昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT9

 ばっちり自覚してしまった。
 おれ、嵯峨弥さんが好きだ。
 男だとか昏だとかつり合わないとか、そんなことどうでもいい。
 たまらなくあの人のことが、好きなんだ。


 本能の赴くままに、今日もおれは資料庫に行く。そこには嵯峨弥さんが暮らしている。
「嵯峨弥さん!おはようございます!」
「夏芽さん、おはようございます」
 おれの力一杯の挨拶にも、嵯峨弥さんは応えてくれる。うれしいなぁ。おれ、嵯峨弥さんに嫌われてはない気はするよな。
「朝飯、いつもの握り飯ですみません」
「いいえそんな!もったいないです」
 フルフル、首を振って嵯峨弥さんが言う。ただ、なんの変哲もない握り飯。海苔さえないそれを、毎日嫌いな人から受け取って食ってるわけがない。
「オレ、夏芽さんの握り飯好きですよ。・・・・忘れられない味なんです」
 おれの握り飯を胸に、嵯峨弥さんが言う。遠い眼差し。コメントになんか引っかかりそうな気がするんだけど、深くものは考えない。
「食べていいですか?」
「もちろんです!」
「じゃ、頂きますね」
「んじゃ、おれお茶いれます」
 朝のお食事タイム。おれたちは微笑みながら握り飯を食う。嵯峨弥さんがおれの握り飯を食べる。さもうまそうに。
「だいぶ元気になりましたね。顔色もよくなりましたよ」
「夏芽さんのおかげです。お仕事もありますのに。申し訳ないです」
「これが仕事ですよ。おれ、今週は資料庫の掃除要員ですもん」
一日が嵯峨弥さん一色で過ぎる幸せな時間。千秋兄ちゃんが作ってくれたこの時間は、もうすぐ終わろうとしていた。おれが資料庫の掃除要員として諜報部へ出向するのは今週一週間。あと二日ほどで終わりだ。
「来週から任務に復帰できそうです。どうも、お世話を掛けました」
 ぺこりと頭を下げられて恐縮する。おれ、ホントにやりたいからやったんですよ?ホントに。
「夏芽さん」
「はい?」
「一度今回のことも含めて、きっちりお礼をさせてください」
 最後の握り飯を食べ終えて、嵯峨弥さんが告げた。やけに真剣な顔。ちょっと照れるよ。
「え?いいですよー、気を遣わなくても」
「いえ、この握り飯のこともあります。夏芽さん、お金を受け取ってくれませんし。せめて、お食事くらいごちそうさせてください」
「えー?なんか、悪い気が・・・」
「悪くないです。お願いです。必ず、ごちそうさせてください」
 いつになく強めの口調。固い決心が見えている。ホントにいいのかなって思うんだけど、そこまで思ってくれるのは嬉しい。
 ちょっとだけ、ごちそうになっちゃおうかな。
 とかなんとか思ってるうちに、嵯峨弥さんは握り飯の入っていた重箱を片付けていた。重箱には相変わらず、米粒一つ残ってない。それをキュッキュと洗っている。護国寺の習慣ってすごいなぁ。
「あ、そうだ。夏芽さん」
 洗った重箱を拭きながら、嵯峨弥さんが言った。
「なんです?」
「すいませんが煎茶と、何かお茶菓子を買ってきて欲しいのですが・・・・」
「茶菓子?」
「はい」
 かたり。拭き終えた重箱を食卓に置き、嵯峨弥さんは頷いた。
「朝遠話があったんです。友人が、見舞いに来てくれると」
「はあ、お友達ですか」
 嵯峨弥さん、友達いたんだ。って、そりゃ失礼だよな。
「とても世話になった人なんです。煎茶が好きで・・・」
 幾分嬉しそうに言う。とても世話になった人って、やっぱり仲いいんだろうなぁ。
「わかりました。昼休み、買ってきますね」
「お願いします」
 自分で言ったとおりにおれは、昼休み煎茶と茶菓子を買いに行った。


