昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT16

 一緒に生きよう。
 過ちなんて誰にでもある。
 肝心なのは、間違ったその後。
 今とこれから。


「おかえりなさい」
「ただいま帰りました」
「ケガはないですか?」
「はい。かすり傷くらいで」
「それはよかった」
「おかげさまです」
 任務に出てから一週間後、嵯峨弥さんはあの資料庫に帰ってきた。前回みたいに大きな外傷もない。ホッと胸をなでおろした。
「任務、どうでした?」
「はい。最初は暁を抑えるのにちょっと手間取りましたが、後はなんとかなりました」 
 苦笑混じりに嵯峨弥さんが言う。よいしょと椅子に腰かけて。
「飯にしますか?それなら握り飯を持ってきました。風呂はおれの家で入ってください」
「いいえ。先に、大切なことを済ませておきたいと思います。例の件を」
 真剣な顔で話をきりだす嵯峨弥さんに、おれは苦笑してしまった。やっぱりこの人、律義だよなぁ。何も任務から帰ったばかりで疲れてる時に、さらに疲れそうなこと聞かなくていいのに。
「夏芽さん、よろしいでしょうか」
「はい。あ、ちょっといいですか?」
「え? はい」
「待っててくださいね」
 戸惑う嵯峨弥さんを置いて、おれは湯を沸かしに行った。急須に玄米茶を用意して、湯が沸くのを待つ。
「お茶入れます。もう少しかかりますので、嵯峨弥さんも着替えてくださいよ。任務服、汚れてるし」
「は?あ、そ、そうですね。では失礼して」
 あたふたとあの人が席を立った。任務服より幾分ラフな私服を取り出し、胸元を緩める。ぱさり。上着が落ちた。
 わあ。
 現れた均整のとれた身体に、おれは見とれてしまった。背中を流れる銀髪。白い肌。任務で受けたのだろう、いくつかの傷が飾りのようにちりばめられている。
 いっぱい、危ないめに遭ったんだろうな。
 しみじみと思った。
 それでも、この人は止めないんだ。「償う」ことを。
 よく見ればこの間の傷もある。やっとふさがったばかりの、横腹から背中に走る傷。
 見つめてるんだ。自分の犯した過ちを。サガミはずっと。
「夏芽さん?」
「はいっ!」
 急に振り向かれてびっくりした。嵯峨弥さん、小首を傾げている。
「お湯、沸いてますよ?」
 気がつけばやかんがカタカタ音をたてていた。やばい、吹きこぼれる。
「ああっ、ありがとうございます」  
 かちり。慌てて火を止めて、一息ついた。こぽこぽ。急須にお湯を注ぐ。
「お茶が入りました〜」
 盆に急須と湯飲みを二つのせ、おれは小さな食卓へと向かった。


「どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
「熱いですよ」
「はい」
 おれも湯飲みを手に取り、温かいお茶を一口飲んだ。喉から胃の腑へと身体が温まってゆく。感じる安堵。
「温かいですね」
 湯飲みを見つめながら、嵯峨弥さんが言った。
「落ち着きますね」
「本当に。肩の力が抜けました」
 口元に笑みがこぼれる。嵯峨弥さん、リラックスしてきた。よかった。
「すみません。気を遣わせてしまって」
「おれがお茶欲しかったんですよ。気にしないでください」
 きっと、ずっと張りつめていたんだと思う。この人のことだから。いっぱいいっぱいに。
「訊いていいですか?」
「はい。どうぞ」
「一つだけ教えてください。あの時、どうしてあんなことしたんですか?」
 思い切って口に出す。それはおれの純粋な気持ちだった。いきなり訪れた嵐のような出来事。何があったか理解する前に、その記憶を奪われてしまった。
 なぜ。
 どうして。
 あの時のおれには、その気持ちしかなかった。あんなに自分を思ってくれたサガミが、自分も思いを寄せていたサガミが、想像さえつかなかった状況で自分を征服している。
「・・・・・・失いたく、なかったんです」
 ぽつり。手元を見つめながら嵯峨弥さんが言った。もう何度も見ている、泣きそうな顔。
「愚かですよね。頭の中を制して身体を繋いだからって、その人が自分のものになるわけないのに。あまつさえ、夏芽さんはオレの姿を見てしまった。同族を殺めて、血に染まったオレを。なのに」
『・・・・あいつには、お前だけだったんだろうな』 
 千秋兄ちゃんの言葉が甦ってきた。じんわりと心で広がる。自分を守れるようにと根気よく術を教えてくれた、あのサガミが見える。

