昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT8

「漆原臨時事務局員」
「はい!」
「返事だけはいいですね。とても、風邪で三日間も欠勤していた人に思えません」
「は!ありがとうございます!」
「・・・・・・誉めてませんよ。あなたは風邪などひかないと思ってたんですけどね」
「申し訳ありませんっ。ご期待に沿えずっ」
「だから、期待していませんって。まったくもう・・・・・。いいです。漆原臨時事務局員、本日はあなたにぴったりの業務依頼が入っています」
「は!何でしょうか?」
「諜報部からです。資料庫の掃除。一週間、諜報部に出向です」
「はいっ!承知いたしました!」
「よかったですねぇ。事務処理に無能なあなたらしいです。掃除の様子を見こまれるなんて・・・・」 
「ありがとうございます!ではおれ、これでっ!」
 春日事務局長のイヤミもそこそこ、おれは全力で駆けだした。出口へ向かう。後ろで春日さまが何か言ってるけど、そんなのは無視無視。
 週も半ばのすがすがしい朝、おれは兵部省の廊下を走っていた。目指すは兵部省はずれの別棟、諜報部資料庫。
「嵯峨弥さーん」
 ほどなく目的地につき、戸口で声を掛けた。中からいらえはない。おれはポケットを探る。
「寝てるのかな」
 いつぞや借りたままの鍵を取り出し、おれはカシリと鍵を差し込んだ。がちゃりと扉を開ける。もう自分の家同然に、すたすたと資料庫の奥へと進んだ。その先の扉を開いて。
「おはようございます!大丈夫ですかー?って、嵯峨弥さんっ!」
 奥の間に入っていきなり、おれは備えつけの洗面台へとダッシュした。前方二メートル程の所に、今にも倒れそうな様子で、ひょろりとあの人が立っている。
「何やってんですか!」
「え?」
「まだ立っちゃだめですよっ!」
「ええ?でもオレ、洗濯を・・・・」
「そんなのどうでもいいです!長椅子に戻ってください!」
 殆どタックルしそうな勢いで、おれはあの人を長椅子に押し戻した。銀髪蒼眼の、びっくりした顔が見つめている。
「な、夏芽さん?」
「どーしておとなしく寝てられないんですっ!」
 長椅子の前に仁王立ちして、おれは嵯峨弥さんに怒鳴った。なんてことするんだ。洗濯?冗談じゃない。
「あの・・・」
「また傷が開いたらどうするんですか!嵯峨弥さん死にかけたんですよ?!こんなじゃ、命がいくらあっても足んないです!」
 あの人の声を遮り、力一杯訴えた。びくり。嵯峨弥さんが震える。
「・・・・・すみません」
「謝るくらいなら、最初からやらないでくださいっ」
「・・・・・・」
「洗濯はおれがやります。あんたはケガ人!ケガ人はケガ人らしく寝てくださいっ!ほら、目ぇ瞑って!」
 怒りマークばっちりのおれを前に、叱られた犬よろしく嵯峨弥さんは項垂れている。再度促すとごそごそと横になった。毛布をすっぽりとかぶる。おとなしくなったところで、おれは大きく息を吐き出した。
「じゃあ、ちゃんと寝ててくださいね。おやすみなさい!」
「・・・はい」
 やれやれと頭を掻きながら、おれは洗面台へととって返した。濡れた衣服を手に取る。
 はあ、案外この人、厄介だよな。
 自然と両肩が下がってくる。どしりと重いものを背負いながら洗濯をした。実はこれが初めてじゃない。嵯峨弥さんが意識を取り戻してよりこの三日、同じようなやりとりを繰り返している。
 おとなしい人だと思ってたんだけどな。とんだ思い違いだったよ。
 先週末の夜、嵯峨弥さんは任務で深手を負って帰還した。いわば重病人だ。なのに。
 この昏一族の人は全然、自分が重病人だという自覚がない。遠慮深いんだかなんだかよくわからないけど、すぐにふらふら立ち歩いてしまう。
『応急処置をした後、そのままいなくなってしまったんです』
 あの時、嵯峨弥さんの手当てをしながら鴫さんが言った。鴫さんは御影研究所の研究主任だ。実はこの人、おれが記憶障害の時に世話になっている。
『今動くのは状態からいって危険だと言ったんですけどね。困った人です』
『で、研究所から連絡もらってよ、こいつ、塞いだばかりの傷抱えて抜け出したっていうじゃねぇか。んで、泡食って探したら寝床に帰ってやがるし』
 怒りと呆れが入り交じった顔で、千秋兄ちゃんが言った。嵯峨弥さんがいなくなった知らせを聞き、千秋兄ちゃんはあちこち捜し回ったらしい。
 それにしても、あの二人が来てくれてよかったよ。
 洗い終えた洗濯物を部屋に干し、おれはしみじみと思った。
 来るのがもうちょっと遅れてたら、本当に危なかった。
 血まみれの嵯峨弥さんを見つけた時、おれはパニックで動けなかった。ただギャーギャー喚くだけで。何か喚かないではいられないくらい、怖くて。
『静かにしろ夏芽。鴫さんが処置できないだろ。こいつは昏だから簡単には死なねぇ。だから、落ち着け』
 取り乱すおれの肩を抱き、千秋兄ちゃんが言った。今から思えばすごく情けない。だけど不安で仕方がなかった。嵯峨弥さんが死ぬかもしれない。その事実を突きつけられて。

