昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT4

 会いたかった人にまた会えた。
 おれって、かなりラッキーかもしれない。

「おい嵯峨弥。お前、それでも『昏』かよ」
 むっつりと恐い顔で、千秋兄ちゃんは言った。つかつかとこちらにやってくる。嵯峨弥と呼ばれたあの人は、長椅子に腰かけ項垂れていた。
「すまない」
「気配くらい気づけよな。いつ帰ったんだ?」
「ついさっき。殺気を感じなかったから・・・・」
「甘いぞ。リハビリ足りねぇんじゃねぇの?」
「・・・・・ごめん」
 険ある声で千秋兄ちゃんに言われ、嵯峨弥という人はさらに小さくなった。おれはなんだか、嵯峨弥さんがかわいそうになる。
「兄ちゃん、そんなに怒らないでよ」
「怒らないでだあ?夏芽、お前こそなんでここにいんだよ?」
「春日事務局長に言われたんだ。資料庫に資料返せって。『和の国貴族年鑑3〜16』」
「あの野郎!自分が責任持って返却するって言ったくせに!」
 千秋兄ちゃんが喚く。ちなみにおれが返しにきた資料は、春日家に関するものだった。なんでも何十年か前に、比較的大きなお家騒動があったらしい。
「それにしても嵯峨弥、今度は遅かったな。ボロボロじゃねぇか」
「暁が暴走しちゃって。遠隔では止められなくて・・・・」
「はあー、あいつも厄介だな」
 小首を傾げるおれの前で、二人はぼそぼそと話していた。おれは意味不明だ。暁?暴走?なんのことだよ。
「まったく、命がいくつあっても足りねぇな」
「しかたがないよ、自分でやったことだし。土岐津、この話やめよう」
「悪い。そうだな」
 バツが悪そうに話す嵯峨弥さんに、千秋兄ちゃんは頷いた。おれの疑問は更に深まる。説明してもらおうとした時、
「そうだ。紹介がまだだったな」
 ゲホンと咳払い一つして、千秋兄ちゃんが言った。言われて気づく。そうだ。おれこの人に、自己紹介してない。
「夏芽。こいつは嵯峨弥という。最近諜報部に移ってきた」
「昏嵯峨弥です」
 ぺこりと銀髪の人が頭を下げた。おれもつられてお辞儀する。
「嵯峨弥。こいつは俺の弟分で、漆原夏芽だ」
「よろしくお願いします!あの時はどうも!」
 元気よくおれは挨拶した。ラッキー、この人千秋兄ちゃんの知り合いなんだ。じゃあ、これからもお近づきになれるかな?
「おい夏芽、あの時ってなんだ?」
 千秋兄ちゃんが尋ねた。おれは、胸を張って告げる。
「ほら、こないだ酔っぱらって凍死しかけたって言ったじゃない。その時、この人が起こしてくれたんだ」
「なんだって?・・・・おい、嵯峨弥・・・・」
 じとり。おれの言葉を聞いて、千秋兄ちゃんが嵯峨弥さんを見つめた。
「ごめん。ずっと寝てたから、死んでるんじゃないかと・・・・」
「馬鹿野郎!そんなこたぁ、すぐわかるだろうが!」
 千秋兄ちゃんに怒られて、嵯峨弥さんは消えちゃいそうに小さくなった。おれは二度目の抗議に出る。
「兄ちゃん怒り過ぎだよ。嵯峨弥さんは酔っぱらって寝ちゃったおれを、わざわざ凍死から救ってくれたんだぞ。おまけにおれに鼻水ひっかけられたし。怒られちゃかわいそうだよ」
「鼻水だぁ?どーせびくびく見てたんだろうが。この根性なし!」
「やめなよ兄ちゃん!土岐津のおばちゃんに言いつけるぞ!」
 びくり。千秋兄ちゃんが引きつった。土岐津のおばちゃんは千秋兄ちゃんのお母さんで、とても厳しくて優しい人だ。
「いいの?」
「夏芽〜、それだけはやめろ。ババァは煩くてかなわん」
「ババァなんていったらダメだよ。またおばちゃんに怒られるよ?」
「ちっ、しかたねぇな。もう怒んねぇよ。・・・・・そうだ嵯峨弥。ほれ」
 ぽいと兄ちゃんが何か投げた。ナイスキャッチで嵯峨弥さんが受け取る。なんだろう。何かの折みたいな包み。
「そろそろ戻る頃だろうと思って買っといた。『米福』の寿司だ。奮発だぞ」
「ありがとう。寿司なんて何年ぶりかな」
 寿司折を見つめて、嵯峨弥さんが嬉しそうに笑った。つられておれも笑う。
「ありがたーく食えよ。今日は、おれの奢りだ」
「たくさんあるね。そうだ、夏・・・いえ、漆原さんも食べませんか?」
「夏芽でいいです。おれ、その方が慣れてるし」
「わかりました。夏芽さん、いかがですか?」
 にっこり。微笑みながら嵯峨弥さんが問う。
「はい。ありがとうございます!」
 にんまり。おれは笑って返事した。嵯峨弥さんと寿司だ。断わるはずない。 
「じゃ、お茶をいれます。どうぞ座っててください。土岐津もお茶、飲むよね?」
「当たり前だ」
 嵯峨弥さんが戸棚の方へ進む。予想外の幸運に、おれはうきうきとしながら、長椅子に腰かけた。 