「初めまして。東洞院遥(ひがしのとういん よう)です」
 そう言って優雅に会釈した人は、千秋兄ちゃんと同じくらいに見えた。実際同い年らしい。栗色の髪。緩くカーブを描いて背中まで流れ落ちている。髪と同色の瞳は、彫刻のように整った顔にはめ込まれていた。
「こ、こちらこそっ。漆原夏芽です」
「嵯峨弥くんから話は聞いています。彼によくしてくれて、ありがとうございます」
 にっこりと美しく微笑まれ、おれは異常に緊張してしまった。嵯峨弥さんより少し高いくらいの長身。流れるような身のこなし。嵯峨弥さんのいる奥の間へ案内した時には、衣からふわりと香の香りがした。
「遥」
 長椅子から起き上がり、嵯峨弥さんが東洞院さんを迎える。
「嵯峨弥。久しぶり」
「うん。元気だった?」
「ああ。嵯峨弥は大変だったみたいだね」
「うん、ちょっとね。面目ないよ」
 長椅子の横に腰かけながら、東洞院さんが言った。嵯峨弥さんが苦笑する。いつもより緊張の解けた表情。お互い名前で呼び合っている。
「護国寺はどう?」
「相変わらずだよ。嵯峨弥がいたころは、もっと面白みがあったんだけどね」
「またそんなこと言って。上人様に怒られるよ」
「叔父さんだって残念がってるんだよ。君があそこを離れて・・・・ね」
 冗談混じりの会話。護国寺って、東洞院さんは嵯峨弥さんが護国寺にいた時の友達なのか。だから、いかにも高貴そうな雰囲気がしたんだ。
「無理をしてはだめだよ。君の代わりはどこにもいない。責任感が強いのもいいけど、程度を考えないと。命がいくつあっても足りないよ。なんなら、ぼくを呼んでくれてもいい。暁ならぼくでも対応できることはある」
 暁。命がいくつあっても。千秋兄ちゃんも同じことを話していた。嵯峨弥さん、暁って誰ですか?どんな任務をしてるんですか?
「遥。ありがとう」
 すこし照れ臭そうな顔で嵯峨弥さんが言った。おれはなにかが胸に生まれる。小さなモヤモヤ。
「でも、なんとか自分でがんばってみたいんだ。おれはいつも、遥や土岐津やみんなに甘え過ぎていたから・・・・」
「嵯峨弥・・・・」
 見つめあう二人。頭の中のモヤモヤはどんどん大きくなっていった。なんかおもしろくない。それを追い出そうと、頭を振る。 
 そうだ。お茶を出さなきゃ。
 思いついて湯を沸かし始めた。昼間に買ってきた茶菓子を出して、お茶の用意をする。ちらり。嵯峨弥さんの方を見た。二人は話し続けている。嵯峨弥さんの打ち解けた顔。東洞院さんの優しい眼差し。
 仕方ないじゃんか。
 自分に言い聞かせる。
 あの人は、嵯峨弥さんの友人なんだから。
 二人はおれが嵯峨弥さんに出会うずっと前に知り合ったんだから。おれより親しいのは当たり前だ。だけど。
 ちょっと、いや、かなりくやしい。
 嵯峨弥さんはなあ、おれが看病したんだぞ。
 ブツブツ口の中で言ってみる。
 それでなぁ、おれの握り飯好きなんだから。
 自分で考えて虚しくなった。なんか、全然勝ってないぞおれ。
 ピーーーーーーーーーッ。
 軽く落ち込んだところで湯が沸く。おれは黙って煎茶を入れた。二人の会話が聞こえてくる。
「心配掛けてすまない。だめだね、こんなことでは」
「そうだよ。君にはやらなきゃいけないことがあるだろ?」
「うん。でもまだ迷ってて・・・・本当にそれがいいのか・・・・情けないよ」
「嵯峨弥・・・・・」
「お茶が入りましたよーって、げっ」
 入ったお茶を持って行こうと振り向き絶句した。なんだよ。なにやってんだよ!
 給仕盆を手におれは固まる。東洞院さんが嵯峨弥さんの頭を抱えるようにして、二人は寄り添ってる。まるで子供が母親にいい子いい子してもらってるように。
「おや」
 ショックで声も出なくなっているおれに、東洞院さんが気づいた。
「嵯峨弥、漆原さんがびっくりしているよ。これでは誤解されてしまう。困ったね」
 さして困った様子もなく、東洞院さんが言う。余裕綽々な笑顔でこちらを見た。その中に挑戦的な何かを感じる。おれはもう、頭の中が沸き立って・・・・。
「お茶です!」
 がしゃん。いささか乱暴におれは食卓台にお茶とお茶菓子を置いた。嵯峨弥さんがびっくりしている。
「な、夏芽さん?」
「ありがとうございます。頂きますね」
 おれの敵意を込めた視線をものともせず、東洞院さんは湯のみに手をだした。こくり。お茶を一口飲む。
「おいしいです」
「よかったですね」
「ええ。滅多に飲めないものを飲ませて頂きました。舌の焼けるように熱い煎茶もいいものですね」
「あっ・・・・」
 嵯峨弥さんの表情がさっと変わる。不安そうにおれと東洞院さんの顔を交互に見つめた。おれはフーフー背中を丸めてるし、東洞院さんは穏やかに微笑している。
 どんどん険悪になってゆく空気に、嵯峨弥さんが一人、オロオロしていた。


「・・・・・申し訳ないです」
 東洞院さんが帰っていった後、項垂れた嵯峨弥さんが言った。
「煎茶の入れ方、夏芽さんに言うの忘れてました。遥は悪い奴じゃないんですが、茶の入れ方にはうるさくて・・・・不本意なものを飲まされた時、ああいった意地悪を言うんです」
 意地悪?そういうレベルじゃないような。ばっちり敵意を感じたぞ。春日様も嫌味だけど、あいつは物腰が柔らかいだけにタチが悪い。
「仲、いいんですね」
「え?はい。遥はオレが護国寺にいる時、度々会いに来てくれました。その時のオレは事情があって落ち込んでて・・・・遥はそんなオレを叱ったり励ましたりしてくれたんです」
「ふうん」
 険のある声が出てしまった。嵯峨弥さんが困った顔している。だけど、そう簡単に気持ちが収まらない。
 いやだ。
 はっきりと思う。 
 おれは嵯峨弥さんが好きなんだ。あいつなんかに渡すの、絶対やだ。
 強く思った。なぜだろう。今までこんなに何かに執着することはなかった。バッカヤローって思って。酔っぱらって諦めて。でも、この人だけは諦められない。
「嵯峨弥さん」
「はいっ、すみません」
「なに謝ってんですか。で、いつにします?」
「え?」
「ごちそう、してくれるんでしょ?」
 昏の人を見上げて、おれは思い切りいい顔で微笑んだ。嵯峨弥さんの表情が、ぱっと変わる。
「ええ!もちろんです!えっと、いつがいいですか?」
「早い方がいいです。なんなら、明日にでも」
「あ!あ、そうですね。今なら夏芽さん、事務の仕事ないですし・・・・。わかりました。明日、終業後に参りましょう」
「はい。お願いします」
「どこがいいかな・・・・土岐津に訊かなきゃ」
 嬉しそうな嵯峨弥さんをよそに、おれは意志を固めていた。この際遠慮とかしてられない。チャンスはなんでも利用して、この人ともっと親密になるんだ。
 漆原夏芽二十歳。マジで河を渡った瞬間だった。