昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT1 

「あーもう、痛ってーよな」
 ある晴れた冬の日。ずきずきと痛い右頬に手を当て、おれは言った。
「そりゃ失礼だったかもしれないけど、いきなり殴らなくてもいいじゃん」
 ぶちぶちとぼやきながら酒を呷る。あっという間になくなってしまった。もう酒はこれでおしまい。おれが飲んでいたのは、ちょうど一合分の酒が、ガラスコップごと売ってるコップ酒ってやつだ。
「ついてないよなー。春日様に残業押しつけられるし、徹夜してやっと仕上げたら、今日中でなくてもよかったって言われるし。おまけに、そんなユーレイみたいな顔で職場にいられたら、自分の管理評定が下がるから帰れだと。あの人、ワガママ過ぎんだよ」
 ぼやくおれは漆原夏芽。和の国兵部省総務部の事務職員。いわゆる平職員だ。そして春日様とは兵部省総務部の事務局長、春日是時のことである。この名門春日家出身の上司はことあるごとに、学び舎二年留年事務局補欠採用、加えて非常勤勤務のおれをいびっていた。
「それにあの女。ちょっとついていっただけでストーカーとか騒いでさ。おれだって男だ。綺麗な女の子見たら、フラフラーってなっちゃうこともあるよ!まったく、顔がいいからっていばるな!」
 負け犬よろしく喚く。でも帰宅途中にその女を見かけて、徹夜開けの頭でついて行ってしまったのは事実。実はこれはおれの悪い習性なのだ。美男美女というやつを見ると、気になって後をついて行ってしまう。
『お前なぁ、自分の分ってもんをわきまえろよ。学び舎留年就職浪人万年事務職のお前に、そんないい女がつくわけねぇって。顔は十人並みでも、気立てのいい優しい娘見つけな』
 幼少時からの兄貴分、土岐津千秋兄ちゃんは言った。そんなのわかってる。だけど目がいくものは仕方がない。ついていくのは・・・・問題かもしれないが。
『とにかく変なことすんな。な?そのうち俺のかーちゃんが、見合いやらなんやら世話焼くかもしんねぇし。それまで待っとけ』
 そいつはありえると思った。おれは孤児だ。数年前、和の国に起こったクーデターで両親は亡くなり、おれは千秋兄ちゃんやおばちゃんに面倒見てもらって大きくなった。
「あーあー、千秋兄ちゃんはいいよなー。『御影』出身の諜報局エリート。どーせおれは万年ヒラだよ」
 ヒガミも飛び出す。既にコップ酒一杯で酔っぱらっていた。酒は好きだけどすこぶる弱い。とてもエコノミーな自分の身体が、また泣けてくる。
「春日のバカー!千秋兄ちゃんのいじわるー!あの女のブスー!」
 酒の勢いを借りて、言いたい放題喚いた。けれど大丈夫。ここは森の中。誰も来やしない。おれが学び舎時代から使っている、秘密の特訓場所だ。
「みんなキライだよーだ!」
 ごろりと転がる。すぐに眠くなってきた。今日は小春日。丁度太陽があたってぽかぽかと暖かい。だけど野外で昼寝はやばいかもしれない。そのまま夜まで寝込んじゃったら・・・・問題かも。
 寝たらまずいよな。
 ふと凍死という言葉が頭をかすめた。だけど動かない。酔いは身体を縛り始めている。
 いいや。どうせ一人なんだし。
 すぐにおれは開き直ってしまった。だってこんなみじめな気分のまま、家で孤独に飯食うのは虚しい。せめて同じ一人ならば、気に入った場所で過ごしたい。おれは自らの欲求に従うことにした。 
 はあ、落ちつくよな。
 とろりと瞼が落ちてきた。僅かに吹いてくる風。カサカサと囁く枯れ草。
 やっぱさ、ここでなんかあったんだよ。だから、ここが好きなんだ。
 ぐぐっと伸びをしながら思った。この場所でも一人には変わらない。けど、なぜだかちょっとましな気がする。
 ぶっちゃけて言えば、おれには記憶障害がある。今から四年前、二回目の学び舎卒業試験の折、大きな事故に遭ったそうだ。その結果おれの頭の中からは、いくつかの記憶が抜け落ちたらしい。
『まあいいじゃねぇか。あの事故以来、お前、術が使えるようになったんだしよ。その前は、壊滅的に酷かったんだぜ?おかげで、学び舎卒業出来たじゃねぇか』
 千秋兄ちゃんはそう言った。もちろん生きてゆくのに支障はない。でも、物足りないことには変わりない。なにか大切なものを落とした気がして、時々落ちつかなくなるのだ。
 それにしても、気持ちいいなぁ。
 大きくあくびをした。どくんどくん。酔いが全身に回ってきて、視界もぐるぐる回っている。ちらちらと銀の光。熱くなってきた身体。
 眠いや。おやすみなさい。
 ついに諦める。おれは、眠りの世界にダイブした。


 あ、なんか寒い気がする。
 ぶるりと身体が震えた。肩も背中も冷たい。暖かかった日光の熱も感じない。ひょっとしてこれは、夜?
