昏一族はぐれ人物語 〜少年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT23

 消してしまおう。
 全てが間違っていたのだ。
 何もかも消し去ってしまえば、夏芽は・・・・・。 


 意識をなくした夏芽を、オレは転移の術で夏芽の自宅に運んだ。汚れた着物を脱がせ、湯を沸かして身体を拭き清める。傷の手当てをして蒲団に寝かせた時、夏芽は僅かに顔を歪めた。目を覚ますかと思ったが、それきり夏芽は静かに眠り続けていた。
 熱が出るかもしれない。
 脈を取りながら思った。意識を集中し、「力」で夏芽の身体を視る。少しずつ上がってゆく体温。深い眠り。いきなり襲った衝撃に、身体が対応しようとしている。
 いつ頃目を覚ますだろうか。
 寝顔を覗きこんで思った。普通「昏」の力を受けると、多少なりとも精神に負担を受けることになる。「操作」の折、オレは夏芽の心を壊さないよう最新の注意を払った。夏芽は今まで何度か、昏の力を受けている。だけど。
 今回オレが夏芽に施したのは、それらより大きな規模の「操作」だった。暁の時のような、心の中身自体を根底から変えるものではないにしても。それでも、心配なことに変わりはなかった。
 やはり、きちんとした施設で診てもらった方がいい。
 しばらく考え、オレは夏芽を御影研究所に連れて行くことにした。命に支障を来さないのはわかっている。しかし検査だけでもと夏芽を抱き起こした時、慣れた気を感じた。オレは夏芽を抱き上げるのをやめ、戸口を振り向いた。
「おーい、夏芽いるか?って、いたいた!」
 がらりと戸が開いて、外には土岐津が立っていた。
「嵯峨弥ー。お前、帰還しないでなにやってんだよ。帥が怒ってたぞ」
 言いながら土岐津はドカドカと夏芽の家に上がってきた。オレは身を固める。
「ここにいたのかよ。気まぐれもいい加減にしろよ。おかげで、俺まで捜索に駆り出されたんだからな。って、なんだ?」
 そこまで言って、土岐津は寝ている夏芽に気がついた。心配そうな顔で近づいてくる。
「どうしたんだ?夏芽のやつ、寝てるのか?」
 オレの隣にひざをつき、土岐津は夏芽の顔を覗きこんだ。額に手をあてる。
「病気か?熱は・・・・・・少し、あるな。お前、看病してくれてたのか」
 にかりと笑いながら、土岐津はオレに告げた。安堵の表情。ずきりと胸が痛む。
「すまねえな。けど、もう少しこうしててくれや。ちょっくら、医者呼んでくるわ」
 言いながら土岐津は立ち上がろうとした。とっさに腕を掴み、オレは同僚を引き止める。違う。言わなきゃ。病気の看病なんかじゃない。
「土岐津」
「あ?」
「違うんだ。夏芽は、御影研究所に連れてゆく」
「はあ?なんであそこに?こいつ、一般人だぞ?」
 声を裏返して同僚が返す。
「夏芽は・・・・記憶操作を受けたんだ。オレが、やった」 
 意を決して告げた。瞬間。土岐津の目が大きく開かれる。落ちた沈黙。空気に緊張が走って。
「嘘だろ」
 土岐津が言った。
「嘘だよな?お前、こいつを大切にするって言ってたじゃねぇか。『操作』って、いつものやつだろ?」
 確認するように土岐津は訊いた。オレには答えられない。全部、違う。
「嵯峨弥?答えろ」
「・・・・・・」 
「なんとか言えよ」
「・・・・・・」
「おい!」
 業を煮やした土岐津が、胸ぐらを掴み上げた。絞めあげられる。目の前には、苛立った土岐津の黒い瞳。
「嵯峨弥!」
 叫びに目を瞑った。身体が戦く。それでもオレは拳を握り、震える唇を開いた。
「夏芽が、同族に掠われたんだ」
「なに?」
「それで、助けに行った。出雲は、同族は夏芽を眠らせただけだった。でも、オレに襲いかかってきて・・・・・。必死で防戦してるうちに、夏芽は目を覚ましてしまった。出雲は夏芽を狙って、オレは夢中で・・・・・同族を殺した。だけどその場面を、夏芽は見てしまった」
