昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT2 

 きれいな人を見た。
 きれいな人と話した。
 きれいな人に、鼻水ひっかけた。

「おれってバカだよな・・・」
 皆がくつろぐ昼休み。兵部省総務部の片隅で、ぼそりとおれは呟いた。バカの内容はもちろん、あの銀髪の人(ちなみに性別は男)関連である。
「名前くらい、訊いときゃよかった」
 ため息混じりに吐き出す。あれ以来、あの美しい人が頭から離れなかった。もう一度会いたい。否、直接会えなくてもいい。どこか遠くから、あの人の姿を見るだけでも。
「ほーんと、まぬけだよー」
 弁当のいびつな握り飯を頬張りながら、おれはまたため息をついた。思いだす。あの人の姿を。キラキラと輝いていた銀髪。深い蒼の瞳。彫りの深い顔だち。見たところ、和の国の人じゃなかった。
「あーーーっ、やっぱりバカーー!」
 ぐちゃりと握り飯を握り潰した。机に突っ伏し、足をバタバタさせる。
「一生あるかないかのチャンスだったのに!」
「何が?」 
 自分の不甲斐なさに悶えるおれに、誰かが声を掛けた。はっと顔を上げる。そこには学び舎時代の同級生で現同僚、桐野灯(きりの あかり)が立っていた。
「飯がもったいないよ。漆原」
「あっ、ホントだ!」
 指摘され、慌てて崩れた飯を口に運ぶ。もぐもぐ。あっという間に食べ終わり、米粒のついた指をぺろりと舐めた。
「はー、うまかったー」
「漆原って、ごはんおいしそうに食べるね」
「うまいよ?おれ、ごはん好きだもの」
「おかずなしでもいけるんだね。うらやましいよ」
 桐野とは学び舎時代、学科試験で一、二を争う仲だった。あいにくおれは実技がダメで二年留年、おまけに半年就職浪人したのだが。桐野はストレートで兵部省総務部に採用され、正職の事務官におさまっている。だから職場では二年と半年先輩だ。
「そうだ桐野、身体はもういいの?」
「ああ。なんとか」
「そうか。無理すんなよ」
「ありがとう」
 桐野は学科も実技もトップクラスだった。仕事も手際よくて早い。だけど身体が弱いらしくて、たびたび仕事を休んでいた。
「でも、漆原がここに来てくれてよかったよ。前は春日事務長、一日休むだけで目が釣り上がってね。調子悪くても休めなくて、ほんとつらかった」
「おれこそ桐野のおかげだよ。学び舎卒業したけど就職口なくて、路頭に迷うかと思った」
 就職して二年と半年が経った頃、桐野は身体を壊した。一ヶ月休職することになり、臨時代用職員としておれが採用された。後は、その後諜報部に移ってきた千秋兄ちゃんのコネで、ここに居座っている。
「それより漆原、何がチャンスって?」
 小首を傾げて桐野が訊いた。おれは思いだす。あのきれいな人を目にしながら、名前も聞かなかった事実を。
「そうなんだよー!もー、おれって抜け作!」
「だから何が?」
「聞いてくれよ!実は・・・・」
 不思議そうな顔の同僚に、おれは先のことを話した。徹夜開けで帰らされて、酔っぱらってストーカー扱いされて、銀髪の美形に会った一件を。
「なるほど。銀髪蒼眼、か」
「すっごいきれいだったんだ。白い肌でさ。外国の人形みたいに」
「だけどその人、『オレ』とか言ってたんだろ?男みたいだけど」
「うーん、それはそうなんだけど。でもいいさ、細かいこと言いっこなし!」
「細かくは・・・ないと思うけど」
 複雑な顔の桐野に、おれは断言した。性別なんかどうでもいい。あの人にもう一度会いたい。
「やっぱり異人さんかな。だったら、一生会えないよなー。惜しいことした」
「そういうわけでもなさそうだよ?」
「ええっ!どういうこと!」
 ずいと身体を乗り出した。急接近に桐野が退いてる。桐野、なんか知ってるの?早く言え。
「教えてくれよ!」
「いや・・・・銀髪蒼眼って言ったら、和の国にもいることはいるなと思って・・・」
「ほんと?」
「ああ。漆原も聞いたことあるだろ?『昏一族』って」
「『昏一族』。ああ、そうだ!」
 言われて思いだした。和の国でも珍しい銀髪の一族。『昏』を。
「そうかー、そういえばそうだ」
「通例では、『昏』は辺境警備で都にはいないらしいけど。でもまあ、最近ではそうでもないみたいだね」
「はあ?」
 同僚の言葉に、おれは首をひねった。わからない。つまりどういうこと?
「いるらしいよ」
「へ?」
「年明け、この兵部省のどこかに、『昏』が配属されたらしい」
「ええ!」
 がたり。おれは立ち上がった。ここのどこかに銀髪の人が。探さなきゃ。
「桐野っ、おれ探してくる!」
「漆原!そんな、探すって・・・・」
「だっているんだろ?探さなきゃ!」
「何を探すんですか?」
 いきり立つおれの耳に、聞くのを拒否したい声が響いた。そろそろと振り向いて引きつる。そこには兵部省総務部事務局長、春日是時がいた。
「漆原臨時事務局員」
「は、はいっ!」
「あなたの倒した椅子が、私の足に当たりました」
「げっ!す、すみませんっ!」
「足の甲だから、すごく痛いです」
「はっ、申し訳ありません」
 米つきバッタよろしく、ペコペコと頭を下げる。九十度の礼で静止した時、頭上でフンと鼻息がした。全身冷や汗状態で、事務局長の言葉を待つ。
「・・・・しょうがありませんね」
「事務局長!」
「今回は慰謝料は請求しません。以後気をつけてください」
「はいっ!ありがとうございます!」
 助かったと思いながら言った。頭を上げると、春日事務局長がつんとした顔で見ている。
「まったく。無駄な時間を費やしました。仕事にかかってください。桐野くんもです」
「はい。失礼しました」
 気がつけば昼休みは終わっていた。ガリガリ。周りの皆は、机についている。
 あー、まずかった。
 やれやれと胸を撫で下ろしながら、おれは自分の席についた。


