昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT5

 昼間でも薄暗い兵部省はずれの別棟を、今日もおれは尋ねる。
「嵯峨弥さーん」
「・・・・・はい」
 諜報部資料庫の戸口で呼ぶと、中からいらえがあった。しばし待つ。がちゃりと扉が開いて、中から銀髪の青年が出てきた。昏嵯峨弥さんである。
「こんにちは。すみません、寝てました?」
「いいえ、起きていました」
 おれの問いに、嵯峨弥さんは苦笑して答えた。つい二週間ほど前のことを思いだす。春日さまの借りた資料を返しに来て、おれはここに住む嵯峨弥さんと出会ったのだ。
「よかった。この間みたいに、起こしちゃったら悪いですから」
「かまいません。公共の施設に、住みこんでいる方が悪いんです」
 衝撃の再会を果たして以来、おれはここに通い詰めていた。
「今日は買い出しとかないですか?昼飯済みました?」
「・・・いえ、まだ・・・」
「じゃあ、買ってきます。今日は何がいいですか?」
 まだおれの来訪に慣れない嵯峨弥さんに、おれは矢継ぎ早に尋ねる。何かお手伝いすることはないか。この人のことなら、何でも知りたい。とにかく数多く接して、この人と仲良くなりたい。
「どうしたんですか?」
 メニューを尋ねるおれに、嵯峨弥さんの答えはなかった。疑問に思って見つめる。嵯峨弥さん、なんだか戸惑っている?
「その、大丈夫でしょうか」
「何が?」
「夏芽さん、お仕事中ですし。それに、誰かに見られたらと思うと・・・・」
 思い詰めたような顔で、嵯峨弥さんは言った。おれは苦笑する。実は嵯峨弥さんのこの顔、ちょっと苦手だ。
「だいじょうぶです!」
「え?」
「今は昼休みです。午後の就業開始までは、何をしてもおれの自由です!」
「はあ・・・」
 元気よく告げるおれに、おされ気味の嵯峨弥さんが返した。まだ不安な顔している。おれはもう一押しを、口にした。
「それに、ここへは誰も来たがりません。何故だか、幽霊が出るとか言われてるんです」
「・・・・幽霊ですか」
 自信をもって告げた言葉に、嵯峨弥さんは苦笑していた。おれは首をひねる。どうして?
「どうしたんですか?」
「いえ、確かにそう見えるかもしれないなと思って・・・・」
「へ?」
「オレこんな髪ですし、転移の術を使うことが多いから」
 疑問一杯なおれに、苦笑したままの嵯峨弥さんが言った。こんな髪って?すごくきれいだと思いますよ?それに、なんの術だって?
「転移の術って何ですか?」
 疑問に思ってきく。
「移動するんですよ。こんな風に」
 言葉と共に印が組まれた。おれは驚く。なんだよあの印。恐ろしく複雑で早い。
「あ!」
 ゆらりと嵯峨弥さんの姿が揺れて、はたと消えてしまった。キョロキョロ。おれは嵯峨弥さんを探す。
「ここです」
 あの人の声が聞こえた。その方へ顔を向ける。窓枠に嵯峨弥さんが腰かけていた。
「すごいですねぇ〜!」
「大したことないです」
「いいえ!手品みたいでした!」
 ぱたぱた。おれは走ってあの人のもとへ行った。嵯峨弥さんは少し、照れている。
「さすが『昏』ですね」
「父や叔父はもっとたくさん飛べたんですよ。印も略式で・・・」
 言いかけ、嵯峨弥さんは急に黙ってしまった。寂しそうな顔。なんか思いだしちゃったのかな。
「あの、どうかしました?」
「すみません。ちょっと昔のことを思い出してしまって。なんでもないです」
 首を小さく振りながら、嵯峨弥さんは言った。ぎこちない笑み。無理に笑おうとしている。そのまま黙り込んで。
 あらら。どうしたんだろ。
 流れる沈黙に思った。こんな風に、嵯峨弥さんは時々黙り込んでしまう。この人は昏だ。和の国最強と言われた一族なのに。本当はもっと派手で、えらそうでもいい人なのに。なんで、こんなに寂しそうなのだろう。
「そうだ!嵯峨弥さん、何食いますか?」
「え?あ、ああ、そうですね」
 寂しい顔を吹き飛ばす為に訊いた。戸惑いながら、嵯峨弥さんが答える。
