学び舎の卒業試験に受かる為に、夏芽は森で特訓していた。
 卒業試験には学科と実技である模擬戦があり、模擬戦に参加出来る条件は、防御結界が張れることだった。




昏一族はぐれ人物語 〜少年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT11

「始めるよ。手印は完全に覚えてきた?」
「何とか」
「口呪は大丈夫だよね」
「うん、それは大丈夫」
「じゃあ、気を高めてみて」
 そう告げて距離をとった。まだまだぎこちないけど夏芽が手印を組む。うん、今日は間違ってない。
 一音一音はっきりと、口呪が流れ始めた。声に緊張が混じってる。最後まで、うまく言えたらいね。
 少しずつ気が高まってきた。夏芽の気。温かくて、肌に馴染んでくるようなそれが、大きく広がってゆく。
「いい感じだよ。次は、気を自分の周りに集めて。固定化しやすいように波長を調節して」
「う、うん」
 広がっていた気が、夏芽の周りに集まってきた。夏芽が波長を変える。薄く、銀色に光り始めてきた。
「そうそう。次はタイミングを見て、ここって時にササッて結印組むんだ」
「わ、わかった」
 銀色に光る膜が、夏芽をうまく取り囲んだ。よし、今だ。
「夏芽ッ」
「えっ、なに?」
「結印だよ。早く」
「ええっ、今?」
「早くって、ああっ!」
 ぴしんと何かの弾ける音がして、夏芽の結界が破れた。夏芽が弾き飛ばされる。大地を蹴って・・・・。
「わぁ!」
「よっと」
 飛んできた夏芽を受け止められたことを『やった』と思った。確か最初に会った時には、一緒に吹き飛んでしまったから。
「あー、しっぱいしたぁ」
 オレに抱きかかえられるようになってた夏芽が呟く。
「しかたないよ。最初からうまく出来るワケないもの」
 夏芽にまわした腕はそのまま、上から覗きこんで言った。
「そうだよな。ありがと」
「どういたしまして」
 立ち上がろうとする夏芽の胴を、にっこり笑んで解放した。やれやれと言う感じで夏芽が立つ。ふと、オレを見つめた。
「・・・あれ?」
「何」
「サガミ、背、伸びた?」
 問われて気づいた。出会った頃とは微妙に違う位置に夏芽の顔。ひょっとして、同じくらい?
「なんか、そうかも」
「うわ、やられちゃったよ」
 ちょっと嬉しいオレの前で、夏芽がガシガシと頭を掻いた。オレは更に嬉しくなる。年だけじゃなくて、身体も夏芽に追いついてきてる。
「そういえばここんとこ、膝とか痛かったんだ。今日も朝、痛かったよ」
「成長痛か。じゃあ、まだ伸びるってことだな」
「そう?」
「そうだよ。ちぇっ」
 嬉しいオレとは反対に、夏芽は不機嫌そうな顔をしている。
「どしたの?」
 疑問に思って訊いた。
「・・・・なんでもない」
「だって夏芽、おかしいよ」
「・・・・・」
 窺うオレに、夏芽は黙り込んでいる。夏芽の思考に黄色の点滅。自分を卑下してる。
「気にすることないよ」
 頬を両手で囲んだ。ぐいと引き寄せる。
「オレは夏芽がいいんだ」
 目の前数センチで告げた。黒い目がまん丸になる。有無を言わせず、唇を押しつけた。
「!」
 夏芽の身体が硬直する。唇と手のひらから伝わってきた。緊張。鼓動。熱。
 もう、いいかな。
 頃合いをみて両手と唇を離した。固まったままの夏芽がいる。
「わかった?」
 言葉で念押しすると、夏芽はこくこくと頷いた。
「じゃ、特訓の続きしよ」
 微笑みながら促す。
「うん」
 やっと夏芽が笑った。照れ臭そうに背を向ける。距離をとって構えた。
「も一回、やるから」
「うん」
「いきます」
 再度手印が組まれた。口呪が紡がれる。オレは高まってくる気を感じながら、夏芽の結界術を見守った。


「結界って、難しいよな」
 昼食の握り飯を頬張りながら、夏芽が漏らした。
「まあね。でも、それだけに身につけたら有利になるよ」
 たくわんをつまみながらオレが答える。たくわんは槐の国特産で、任務帰りに出店で買ったものだった。
「最終試験も迫ってきたしなー、間に合うかな。間に合わなきゃ、試験出られないよ」
 握り飯を見つめ、夏芽がブツブツ愚痴っている。たくわんを咥えながら、オレは夏芽の頭をぺしりと叩いた。
「いてっ」
「弱音吐かないでよ。そんなじゃ、できるもんも出来なくなるよ」
 口を尖らせ抗議する。へたれてる間があるなら、練習もっかいやったら?
「怒るなよ〜」
 夏芽は頭をさすりながら、じとりとオレを見返した。ぱくりと握り飯にかぶりつく。オレはフンと鼻をならした。
「夏芽が怒らせるんじゃない」
「わかってるけど、上手くいかないし・・・」
「当たり前だよ。何でも努力なしですんなりいくはずないの。そうだろ?」
「うん・・・・」
 ぴしりと言うオレに、夏芽は項垂れ加減だ。無理もない。朝からずっと結界術やってるのに、ことごとく失敗して弾き飛ばされてるんだから。
「あのさ、夏芽は結界術やってる時、何考えてるの?」
 茶を一口飲みながら訊いた。夏芽がこちらを見る。少し、考えてるようだった。
「うーん、上手くいくように、かな」
「そうか、それなんだ」
「へ?」
 手を叩くオレに、夏芽は不思議そうな顔をした。小首を傾げている。
「結界は術者の意志に影響するんだ。特に、夏芽に教えている防御結界は」
「意志?」
「うん。なんせなにかを『守る』結界だからね。心で念じるんだ。『守りたい』って」
「『守りたい』か・・・」
「何でもいいんだ。自分でも誰かでも自分の生活でも。守ろうとする気持ちが、結界になる」
 詳しく説明するオレに、夏芽はまた何か考えてるようだった。真剣な表情。思い切ったように頷いた。
「わかった!」
「夏芽?」
「早く食べよ。おれ、もっかいがんばる。サガミの言ったことを頭に入れてやってみる」
 言い切って夏芽はにっかりと笑った。オレは嬉しくなる。夏芽がオレの好きな顔になって、よかった。
「守りたいもの、だよな?」
「うん」
 夏芽は元気を取り戻し、がつがつと握り飯を食っている。オレはふと、思いだしていた。
『出雲がおります』
 三年前のあの日、この耳で聞いた。父さんも母さんもいなくなって、自分が一人だと思った時。
『出雲が、お守りいたします』
 真摯な言葉。一人ではないのだと思った。出雲が見ていてくれる。だからこそ、自分の足で立たなければと。
 出雲、里に帰っただろうか。
 苦しさを押し殺した表情が、今でも頭に残っていた。あんな顔をさせてしまったことに、胸がきりりと痛む。だけど、どうしようもなかった。
 オレは、昏周ではない。
 諦めてほしいと思っていた。出雲も長戸伯父も。彼らの言うことはわかる。オレに何を求めているかも。でも。
 オレが望んでいるものは、彼らの求めているものではない。
 だから放して欲しかった。期待などかけずに、忘れ去って欲しかった。
 オレは昏であることより、オレ自身でいたい。オレ自身としてたった一つ、この手にできればいいのだ。
 頼むよ。
 念じるように空を見上げる。まだ重い、冬の色だった。