「そうなんですかー。嵯峨弥さん、ここに住んでるんだ」
「はい。年始より諜報局に配属になったんですが、激務で家を探すヒマがなくて。ちょうど開いてたここが、住みやすくて・・・・」
「他の奴らにゃ秘密だぞ。こいつは目立つからな。いろいろごちゃごちゃやってこられたら、後が面倒だ」
「うん」
 兵部省はずれの別棟で、三人の男が寿司食ってしゃべってる。おれと千秋兄ちゃんと嵯峨弥さんだ。
「そのうち都のはずれにでも、家を借りようと思ってるんですけど・・・」
「ここに住みゃあいいじゃねぇか。諜報部の部長はオッケーなんだし。お前週の半分、任務でいねぇし」
「それはそうだけど、ずっと甘えるわけにもいかないし」
 千秋兄ちゃんの言葉に、嵯峨弥さんが返している。
「もったいないと思うぜ?お前、一人だし。殆ど空家賃じゃねぇか」
「うん」
「嵯峨弥さんお一人なんですか?」
 思わず訊いた。一人。それはおれと同じ、孤児ってこと?
「はい。オレの父親は、数年前のクーデターで亡くなりました。病弱だった母も後を追って・・・」
「それじゃあ、おれと同じですね。おれも一人です」
「そうですか・・・・・」
 おれの話を聞いて、嵯峨弥さんは痛ましそうな表情をした。やさしいなぁこの人。それとも、やっぱり自分のこととか思いだすのかな。
「あの、おれん家来ません?」
 いきなり口を突いて出た。言った後で、自分でも名案だと気づく。おれも一人。嵯峨弥さんも一人。嵯峨弥さんは見ての通り美形だ。いい人だし、目の保養になる。嵯峨弥さんは家探しで困っているし、この人がおれん家に住めば、おれは一人の家に帰らなくていい。けれど。
「申し訳ありません」
 初めて聞く固い声で、嵯峨弥さんは言った。嬉しいような哀しいような切ないような、泣きそうな表情。ずきりと胸が疼いた。
「オレの任務は不定期ですし、いつ帰るかもはっきりしません。だから、かえってご迷惑になると思います」
「気にしません!」
 理由を告げる嵯峨弥さんに、即答でおれは返した。見つめれば嵯峨弥さん、困った顔をしている。
「すみませんが、オレが気にします。これ以上、ご迷惑を掛けるわけにはいきませんし・・・」
「迷惑なんて掛かってません!」
 二度目の即答。今度はムキになって言い返した。なぜだろう。いつものおれじゃない。そりゃ、こんなきれいな人が、おれときちんと話してくれてるんだ。執着するのもわかる。でも、それだけじゃない気が・・・。
「図々しいぞ、夏芽」
 千秋兄ちゃんが言った。
「いくら俺の知り合いでも、お前と嵯峨弥は初対面だ。いきなり一緒に住むのはどうかと思うぜ?」
 複雑な顔で言われてそうかと気づいた。それもそうだと納得する。おれ、何を焦ってんだろう。というか、どうして焦るんだ?
「すみません。おれ、こうと思うと見境ないから・・・・」
「ありがとうございます。夏芽さんの申し出、嬉しかったです」
 しゅんと謝るおれに、嵯峨弥さんは笑顔で返した。おれはホッとする。やっぱりこの人、いいひとだよ。
「あ、でも。ここに遊びにくるのはいいですか?」
「それは別に構いません。いないかもしれませんが・・・・」
 面会権はキープした。断られても諦めない、自分が不思議だった。こんなにおれ、しぶとかったっけ?今までふられた経験からだと、もっとあっさり諦めたような・・・。
「さあて。そろそろ帰るか」
 頃合いを見て、千秋兄ちゃんが立ち上がった。促され、おれも渋々立ち上がる。
「ずいぶん長居しちまった。じゃあな、嵯峨弥」
「うん。ごちそうさま」
「あ!資料!」
 思いだして慌てた。すっかり忘れていた。春日様から頼まれた資料、返さなきゃ。
「オレが直しておきます」
 バタバタしだすおれに、嵯峨弥さんが言った。
「どうせここに住んでますし。暇な時にやっときます」
「そんな、嵯峨弥さん」
「それじゃ頼むわ。夏芽、行くぞ」
「えっ、千秋兄ちゃん!」 
 有無を言わさず引っ張られた。ぐいぐい。千秋兄ちゃんが連れてゆく。
「兄ちゃん!強引だぞ!おれ、営繕部に台車返さないといけないのに!」
「明日返せばいいじゃねぇか。今日は、帰るんだ」
 いくぶんぶっきらぼうに、千秋兄ちゃんは言った。おれは首をひねる。兄ちゃん、何故か不機嫌?
「あーあ、知らねぇぞ・・・・」
 隣の幼なじみから、ぼそりと呟きが漏れた。おれは何のことだか尋ねたが、兄ちゃんは肩を竦めて答えなかった。