昏一族はぐれ人物語 〜少年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT13

 どんなに求められても。
 どんなに応えたくても。
 それが偽りの意志になるなら、前に進むことはできない。
 自分を騙すことなど、できはしないから。


 風の吹きつける音だけが、部屋に響いていた。オレは膝を抱える。ぼんやりと自分がいる空間を見ていた。
 今日、何日だろ。
 ふと思ったけれど、ひどく頭は鈍くなっていた。他人の思考さえ視える昏なのに、視えた情報を頭が受けつけない。疑問に答えてくれる者もいなかった。任務はないし、夏芽は最終試験中だし、出雲もいない。
『お元気で』
 出雲の言葉が耳から離れなかった。拒絶したのは自分。応えなかったのも自分。自分が原因なのに。
 ならば、どうすればよかったのだ。
 自分自身に問いかける。だけどそれは繰り言に近かった。結局のところオレには昏に戻る意志はないし、出雲が求めるように一族を統べることにも興味はない。どれだけ切望されても、自分の望むものとは違うのだ。
 もうよそう。求めに応じもしないで、影を追うのは傲慢だ。
 出雲の面影を振り切ろうとした時、部屋の戸を叩く音がした。
「だれ?」
「ぼくだよ。開けて」
 声の主は遥だった。慌てて戸を開ける。
「御影長がきみを呼んでる」
 栗色の髪の男は、栗色の目を細めて告げた。

「帥が呼んでるって、任務?」
 長い通路を歩く。前行く背中に訊いた。
「そうだよ」
 同僚が振り返る。ゆるくカーブを描いた髪が、細身の背中を流れ落ちた。
「どんな任務?」
「うん。それは、帥からでないと。・・・ただ」
「ただ?」
「少し、厄介なことになってるんだ」
 困ったような表情を向け、遥は再び前を向いた。それきり何も言わない。オレも黙って歩き続けた。
「急ぎ、御影研究所へ同行せよ」
 帥の話は端的だった。オレは顔を顰める。もっと、詳しく説明してよ。
「行って、何するんだよ」
「行けばわかる。早く来い」
 段取りも何もない、なんて任務だと思ったが、それに従うしかなかった。半分ふてくされながら、御影宿舎を後にする。
「御影研究所にさ、何があるの?」
 同じく帥に同行していた遥に、こそりとオレは尋ねた。遥なら話してくれるかもしれない。
「そうだね。口で説明するより、まず自分の目で見た方がいい。とにかくここ三年程ぼくがメインでやってきた任務なんだけど、そろそろ限界になっててね」
「それで、土岐津に手伝わせたってわけ?」
「よく知ってるね。そう。だけど、相手の力の方が大きくて・・・・」
「無駄口するな」
 こそこそと話すオレたちに、前の帥が命じた。遥が肩を竦める。オレも口をつぐんだ。
『とにかく急ごう。間に合わなかったら大変だから』
 遠話で遥が言った。オレは頷き、後を追った。


 御影研究所についたオレは、建物の中に入って異変を感じた。なんだろう。僅かに感じる気。夥しい念にも似た。
「なんだよ、これ」
「気づいたの?さすが昏だね」
 不審丸出しのオレに、遥が返した。オレはむすりとする。お世辞はいい。早くこの状況を説明しろ。
「いいだろ?教えてよ」
「それは研究室に入ってからだ。今は時間がない」
 伺うオレに、今度は帥がぴしりと言った。しかたがない、黙ってついてゆくか。
『しかし、帥はともかく、遥も案外手ごわいんだな』
 正直意外に思った。実はここに来る途中、情報がほしくて遥の思考を読もうとした。けれど、この同僚の中はきれいにガードされている。固い障壁というよりは、やわらかく真綿で包み込むような壁。押し入ろうとしてもするりと力のベクトルを逸らしてしまう。始めて経験する防御の仕方だった。
「こっちだ」
 いくつかの扉を通り、オレ達は研究所の地下へと進んだ。研究所の扉にはそれぞれ符がはりつけてあり、それらがひどく摩耗している。奥へ進む度に高度な符になってきている事実が、いやでも緊張を高めた。
「入るぞ」
 一際頑丈そうな扉の前で、帥が告げた。入口で個別照合がなされ、中へとすすむ。
「お待ちしておりました」
 中には数人の白衣の男がいた。一人、こちらに近づいてくる。年の頃は二十代前半。銀縁の眼鏡をかけ、胸には守護符と防御符をつけている。
「彼は、どうですか?」
 一歩前に出て遥が尋ねた。
「よくありません。今ある符を使い切るのも時間の問題でしょう。符の封印力より彼の力の方が勝ってきてます。職員の中にも、何人か念にやられて倒れた者が出ています」
「まずいね。中枢には?」
「二日前に報告しました。追って、正式に決定が下されるかと」
「二日前か。間に合えばいいがな」
「御影長。ぼくが言った通りでしょ?」
「ああ」
 三人は何やら話しだした。オレ一人、蚊帳の外へ置いていかれる。
「決定って何なの?」
 もう待てずに訊いた。三人がこちらを見る。構わず睨み付けた。だってさっきからどきどきしている。この全てを飲み込んでしまいそうな禍々しい念。これがどこから来てるか確かめたい。
「いいだろう」
「そうだね、まずはきみに話さなきゃ」
 帥と遥が顔を見合わせ頷いた。オレはぐっと口を結ぶ。そうだよ。さっさと話せ。
「遥殿、失礼ですがこちらは・・・」
 小首を傾げながら、白衣の男が訊いた。
「彼が話した昏だよ。昏嵯峨弥という。まだ上から指令はおりてないけど、間に合わない時のために連れてきた」
「そうですか。それは的確な判断です」
 遥と白衣の男は頷き合った。オレは既にイライラしてくる。いい加減にしてくれ。
「彼はここの研究職員で、鴫(しぎ)というんだ」
 不機嫌まるだしのオレに、苦笑して遥が言った。鴫という名の男が挨拶する。一応頭を下げた。
「紹介はいいよ。それより、この念は何?」
「人の念だよ」
 静かに遥は答えた。栗色の目がまっすぐに向けられる。形のいい唇がひらいて。
「まずは『百聞は一見にしかず』、かな。彼に会ってみて」
 部屋奥の真正面、ガラス張りになっている部分が指差された。オレは慎重に近づく。白い物が見えて、驚愕した。
 それは、全身符に囲まれた人間だった。