「と、言うことで。漆原臨時事務局員、お願いしますね」
 誰もが家路を急ぐ終業時、満面の笑みを浮かべて春日様が告げた。おれは目の前に積み上げられた、大量の資料を茫然と見る。
「この資料は兵部省諜報部でも、最古の部類の書籍です。破損しないように極めて丁重に、諜報部の資料庫に運んでください。鍵は諜報部にあります」
「あの、事務局長」
「何です?」
「その、あんまり資料が多いですので・・・・・台車とかないです?」
「ああ、台車ですか。見当たりませんね。全部使っているのでは?」
「ひっ」
「漆原臨時事務局員、あなたには丈夫な身体があります。そのための臨時事務局員です。よろしく」
 にっこりと事務局長の笑みが、更に深くなった気がした。おれはがっくりと肩を落とす。項垂れたまま返事をした。
「それでは。今夜は春日家恒例の歌会がありますので、私は帰ります」
「お疲れ様でした」
 気どって歩く春日様を、四十五度の礼をしたまま見送った。足音が小さくなる。早く行け。この根性悪上司。何が歌会だ。
「漆原・・・・悪かったな」
 顔を上げれば桐野がいた。おれは首を傾げる。
「なんのこと?」
「事務局長、きっと昼休みの仕返しだ。すまない、手伝うよ」
 言いながら桐野は資料を抱えようとした。おれは慌ててやめさせる。
「なんで謝るの?ダメだよ、おまえ身体弱いのに」
「だけど漆原、お前、俺と話していたから・・・。このくらい、大丈夫だよ」
「でもおまえ、今日はデートだろ?許嫁の人、待ってるんじゃないのか?」
 頭の中にある情報を駆使して告げた。目の前の同僚が、戸惑った表情をする。
「けれど・・・」
「行ってこいよ。女の子待たせちゃダメだって。おれは平気だよ。丈夫だけが取り柄なんだから」
 もう一押しとばかりに、ばんと背中を叩いた。桐野がケホケホと咳き込む。
「ごめん、やりすぎ。な?」
「わかった」
 苦笑を残して同僚は、総務部を出ていった。見回せば皆さっさと帰ってしまっている。ぽつり。おれ一人が残っていた。
「はあ・・・。ま、やるか」
 大きくため息をつき、おれは資料の山を抱えた。