「おれ、食堂から何か持ってきます。何がいいですか?」
「えっと、それじゃ玉子丼を・・・・」
「了解です!」
「あっ、お金を」
「後で貰いまーす!」
 言って資料庫を後にした。全速力で食堂へと向かう。嵯峨弥さん、きっとお腹が空いてるんだ。人間、腹が減ったら悲観的になるから。何か食べさせなきゃ。
 うんうんと納得しながら、おれは廊下を駆けた。


「ごちそうさまでした。いつもありがとうございます」
 ぴたりと両手をあわせて、嵯峨弥さんが言った。
「これ、玉子丼のお金です」
「じゃ、おつりだしますね。えーと」
 そっと差し出された銀貨に、ごそごそとポケットを探る。あれ?嵯峨弥さん、首を振ってる。
「おつりは結構です。わざわざ買いに行っていただいてますし・・・・」
「えー、それじゃ悪いですよ。こういうことはきちんとしとかないと。ね?」
「・・・・・はい」
 このところ資料庫に通って、いろいろわかったことがある。嵯峨弥さんは激務だ。本当に週の半分ここにいない。任務は夜間が多いみたいだ。千秋兄ちゃんの話によると、嵯峨弥さんはものすごい高給取りなんだそうだ。なんでも、特殊な任務についているらしい。
「嵯峨弥さんの好きな食べ物って、何です?」
 あんまり普通のものばっかリ食べるから、ふと好物を訊いてみた。嵯峨弥さんが小首を傾げて、恥ずかしそうに言う。
「握り飯が・・・・・好きです」
「握り飯って、どんな?」
「ふつうの握り飯です。塩でぎゅって握った・・・」
「海苔や鮭は?」
「ない方が・・・」
「はあ」
 その気になれば毎日でも、高級料亭の重箱弁当が食べられるのに。嵯峨弥さんの好みは質素だ。着るものも兵部省から支給される服しか来てないし、住んでいる資料庫に置いてる私物も少ない。それを毎日ちまちま洗濯して、部屋の中で干している。
「嵯峨弥さんの楽しみって何ですか?」
「楽しみ?今十分楽しんでいますけど」
「へ?」
「任務はありますけど、それ以外は好きなだけ寝ていられるし、食べるものも肉とか玉子とか魚とか食べられます。掃除や洗濯も、ここや自分のものだけやってればいいし。天国ですよ」
「はぁ?」
「オレ、兵部省に来る前は、護国寺にいたんです」
 言われてやっと納得した。護国寺。あの戒律の厳しい寺で、嵯峨弥さんは修行していたのか。
「慣れればどうということはないのですが、最初はつらかったです。日の出前に起きて掃除、修行に精進料理でしたから・・・・」
「そうだったんですか〜」
 しみじみと思った。このきれいな人は清い生活をおくっていたのだ。だから無欲なのだと。
「夏芽さんはどうですか?」
 嵯峨弥さんが聞き返した。おれは何のことだかわからず、首を傾げる。
「夏芽さん、なにか欲しいものはないですか?オレお世話になってますし、何かお返ししたいです」
 真摯な瞳で訊かれる。思わず見とれてしまった。欲しいものはいっぱいある。でもこの無欲な人に、煩悩まみれの自分をさらすわけにはいかない。
「うーんと、ないです」
「・・・・・・そうですか」
 えへへと笑って答えるおれに、嵯峨弥さんはがっくりと肩を落としてしまった。どうしてだろう。おれ、なんか悪いこと言ったっけ。
「嵯峨弥さん?」
「何かあれは言ってくださいね。品物でも困ったことでも。行きたい所でもなんでも。絶対、オレに言ってください」
 切ない表情で訴えられた。おれはドキドキしながら頷く。なぜなの嵯峨弥さん。まだ知り合ったばかりなのに。おれ期待しちゃうよ?って、なにを期待するんだ。
 ジリリリリリリ・・・・・。
 見つめあう二人の間を、就業開始のベルが裂いた。
「行かなきゃ」
「あ、待ってください」
 総務部に戻ろうとするおれを、嵯峨弥さんは呼びとめた。おれは振り向く。
「なんですか?」
「さっきの話、本当に考えてくださいね。何でも言ってください」
 蒼い目が縋るように見ていた。おれはどうしてそんな目をするのか不思議に思いながら、嵯峨弥さんに頷いた。