 嵯峨弥さん。
 ホントにあんた、馬鹿ですよ。
 だから、償ってください。

「じゃあ、おれの決めたこと言っていいですか?」
 湯飲みを置いて切り出した。嵯峨弥さんの顔が引き締まる。かたりと湯飲みを置いて。
「お願いします」
 きっちり座り直して、嵯峨弥さんが準備した。
「じゃ、ごちゃごちゃ言っても仕方ないんで、率直に言います。おれと暮らしてください」
「! 夏芽さん!」
「なんですか?」
「それはっ、いけません!」 
 思った通り、嵯峨弥さんはびっくりしていた。おれは桐野に教えてもらった、とっておきの言葉を用意する。
「夏芽さん、おれは、『償い』を・・・・」
「『償い』だよ」
「え?」
「これは、『償い』なんだよ。おれはおまえがちゃんと償っていけるか、それを見るために一緒に暮らすんだ」
「・・・・・・・・・・・」
 嵯峨弥が言葉を失っている。狐につままれたような顔。硬直した身体。桐野の言った通り、頭で整理できてないらしい。ここでおれは、勝負にでる。
「おれを見ろ」
 告げた。一番望んでいることを。
「おれのことだけ考えろ。任務中は仕方ない。暁って人のことも少しならいい。それ以外は、全部だ」
 理由なんか何でもいい。肝心なのは生きてゆくこと。おまえとおれが、一緒に。
「おれといること。おれのために生きること。それが、おまえの『償い』だ。嵯峨弥」
 決定を告げる。目の前の男が、微かに首を振った。
「夏芽。しかし、それでは・・・・・」
「簡単だと思ってるのか?」
 まだ態勢の整わない間に切り込んだ。冷静になってからじゃだめだ。一気に畳み込め。
「一生、一人の人間を思い続けること。その人間の為に生きること。容易いと思うなら証明しろ。おまえ自身で」
 決め台詞を叩きつける。全てを言い終えたおれは、背筋を伸ばして嵯峨弥を見た。嵯峨弥はおれを見つめている。
「わかりました」
 小さな沈黙の後、しっかりした声。
「全力を尽くて、証明にあたります」
 嵯峨弥は一礼して上体を起こし、またおれを見つめ直した。まっすぐな瞳。思いが伝わる。
「それじゃあ、よろしく」
「よろしくお願いします」
おれたちは顔をつきあわし、改めて二人、礼をした。上げた顔が綻ぶ。二人とも。
「えっと、それじゃあまず敬語やめましょう。戻りましょう。夏芽とサガミに」
 ぐっとくだけて言うおれに、嵯峨弥がくすりと笑った。おれは顔をしかめる。
「なんだよ」
「だって、夏芽も敬語だったよ。今の」
「えっ?あ。か------------っ!もうくせになってんだよな!急に直らないよ」
「そうだね」
 ばしっと決めたはずなのに、なんかかっこわるい。がりがりと頭を掻くおれに、嵯峨弥の笑みは深くなる。
「いいの?」
 蒼い瞳が近付いてきた。
「なにが?」
「本当に、オレが一緒にいて、いいの?」
 窺うように見つめる。奥にはまだ、不安気な光。
「わかんないよ」
 ばさりと切って捨てた。
「そんなもん、墓場に入ってから決める。やる前から言うな」
「・・・・うん」
 こくり。嵯峨弥が頷いた。くしゃりと歪む顔。下を向いたままでいる。おれは妙に照れ臭くなりながら手を伸ばし、嵯峨弥の銀色の頭を、クシャクシャとかき回した。




〜エピローグ〜

「で?やーっと二人、くっついたってわけか」
 午後の兵部省の食堂、千秋兄ちゃんが大きく息を吐きだした。おれは頷く。
「そうかー、長かったよな。よかったよかった」
「兄ちゃんにもいろいろ迷惑かけちゃって、ごめんね」
「いーってことよ!めでたいめでたい!」
 上機嫌で兄ちゃんはうどんを啜る。おれもうどんを啜った。今日は奮発、天ぷらうどんだ。
「それで嵯峨弥は?任務か?」
「家を探しに行ってる。いつまでもあそこにいられないからって」
「一緒に住むのか?」
「まあ、それが『償い』だし」
「なるほど。なら、家は必要だよな。おまえん家じゃいろいろ、まずいだろうし」
「そうなの?」
 首を傾げて兄ちゃんを見た。
「そーだろ?」
「そーかな」
「そーだよ!」
 兄ちゃん、なぜだか赤い顔している。へんなの。
「がんばれよな」
 再び天ぷらうどんを啜りながら、千秋兄ちゃんが言う。
「あの件以来、どーにもヘタレた男になっちまったが、あいつはいいやつだよ」
「うん」
「あー、これで俺も肩の荷が降ろせるわ。カンドーだな」
「降ろせなかったりして」
「ぐっ、げほっ、げほげほっ」
 兄ちゃんがうどんを詰めた。おれは「あーあ」とか思いながら、兄ちゃんの背中を叩いた。 


 生きてゆこう。
 消してしまった日の続きは、もう来ることはないけれど。
 新しい日はまた、おれ達を訪れる。だから。
 築いていけばいいのだ。
 おれとおまえの日々を。

END

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