昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT3

 がたがたと台車が鳴る。かなり年代物であろう台車は、やっとという感じで資料を運んだ。
 しっかし、台車借りれてよかった。
 しみじみと思った。大量の資料を前にしたおれは、ダメもとで隣の営繕部に台車を借りに行った。で、運良く一個残っていた、この廃棄寸前の台車を借りることができた。
 さあ、やなことはさっさと片付けてしまおう。
 すたすたと台車を押して歩く。程なく、諜報部についた。
「資料庫?あそこに運ぶのか?」
 人の出払った諜報部に残っていた、錦織という人が言った。
「はい。そこに運ぶようにと、事務局長が言いまして・・・・」
「あそこの資料など、ただ朽ちてゆくばかりのものだと思っていたが、使用することはあるのだな。温故知新、よいことだ」
 うんうんと頷きながら、その人は鍵を手渡してくれた。なんだか一人で納得している。おれは近づかないでおこうと思いながら、その鍵を受け取った。
「ありがとうございます」
「うむ。くれぐれも気をつけるのだぞ」
「へ?」
「あそこは古い書籍や資料となった物品が保管されておる。古の物には魂が宿ると言うからな。数百年を経て、妖になったものがあるやも知れぬ」
 至極真面目な顔で、錦織と言う人はとんでもないことを言った。つまりは、おばけや妖怪のたぐいがいるってこと?
「案ずるな。誠意を以って接すれば、何者も誠意を以って返すと言う。こう、手を合わせて言うのだ。どうかご成仏くださいと・・・・・」
「んじゃ失礼します!」
 一目散で部屋を出た。冗談じゃない。真顔でそんなこと言って欲しくない。今は冬だぞ。怪談は夏と相場が決まってるんだ。
「さーて、気を取り直していくぞー」
 腕をまくり、自分に言い聞かせるように言った。細かいことは考えちゃいけない。早く済ませて早く帰るんだ。ひたすら、おれは台車を押し続けた。
「着いた!」
 兵部省はずれの別棟に、諜報部資料庫は存在した。おれは汗の滲んだ額を拭い、薄く埃の溜ったプレートを見上げる。
「ここに放りこんどきゃいいんだな?よしっ」
 がちゃりと扉を開けた。埃くさい、すえた臭いの空間を行く。
「えーと、灯はどこだよ。開いてるとこ、ないかな・・・」
 資料庫はあらゆるものが、所狭しと置かれていた。書籍。巻物。なんだかよくわからない装置や物品。
「もうー、いっぱい過ぎてどこ置いたらいいかわかんないよ」
 ぶちぶちとぼやきながら探した。暗くてよく見えない。この混沌とした空間に、資料を置いてしまわなくては。台車は返せと営繕部に言われている。
「どうするよ。って、風だ。窓でも開いてんのかな?」
 やっと見えるか見えないかの空間で、僅かな風を感じた。台車を置き、それを頼りに物を避けながら進む。する間もなく、細い光が見えてきた。
 扉だ。
 光の差し込む先には、古びた扉があった。細く開いている。どうやら、光は扉の向こうから漏れているらしい。
 灯だ。誰かいるのかな。
 おれは更に進んだ。扉に手を掛ける。静かに開いて。
「・・・・・あ・・・・」
 開いた扉の向こうには、それまでとは違った空間が広がっていた。整然とした部屋。本棚と机。椅子が一個と小さなテーブル。ランプが一個置いてある。その奥に、長椅子らしきもの。
 上部の換気窓が開いていた。風はそこから来ていたらしい。おれは目を丸くする。長椅子に、誰かが横たわっている。
「・・・・うそ」
 思わず声に出た。こんなに都合よくいくはずがない。だけど、見覚えのある銀色。
「うそじゃ・・・・ない」
 そっと近づいて確認した。間違いない。銀の長い髪。白い肌。長身と長い手足。これは、あの人だ。
 やったーーー!春日事務局長、ありがとっ!
 握りこぶしで思った。あの人が「昏」ではないかと聞いた。「昏」が、この兵部省にいるとも聞いた。でも。
 会いたかったこの人に、こんなに早く会えるとは。
 うわぁ、どうしよ。
 急に胸がドキドキしてきた。声を掛けようか。いやまてよ。この人よく寝てるし、起こしちゃだめだよな。
「うん。やめよう」
 少し迷って、おれは銀髪の人を起こさないことにした。
 いいよな。これでおあいこだもの。
 一人納得する。いいよ、この人もおれを起こさなかったし。それに、こんなにきれいな寝顔だ。この際堪能してしまおう。
 やっぱり、きれいなもんはきれいだよな。
 うっとりと見とれながら思った。整った目鼻立ち。薄めだけど形のいい唇。長くて、行儀よく整った銀色の睫。
 よほど疲れてんのかな。
 至近距離で見てるのに、銀髪の人は起きなかった。よく見るとこの人、御影の任務服のようなピッチリした服を着て、胸元だけ緩めている。その服も所どころ破れていた。目の下には、うっすらと隈。
 まるで任務直後って感じだな。この人も、諜報部なのかな。
 眺めているうちにおれは、眠るその人に触りたくなってしまった。やばいよと考え直す。いきなり知らない人(一回会っているが、お互い名前も言わなかった)に触られたら、誰だってびっくりする。というか、追いはぎとか、危険な人とか思われるかも。だから、この人もおれに触らなかったんだ。
 だけど、触れてみたい。
 絹糸みたいな髪の毛に思った。柔らかいのか固いのか、この手で確かめてみたい。だけどそれじゃあ危険人物。またストーカーとか騒がれる。
 いいや。後で謝ろう。
 今後絶対来ないだろうチャンスに、答えは簡単に出た。前回のことから考えれば、この人は悪い人じゃない。鼻水ひっかけても怒らなかったんだ。
 いっちゃえ。
 おそるおそる右手を伸ばした。肩に流れる銀糸に、手が触れる瞬間。
「・・・・・ごめん」
 ぽつりとその人が呟いた。寝言。髪と同色の睫が、滲んだ涙に濡れている。ぽろり。一筋滴が零れた。ゆっくりと、目頭から鼻の横へと流れてゆく。
 はあぁぁぁーっ、涙まできれいだよ。
 漏れてくるため息を飲み込んだ。この人は泣いてる。夢?どんな夢を見ているのだろうか。
 どうしたんですか?
 気がつけば指で涙を拭っていた。ぴくりと目の前の人が震えて、銀色の睫が上がってゆく。
「・・・・・・・」
 あの時と同じ、蒼色の瞳が大きく開いていた。薄く開いた唇。言葉を失っている。
「その、よく寝てたものだから。すみません」
 先手必勝で謝った。ぱくぱく。目の前の人が、何か言おうとして声が出ない。でもどうやら、ストーカーと騒がれることはなさそうだ。
「ど、どうして・・・」
「おれも兵部省で働いてるんです。非常勤だけど、総務部で」
「でも・・・・」
「遅かったか」
 聞き慣れた声に振り向いた。部屋の灯が点く。戸口の所に、千秋兄ちゃんが立っていた。