昏一族はぐれ人物語 〜少年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT17

 大切な人を忘れて生きてゆくこと。
 それに、どれほどの意味があるのだろうか。それでも。
 その大切な人が望んだ命ならば、消し去ることはできない。
 彼はまだ、生きているのだから。


『嵯峨弥』
 ごく微弱な気と複雑な波長で、耳に遠話が届いた。誰のものだかすぐにわかる。遥だ。
『わかってる』
 同じ波長で返した。遥の言いたいことは分かっている。オレの任務は暁を抑えるだけじゃない。もう一つ、大きな仕事があった。
 暁を「操作」し、昏周に関する記憶を消し去ること。
『きみの気持ちもわかります。ですが、このままではもちません。始めてください』
 容赦のない言葉に、無言で返した。唇を結び、腕の中の少年を見る。暁はオレにしがみつくようにして泣いていた。俯く顔を両手で囲む。上を向かせた。
「ごめんな」
 赤く充血した金眼を、見つめながら言った。涙をたたえたそれが、不思議そうに輝く。
「ほんとに、ごめん」
 告げて、オレは「操作」を始めた。運動中枢の回路を凍結。抵抗を封じて意識の奥へと進む。暗い闇が視えた。
 昏周を探すんだ。
 オレは息を詰め、更に暁の深部へと沈んだ。


 真っ暗な空間を進む。彼の大切な光を探して。
「・・・・深いな」
 かなりの時間沈んで、ついに口から出た。暁の心は昏くて、恐ろしく深い。無意識下に数え切れない負の部分を抱えているようだった。
 これを解放してしまったら、精神自体が危ないよな。
 封じられているものを横目に、更に奥へと向かう。光だ。光の中に、叔父はいる。
「あれか」
 遠くに微かな光が見えてきた。決して大きくはない。だけど、白くて強い。周りの闇を牽制するみたいに。
 まちがいない。
 確信してオレは進んだ。光の前に立つ。中を、視た。
「叔父さん」
 そこには昏周がいた。光の中で、目を閉じている。眠っているのか死んでいるのかわからない。けれど、二年前の記憶のままに、昏周が存在していた。
 これを、消せばいいんだな。
 印を組もうとして、それに気づいた。光から続くいくつもの糸。あの闇へとつながっている。
 まさか。
 いやな感じがして、光の周りを調べた。予感的中。この光は、暁が無意識下に抑え込んでいる負へとつながっている。
 消せない。
 本能的に感じた。この光は、叔父との記憶は暁の心の核だ。これがあるから無意識下のものも制御できている。これをなくせば、あの闇が解放されてしまう。
 そうなったら、暁は人ではなくなる。
 底知れぬ恐怖を感じた。情も愛も何もない。欲望だけの生物。常に埋められぬ空洞を抱え、己が求めていることも知らず貪るだけの。
 だめだ。そんなの、できない。
 必死で方法を探した。昏周の記憶があっては、暁は自分も周りも許さない。だけど、これがなければ暁は、人の心を持つことができない。どうすれば・・・・。
 なんとかして、叔父の記憶を意識から切り離せないだろうか。
 ふと考えた。昏周に関する記憶を封印して、暁の意識から切り離してしまえばいい。周囲を厳重な結界で囲い、簡単に開けられないよう鍵を閉めて。封印した記憶を遮蔽して、暁自身から見られないようにすればいいのだ。そして記憶を封印する鍵そのものを、これからの暁の心の核にすればいい。
 何か、ないか。
 オレは辺りを見回した。鍵を。心の核になりえるものを。暁の大切な記憶を。
 探せ。
 オレは走り出した。暁の中を駆け回る。ないか。どこかに隠れていないか。暁の嬉しかったこと。自分が生きていることを、肯定的に思った瞬間を。
 どこだ。
 思念を隅々まで飛ばして、探し続けた。どんな小さなものでもいい。言葉でも、思い出でも、他の誰かでも。
『あの人だけじゃないよ』
 ふいにそれが聞こえた。
『暁のこと、思ってくれる人はほかにもいる』
 茶色の髪の漆黒の目。暁と同じ年位の少年が見ている。まっすぐな瞳。
『いつか、きっと現れるよ』
 四阿。梅の香。遠くに鳥の声。うららかな光と、少しだけ肌寒い風。静かな庭。
『いまだって、いるよ』
 純粋な想いが向けられた。一生懸命な。この少年は、暁を大切に思っている。
『ここに』
 少年が告げた言葉が、波紋になって暁の中に広がる。思われる喜び。否定されないことへの安堵。信じることへの期待と不安。
『ほんとだよ』
 少年は返した。真実、それだけの言葉で。疑いも偽りも何もない気持ちで。
『ほんとに、ほんとだよ』
 暁は幸福だった。思われることを知って。昏周以外を思うことができて。生きてきて、よかったと思った。
 小さいけど・・・・・これなら。
 オレは両手印を組み、この記憶を結界内に閉じ込めた。鍵として設定する。キーワードは梅の香、鳥の声、光と風。
 これを、昏周の記憶の代わりに・・・。
 オレは幾重にも封印結界を張り、昏周の記憶を封じ込めた。それを心の核から引き抜く。すばやく小さな記憶を詰めた。小さな記憶と昏周の記憶に遮蔽を施す。これで、暁から見えない。遮蔽のはずれる条件は、叔父の記憶の封印と同じにした。
 これでいい。
 大きく息を吐きだした。
 あとは・・・・いらない。
 オレは口を真一文字に結び、暁の残された記憶の群れへと跳んだ。
 叔父の記憶とあの小さな記憶。それ以外に残された記憶は、暁を苦しめるだけのものだった。
「破っ」
 粉砕してゆく。暁の悲しみの記憶。つらかった過去。できる限り、影形もなく。
 あれは・・・・・無理か。
 無意識下にあった負の部分の半分以上は、消せずに暁の中へと残った。残念ながら、これから暁は、想像もつかない人格へと変化してしまうかもしれない。叔父の記憶を封印してしまったのだ。あの小さな記憶だけでは、抑えられる負の部分は僅かだろう。しかし。
 できるだけは・・やった。
 満足などできる結果ではない。だけど取り敢えず、これで暁は昏周を思いださない。たぶん、自分の名前さえも。
 ゆっくりと意識の表層へと上がってゆく。やり場のないものを感じながら、オレは出口を目指した。