出た。和の国でも有数の毒虫。体液に強い毒性がある為、普通は火術で焼却して始末する。
「燃やせばよかったじゃないっ」
 学び舎での実習中、夏芽の仲間の一人が赤褐甲虫に襲われた。夏芽は自分の不安定な術が被害を及ぼすことを怖れて、敢えて小刀で赤褐甲虫を始末した。それでも、防御結界で体液を防ぐことができれば、危険はないはずだった。だけど。
 夏芽は結界を張れなかった。
「よけたんだけど・・・・かかってたみたいで・・・・ごめ・・・・もう」
 真っ黒な目が閉じられた。呼びかけるけど返事がない。浅くて早い呼吸。熱で朦朧とし始めている。
 まずい。
 頭の中に響いた。そして感じる不安。夏芽が、いなくなる。
「ごめん!」
 迷わず服を裂いた。己の能力を行使して、体液のかかった場所を探す。あった。あそことあそこ。もうあんなになってる。焼かなきゃ。
 オレは火術印を組み、小さな火炎をその場所に押しつけた。夏芽の顔が歪む。反射的に波打つ身体を抑えつけて消毒した。腰の物入れから解毒剤を取り出し、傷口へと貼り付ける。あとは、丸薬を。
 オレは丸薬を夏芽の口に押し込んだ。竹筒の水を流し込む。夏芽が咳き込んだ。薬が上手く飲み込めない。
 飲んでよ。
 再度オレは水を流し込んだ。今度は薬と共に水が吐き出される。押し寄せる恐怖。解毒されなきゃ、命はない。
 何してるの。飲まないと夏芽、死んじゃうんだよ。
 なぜだろう。ガタガタ身体が震えてきた。寒いわけじゃない。だめだ、うまく手が動かない。
 お願い夏芽、飲んで。
 鮮明に甦ってくる。父さんが、周叔父さんがいなくなったあの日が。母さんが力尽きたあの瞬間が。フラッシュバックのように浮かんでくる。

 いやだ夏芽。
 いかないで。

 考える間もなく丸薬を口に放り込んだ。水を一口含む。夏芽の顎を掴み、唇を繋いだ。
 ごくり。
 唇を通した水と薬が、夏芽の喉を通ってゆく。胃の腑に落ちたのを確認して、飲み込んでた空気を吐き出した。やっと、飲んだ。
 だけど、まだ油断できない。
 オレは布団を敷き、夏芽を引きずって運んだ。寝かせて様子を見る。あと数刻がヤマだ。
 夏芽に使った解毒剤は、どちらも即効性のものだ。「御影」に支給される広域解毒剤。万能とは言えないけど、赤褐甲虫にも対応している。
「・・・熱いな」
 夏芽の額に手をあてて言った。まだ熱が高い。オレは桶に水を張り、凍術で作った氷を浮かべた。手拭いをひたして絞り、夏芽の額にあてる。
 オレは夏芽の枕元に座った。昏の力をフルに使って、夏芽の中を視る。戦う生態防御機能。効果を示す解毒剤。必死で体内を調整した。少しでも早く赤褐甲虫の毒が、夏芽の身体を脅かさないものになるように。そして。
 夕日が窓を染める頃、夏芽の熱が下がり出した。
「もう・・・大丈夫だ」
 規則正しくなった呼吸に、大きく息をついた。よかった。これで一安心だ。そう思った瞬間。
「・・・あれ?」
 どうしてだろう。目の前が暗いなと感じている間に、オレの意識は闇に墜ちた。