 そこまで一気に言って、オレは息を吸い込んだ。感じる土岐津の視線。顔が、上げられない。
「で?」
「夏芽は・・・・脅えた。オレから逃げようとした。オレは夏芽を離したくなくって、力ずくで、夏芽を・・・」
 ぎりり。奥歯を噛み締める音がした。湧き立つ土岐津の怒り。刃のように肌を切り刻んで。
「終わった時夏芽は泣いてて・・・・オレは後悔した。自分は間違っていたと思った。オレは夏芽と関わってはいけなかった。オレのことなど知らなければ、夏芽は平和な生活をおくれていたんだと思った。だから・・・・」
「夏芽の記憶を『操作』したのか」
「・・・・うん」
「馬鹿野郎!」
 衝撃。いきなりふっ飛ばされた。左顔面を覆う痛み。目の前に銀色のものが舞う。切れた口を拭って見上げると、黒髪の同僚が立ちはだかっていた。
「ふざけんじゃねぇ!何考えてやがる!」
 二発め。今度は腹を抉った。逆流する胃液。身体をくの字にして転がる。
「・・く・・・」
「イヤなことは忘れたほうがいいってか!それが夏芽のためだってか!寝言ぬかしてんじゃねぇよ!」
 今度は足が飛んできた。防御した腕ごと身体を飛ばす。したたか、背中を打ちつけた。うずくまり咳き込んでいたところを、ぐいと首を鷲づかみにされる。無理矢理上半身を引きあげられた。
「そんなのはなぁ、ただの詭弁なんだよ!お前が夏芽を傷つけた事実から、逃げ出したいだけだ!」
 言葉が胸に突き刺さった。ぱくりと開いた傷口。その中に、己の弱さとずるさが見え隠れして。体裁のよい「理由」が流れ出す。オレは夏芽が自分のことなど忘れた方がいいと思った。覚えていれば、夏芽自身が苦しむだけだと。そう思ったからこそ、夏芽の記憶を「操作」した。だけど。
 それは、ただの「逃げ」だったのか。
「逃げんな」
「とき・・・つ」
「逃げんじゃねぇ!」
 怒号と共にぶんと投げ捨てられた。床に倒れ込む。身体を起こして気づいた。すぐ近くには、眠る夏芽。
「きれい事ぬかしてるヒマがあったらなぁ、そいつに償え!」
 土岐津の言葉。背中に浴びた。体中の痛みを堪えて夏芽を見つめた。そろそろと手を伸ばす。夏芽の白い頬。
「・・・・ごめん」
 声を絞りだした。夏芽が滲む。ゆっくりとぼやけて。
「ほんとにごめん・・・・・夏芽・・・・」
 身体が震える。どうしたらいい?どうしたら夏芽に償える?どうしたら夏芽はまた笑える?必死で考えた。だけど、考えれば考えるほどわからなくなってゆく。犯した罪が大きすぎて。
「戻せ」
 途方に暮れるオレに、土岐津が言った。
「戻せるんなら、こいつの記憶を戻せ。そして逃げるな。殴られても罵られても、決してこいつから逃げるんじゃない」
「土岐津・・・」
「忘れるなんて認めねぇ。なかったことになんて、俺がさせねぇ!お前はずっと覚えているんだ。自分が何をやったかを。それで、夏芽がどんな思いをしたかを。その上で、自分は何ができるか考えろ。そして、できることは何でもやれ!できないことでもやるんだ!」
 真摯な瞳が見ていた。オレは奥歯を噛み締める。
「覚悟しろよ。償いなんて、簡単なものじゃねぇ。きっと夏芽も苦しむだろう。だけど目を反らすな。目を反らす資格なんか、お前にゃあないんだからな!目ん玉開いて全部見ろ!お前も苦しめ!」
 土岐津の言葉。耳に響いて身体を貫く。逃げてはいけない。目を反らしちゃいけない。全部見つめて。できないことも、できるようになって・・・。
「・・・うん」
 震えながら頷いた。
「やってみる。・・・・・・夏芽の記憶を、修復するよ」
 目を閉じて印を組んだ。精神集中。再度「力」を使って、夏芽の意識に入ろうとした。その時。
「ストップ!」
 突然、夏芽の周りに結界が張られた。強力な攻撃結界。弾かれたオレは、声のした方を振り向く。
「遥!」
 土岐津が叫んだ。
「嵯峨弥、『操作』は駄目だ。今の彼は、記憶をなくしていた方がいい」
 一枚の符と共に現れたのは御影本部でも上位の符術師、東洞院遥だった。