 ありゃりゃ、寝ちゃったんだ。
 目を閉じたまま思った。我ながら自分の行動に呆れる。とにかく瞼を開けなきゃ。でも、まだ眠い。
 もうちょっと寝たいんだけど、このまま寝続けたら、やっぱ仏さんだろうな。
 生来の脳天気さで、縁起でもないことまで考えてしまった。襲いくる睡魔。だけど凍死はいやだ。諦めて目を開けようとしたおれは、何者かの気配に気づいた。
 あれ?誰かいるぞ。
 目を瞑ったままで窺う。これでも一応学び舎卒業。気配くらいは感じる。
 追いはぎかな。だったら、ヤバイよな。
 また物騒なことを考えて、背中に汗が流れた。取られるものなんて何もない。金はさっきのコップ酒に消えたし、身につけてるものだって二束三文の古着だ。それでも、命が残ってる。
 どうしようかな。じっとしてたら死体だと思って、あっちいくかな。
 ほぼ死んだフリを決め込もうとしていた時、冷たい風が吹きつけた。寒い。くしゃみがでそう。堪えろ、おれ!
「はっくしょん!」
 我慢虚しくやってしまった。そろそろと目を開く。眼前二十センチの所に、ぼんやりと人の顔。
「あ!す、すみませんっ」
「・・・・・・・」
 謝るおれに、その人は言葉をなくしている。
「その、か、かかりましたか?」
「・・・・・・・少し・・・・」
「申し訳ない!」
 即行で起き上がるおれに、その人はびっくりした顔で飛び退いた。はたと見つめておれは固まる。薄暗くてもわかる、長い銀髪。蒼眼。うわぁこの人、すっごいきれいだよ。
「すんません!今ハンカチをっ。拭きます!」
「・・・大丈夫ですから」
 焦ってハンカチを探すおれに、その人は言った。ぼそぼそと小さな声。恥ずかしそうに俯く。
「ハンカチ出ました!」
「いえ、あの・・・・いいです」
「へ?」
「あなたが使われた方が、いいと思いますから・・・・」
「え!」
 指を差されて気づいた。なんだよおれ!鼻水垂れてる!
「っわーーーーー!御見苦しいとこを!」
「あの、それじゃオレ、行きます」
「へ?」
 ペコリと頭を下げられ、おれは驚いた。オレだって?この人、もしかして男?
「そのっ、なんというかっ」
「こちらこそ失礼しました。オレ、凍死してるのかと思って、覗きこんじゃったから・・・」
 肩をすくめてその人は告げた。すらりと立ち上がる。やっぱりこの人男だ。背が高い。
「おれこそ、ありがとうございました!」
 急いで立ち上がった。まじまじと見る。おれより拳一つ以上、高い位置に頭。
「では・・・・さようなら」
「はい!さよならっ!」
 会釈をして、ゆっくりとその人が踵を返した。揺れる銀髪。絹糸のように細い。昇り始めた月に、キラキラと輝いている。
「・・・・きれーだなー」
 ため息と共に漏れた。だんだん小さくなってくほっそりとした姿に、おれはただ、見とれ続けていた。