昏一族はぐれ人物語 〜少年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT3

 漆原夏芽は一つ年上で、学び舎の生徒だった。
 学び舎の卒業試験に一度落ち、二度目の卒業試験を控え、森で術の特訓をしていたのだ。
 あの日夏芽にもらった不格好な握り飯は、ところどころ辛かったり味がなかったりした。
 昔母親の作ってくれたものとあまりにも違う味に、オレはくすくす笑いながらも、全部たいらげてしまった。


 翌日。
 オレは夏芽と会った場所に来た。
 別に行こうと意識していたわけじゃない。任務もなかったし、なんとなく来てしまったのだ。
「よお!」
 オレの姿を見つけると、夏芽はにっかりと笑った。いそいそと近づいてくる。
「おはよっ」
「・・・・・・うん」
「んー?」
 返事したら、顔をずいと近づけられた。いきなりのことに、オレは退く。
「な、なに?」
「あのさ。おまえ、なんか言うことない?」
 たじろぐオレに、夏芽は恐い顔している。なんなの?
「ない、けど・・・・」
「そうじゃないだろ?朝出会ったら『おはようございます』だよ!」
 かなり真剣な様子で、夏芽はオレに言った。オレは驚く。『おはようございます』だって?
「あの・・・」
「サガミ、挨拶は大切なんだぞ。確かにおまえ美人だけど、女は愛敬がなくちゃって土岐津のおばちゃんが言ってた。だから、面倒くさくてもちゃんと言わなきゃ。な?」
「オレを女だと思ってたの?」
「ええっ!」 
 ふたりして驚いた。オレは女に間違われてた事実に。夏芽はオレの言葉に。
「違うよ!オレ、こんなだけど、違う・・・」
「え!その、おまえ・・・・・男なんだ。色白いし、華奢だし、声も高いし・・・・・・そんなきれいな顔してるから、てっきり・・・・」
 むっつりとするオレに、ひきつりながら夏芽が言った。汗をかいて、狼狽え出している。
「男だよ」
 じろりと睨みながら言った。ムカムカする。悪かったね。チビでやせっぽちで声変わりまだで。でも、現役「御影」なんだぞ。
「そうかー。そうだったんだ。マヌケー。また千秋兄ちゃんに笑われちゃうよ」
 ひくひくしながら夏芽が言った。土岐津に千秋、どっちも聞き覚えのある名前が飛び出す。なんで?オレの知ってるそいつとは、夏芽は気が合いそうにないんだけど。
「と、とにかくな、挨拶しようぜ。な?何にもなしじゃ寂しいだろ?」
 動揺を隠すように夏芽が告げた。オレは急におかしくなる。はいはい。夏芽の言ってることは正しいよ。そうだね。朝は『おはようございます』だもんね。
「うん・・・わかった」
 苦笑しながら頷いた。夏芽がホッとした顔をする。
「じゃあな、おれからいくぞ。おはようございます!」 
 挨拶。
 忘れていたものが甦る。父母が生きていた時代、普通に挨拶を交わしていた。ごく自然に、交わせる相手がいたから。
「おはよう・・・・ございます」
 思いだした感覚。放った言葉を、受け止めてもらえる嬉しさ。急に、胸が痛くなった。
「どうしたの?」
 胸を押えるオレを、夏芽が慌てて覗きこんできた。オレは首を振る。なんでもないよ、ちょっと思いだしただけ。
「うーんと、調子悪いんならさ、そこ座っとけばいいよ。水はそこ。わかる?」
「うん」
 夏芽の優しい言葉に、オレはまだ女扱いされている気がしてそっけなく返した。夏芽はどうしたらいいかわからないらしく、ぽりぽりと頭をかいている。
「一通り風術やったら、お昼にするから。寒かったらおれの上着、着てて」 
 少し離れたところに移動し、夏芽はぎくしゃくと告げた。オレは夏芽の荷物がある木の根元に腰かけ、ぼんやりと特訓を見つめていた。
 久しぶりだったな。
 先の挨拶を反芻する。それはオレの記憶。温かくて、大切な。
 御影宿舎じゃ、みんなバラバラだし。
 「御影」では皆、多岐にわたる時間の任務をこなしていた。だから『おはようございます』や『こんにちは』、『こんばんは』なんて使わない。大抵、『よう』とかだ。
 しかし・・・・不器用だな。
 夏芽の特訓を見ながら思った。夏芽は微妙な力加減とか感覚とかがわからないみたいだ。だから何でも、一回で上手くはいかない。でも、その分夏芽は努力していた。何度も繰り返して。それこそ、一生懸命に。
 懐かしいな。
 昔を思いだす。「昏」の能力がなかった時代、オレも夏芽のように毎日練習した。結果が出なくて、焦って苛立って。そして落ち込んで。それでも事態は改善しなかった。自分の無力を思い知らされた、あの日が来てさえも。
 夏芽の努力、実ればいいね。
 心の底から思った。オレの努力は実らなかった。肝心な時には役たたずで。能力がないという理由で、戦いにさえ参加させてもらえず・・・・。
「風術!」
 夏芽が叫んだ。小さなたつまきが起ころうとして、中途半端で消えた。思わずオレは、がくりとくる。
「こらー!おまえ、あきれてるだろ!」
「だって、不発なんだもの」
「うるさいっ。次は上手くやるよ」
 夏芽がムキになっている。くるくると変わる表情。どれも生き生きとしてて、見ていて飽きない。
 そういうところは、器用だと思うんだけどな。
 またたつまきが起こりかけて、消滅する。オレはこめかみに手をやった。
「見てろよっ」
「はいはい」
 夏芽の声。伝わる諦めない意志が心地よかった。目だけでエールを送る。カサカサと枯れ葉の舞う音。少し、肌寒い。
「借りるか」
 オレは夏芽の上着に手を伸ばした。腕を通して身体に巻きつける。微かに残った熱。ふわっと、いいにおい。
 夏芽のにおいだ。
 まとわる熱とにおいが気持ちよくて、オレはゆっくり、目を閉じていた。