 今さらながらに思い知らされたのだ。
 嵯峨弥さんは「昏」だと。
 「昏」だからこそ、人一倍危険な任務についているのだと。

『取り敢えず傷の方は大丈夫です。手当てが早くてよかった。しかし、血が足りなくなっています。一週間くらい、安静にさせてくださいね』
 鴫さんの言葉を受けて、おれは風邪を理由に三日欠勤した。三日間、つきっきりで嵯峨弥さんを看病した。そして四日目の今日、千秋兄ちゃんのはからいで仕事中に堂々とここに来られるようにしてもらったのだ。
「嵯峨弥さん、起きてますか?」
 後ろを振り返り、毛布の塊に訊く。
「・・・・はい」
 ごそり。毛布の中から目だけを覗かせ、嵯峨弥さんが答えた。やっぱりこの人、寝てなかったか。
「朝飯、食います?」
「いただきます」
 にっこり笑って聞けば、ひどく安心した表情で美しい人は答えた。おれは複雑な気持ちになる。嵯峨弥さん昏一族ですごい人でこれだけきれいなんだから、ヒラ職員のおれなんかにそこまでびくびくしなくていいと思う。おれといる時、この人はすごく神経を使っている。まるで、何かを怖れているみたいに。
「じゃ、おれが手伝いますから。まだ動かないでくださいね」
 言い渡しておれは嵯峨弥さんのもとへと近づいた。嵯峨弥さんは言われた通りに、おとなしくしている。そっと背中に手を入れ、ゆっくり上体を助け起こした。
「・・・・・すみません」
 至極殊勝な様子で、嵯峨弥さんが告げる。
「『すみません』より、『ありがとう』の方がいいです」
「夏芽さん・・・・」
「おれは、そう思います。謝られてばっかりじゃ、こっちもしんどいです」
「・・・・・・・・」
 おれの言葉に嵯峨弥さんは黙り込んでしまった。泣きそうな顔。ずきり。胸のどこかが痛む。
「どうか遠慮しないでください。あんたはケガ人です。なんでも必要なことは言えばいい。その為に、おれがいるんです」
「・・・・・・・」
「嵯峨弥さん?」
 思わず覗きこんでしまった。嵯峨弥さん、さらに泣きそうになってる。どうして?
「・・・・情けないです」
「はあ?」
「どうしてオレは、夏芽さんに迷惑ばっかり・・・・なのに、あなたは・・・・」
 ぽろり。潤む目元から、涙が一つ零れた。きらりと光る涙。思わず見とれる。
「オレ、夏芽さんにお仕事までお休みさせてしまって。申し訳なくて・・・・」
「そんなのいいんです!おれが好きでやってるんですからっ!」
 涙に慌てて告げた。そうだよ。おれは好きでやってるんだ。嵯峨弥さんの力になりたい。
「でも・・・・」
 戸惑うように嵯峨弥さんが口ごもった。不安げな表情。潤んだままの瞳に、頭がわーっとなってくる。
「あ、そうだ!飯だ!」
 沸いてる頭で思いついた。
「嵯峨弥さん!飯食いましょう!」
 これしかないと宣言する。あー、あぶなかった。あのままいったら、何か変なことしそうだったよ。
「夏芽さん」
「腹減ってるから涙もろくなるんです。なんか、腹に入れないと。はいっ!」
 言いながらおれは服を探り、竹の皮で包んだ握り飯を差し出した。少し驚いた顔の嵯峨弥さんが、押しつけられるままに握り飯を受け取る。
「ありがとうございます」
 握り飯を見つめ、嵯峨弥さんは泣き笑いで微笑んだ。それだけでどきりとする。こんなの見せられたら、大抵の人はイチコロだよ。
「たべていいですか?」
「もちろんですっ。おれ、お茶いれますね」
 いそいそと急須を取りに行った。重苦しい雰囲気は終わり。ああいうのなんか苦手だ。特に嵯峨弥さんの悲しげな顔は。
「おいしいです」
 心の底から嬉しそうな顔で、この人はおれの握り飯を食う。なんの変哲もない、いびつな握り飯を。
「なんか、おかず買ってきましょうか?」
「いいえ、これで十分です」
「それだけだと飽きません?」
「え?どうしてですか?」
 きょとりと見返されて、おれの方が戸惑ってしまった。握り飯が好きだって聞いてたけど、まさかここまでとは。
「夏芽さんの握り飯、おいしいですよ」
 昏一族の人が微笑む。
 うわ、その顔反則だよ。
 綺麗すぎる笑みを向けられ、おれは何度目かの衝動に襲われた。まずい。このままじゃブレーキ効かないよ。必死で話題を探す。
「そ、そうだ、嵯峨弥さんっ」
「はい?」
「なんでそんな大けがしてたのに、御影研究所抜け出したんですか?」
 ひねり出した疑問を投げてみた。嵯峨弥さん、少し、困った顔している。
「すみません。遅れては申し訳ないと思って・・・」
「は?」
「オレ、週末には戻りますって夏芽さんに言っちゃったから・・・・」
「はああ?」
 飛び出しそうなくらい目を大きく開いて、おれは言った。それじゃあなんだよこの人、おれを待たせちゃいけないと思って、重傷おして帰ってきたってか? 
「嵯峨弥さんっ!」
「はい!」
「あんたねぇ!もう、あんたって人は・・・・・」
「?」
「------------------------!」
 言葉にならない。どんどん気持ちが湧き上がってくる。抑えられない。自分にかけてたブレーキが、きれいさっぱり飛んでゆく。

 ああ、だめだ。
 厄介でも思い違いでもなんでもいい。
 おれ、いっちゃうよ。

 どうしようもなく美しくていじらしいこの人に、おれは陥落してしまった。