昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT7
 
 カシリと鍵を差し込み、ガチャリと扉を開ける。
「こんにちは〜」
 そっと中を覗きこみ、奥へと声を掛けてみた。いらえはない。
「・・・・いないか。早く来過ぎたもんな」
 ぼそりと一人呟き、おれは中へと入った。
 

 週末。
 おれは諜報部資料庫にいた。握り飯を持参し、もうすぐ帰ってくるだろう嵯峨弥さんを、ここで待つことにしたのだ。
 いつ帰ってくるかな。
 椅子に座りながら、うきうきと考えた。嵯峨弥さん、おれがいたらびっくりするかな。それとも笑うかな。鍵まで渡してるんだから、怒ることはないよな。
 ちらりと目をやり、食卓に置いた風呂敷包みを見た。中には握り飯が入っている。嵯峨弥さんが言ったとおりの、塩だけの握り飯。
 本当に塩で握っただけだけど、気に入ってくれるといいな。
 正直半信半疑だった。でもおれには彩りもよくきれいに並んだ弁当なんて作れなかったから、どのみち結果的には変わらなかったのだが。
 疲れて帰ってくるんだろうな。風呂とか、どうすんだろ。
 ふと疑問に思った。嵯峨弥さんは遠い所から帰るのだ。きっとくたくたになっている。熱い風呂に入って、汗と埃を流したいはず。
「うーん、やっぱシャワーじゃ物足りないよな・・・・」
 腕組みして、おれは首をひねった。諜報部には一応、専用の仮眠室とシャワー室がある。しかし、それだけでは疲れがとれないだろう。やはり湯船だ。和の国の人なんだから。
「そうだ!おれん家来てもらったらいいんだ!」
 いきなり名案を思いついた。自分でもナイスな考えに顔が笑む。
「おれん家に嵯峨弥さんか・・・・いいなぁ」
 一人勝手に想像して、うっとりとした。わが家の寂しい空間に、光り輝くあの人がいる。もし眠くなってしまったのなら、そのまま泊まってもらえばいい。客用蒲団は・・・・ある。数年前、土岐津のおばちゃんに作ってもらった。たしかおれが頼んだんだ。誰かが泊まりに来た時に、蒲団がなかったから。って、あれ?誰が泊まったんだっけ?
「・・・・・ま、いいか」
 誰が泊まりに来たのか、思いだそうとしたけど出てこなかった。すぐに諦める。別に大切なことでもないし、必要ならまた思いだすさ。
「まだかなぁ・・・」
 つい言葉が漏れる。すごくじれったい気がした。同時に胸が踊るような感覚も。誰かを待つということ。待つことの出来る人がいるということ。両親をなくして以来、ずっと一人で暮らしていたおれには、それはすごく懐かしいことだった。買い物に行った母を留守番して待つ。仕事に行ってる父が帰ってくるのを待つ。少し不安で待ち遠しくて、そして帰ってきた時のあの嬉しさ。
 「待つ」っていいよな。
 しみじみと思った。待ってるからひとりじゃない。ひとりじゃないから待てる。だから待つ。
 いつだったか、同じことを思った気がする。その時も誰か待っていて、両親や千秋兄ちゃんじゃなかった気がするけど。
「あーあ、はやく帰って来ないかなぁ」
 ぐっと大きく伸びをして、おれは窓の外を見た。まだ日は高い。週末って言ってたけど、やっぱり夜になってからだろうか。
 任務、早く終わればいいですね。
 目の奥に貼りついている、嵯峨弥さんに告げた。おれの中の嵯峨弥さんはいつも、美しく微笑んでくれる。
 ふわぁ。
 あくびが出る。なんだか眠くなってきた。そういえば昨日嬉しくて眠れなかったし、朝からシャカリキになって飯炊いたし。握り飯作りまくったし。
「いいか」
 ぎしり。古びた長椅子に腰かけた。嵯峨弥さんがベッドがわりに使っている長椅子に。
「帰ってくれば、わかるよな」
 あの時は酒飲んでたし、だから気づくのが遅れたんだ。
 自分で納得した後、おれはゆっくり、目を閉じた。


 夢を見ていた。
 夢には嵯峨弥さんが出ていた。
『嵯峨弥さーーーん!』
 おれは嬉しくなって駆けてゆく。嵯峨弥さんだ。何してるんですか?
 駆け寄ろうとするおれに、嵯峨弥さんが何か言った。必死な表情。ノイズでうまく聞こえない。なんなの嵯峨弥さん。なんて言ってるの?
『-----------!』
 叫びに目を見張った。あの人が何と言ったか分からない。次の瞬間。
 赤。
 視界が赤く染まった。なんだろう。夥しい赤。これってまさか・・・・・血?
「うわぁぁぁっ!」
 慌てて飛び起きた。息が乱れて、背中がべったりと濡れている。額にも汗。
「・・・・・なんだよ」
 どきどき。まだ心臓が波打っていた。全身の血が暴れている。あれは何だ。どうして血なんか?
 まさか。
 急に、すごく不安になった。嵯峨弥さんの夢を見ていた。そしてあの血。もしかしたら・・・。
「嵯峨弥さん!」
 長椅子から立ち上がった。キョロキョロと周りを見る。暗くてよく分からない。灯を。手探りで何か探す。ランプだ。火術で火をつけて。
「・・・・いない」
 ぼうと照らされた部屋には、誰の姿もなかった。おれ以外。でも・・・。
「嵯峨弥さん、どこですか?!」
 胸騒ぎは消えなかった。不安になる。あの人に会いたい。
「嵯峨弥さん!」
「・・ぅ・・・」
「ええっ!」 
 微かだけど声を聞いた。思わず出口に駆け寄る。扉を開けてすぐの所に、誰か倒れている。血のついた任務服。あれは・・・。

 動かない。
 目の前で何が起こっているのか、頭では分かっているのに。
 身体が、竦んでしまって動かない。
 信じられない。 
 信じたくない。
 いつだったか、今と同じことを考えた。
 今みたいに、動けなくて・・・。

「嵯峨弥さん!」
 やっとのことで声を絞り出した。
「嵯峨弥さん!しっかりしてください!」
 ぬるりとした感覚。血の臭い。抱き起こした嵯峨弥さんは、白い顔をしていた。やっとと言う感じで目を開ける。おれを見つけて、目を大きく開こうとした。
「・・・・・夏・・・・芽?」
「大丈夫ですか?すぐに手当てを!」
「ごめ・・・ん・・・」
「はあ?なに謝ってんですか!」
「本当に・・・・ご・・・・」
 さらり。長い銀髪が流れて、嵯峨弥さんは意識を失ってしまった。