「起きろよ」
 前髪に触れられた手を、反射的に払いのけた。構えをとる。
「どうしたんだ?」
 夏芽が覗き込んでいた。そこで気づく。自分が眠っていたことに。
 危なかった。
 背中を汗が落ちる。とっさに攻撃しなくてよかった。これでもオレは「御影」。無意識でも相手を攻撃する術を身につけている。意識的に、肩の力を抜いた。
「オレ、寝てたんだ・・・・」
 自分でも驚く。熟睡。御影宿舎では、したくても出来なかったのに。
「ああ、よく寝てたぜ。そろそろ飯にしようか」
 言われて周りを見回す。太陽は真上に上がっていた。
 まずいよ。
 夏芽の後に続きながら、オレは苦笑した。丸三日寝られない任務だってこなしたのに、どうして眠っちゃったんだろ。それも一人じゃなくて、夏芽がいたのに。
 なんか、調子くるうな。
「おまえの髪、さ」
 戸惑うオレに、背を向けたままの夏芽が言った。オレは首を傾げる。
「え?髪?」
「うん。その、きれいだよな。柔らかいし。絹糸みたいで」
 思いがけないことを言うから、どう答えていいか固まってしまった。髪がきれいって。それ、女を口説く言葉なんじゃないの?
「ごめん!これじゃあまた変だよな。でも、ほんとにきれいだったから・・・・」
「・・・・わかったよ」
「え?」
「髪がきれい、なんだろ?わかった。ありがと」
「・・・ん」
 気まずい雰囲気のまま、オレたちは夏芽の用意した昼食を食べた。昼食はきちんと海苔の巻かれたおにぎりだった。
「今日はまともだね」
「いつもあれじゃ恥ずかしいから、今日は土岐津のおばちゃんに作ってもらったんだ」
「ふうん」
 言いながら一つ、握り飯を取った。ぱくりとかぶりつく。いい塩加減。でも、ちょっと物足りない。
「アレも悪くなかったな・・・・・」
 ぽつり。本音が飛び出していた。ぼたり。夏芽が握り飯を落とす。
「落ちた」
「サガミ!」
「うわっ」
 いきなり目の前に迫られた。真っ黒な、夏芽の瞳が見ている。
「アレってさ!まさか、オレの?」
「う・・・・・うん」
 視線に押され、返事した。夏芽の顔がパッと輝く。
「そ、そうかぁ!いつも弁当作ってもらうの悪いし、どうしようかなって思ってたんだ」
「へ?」
「また作ってくるな!ありがと!」
「う、うん」
 オレの返事に、夏芽は喜色満面、喜んでいた。オレは混乱する。それって、そんなに嬉しいことなの?オレ、なんか変なこと言った?
 俄然ガツガツと食べ始める夏芽を前に、オレは首を傾げていた。 


「じゃ、またな」
 夕暮れの中、夏芽が手を振る。
 その姿が見えなくなるまで、オレは夏芽を見送った。