昏一族はぐれ人物語 後日談
作戦は、今夜!   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT1

 やわらかな光の中に、嵯峨弥がいる。
「夏芽。オレ、夏芽が好きだよ」
 目を潤ませながら言った。細い身体。肩を少し過ぎた銀髪。うっすらとピンクがかった頬と唇。
 ラッキー! これってサガミだ!
「学び舎、卒業したって聞いたよ。遅くなったけれど、約束のものをわたすね。夏芽がいやでなければ、もらって」
「サガミ」
「ダメ?」
 上目使いに見つめられて、鼓動が跳ね上がった。ダメ? なにをおっしゃいますやら。誰がいやだっていうの。サガミとできるんだよ?あんなこともこんなこともそんなことも!
「ダメなわけないだろ!ありがとう!もちろんもらうよっ」
「よかった」
 返事を聞いた嵯峨弥が、嬉しそうに微笑んだ。おれは至福の時を迎える。ついに念願叶うのだ。サガミとアレだ!
「夏芽・・・・」
 するりと着ていたものを落として、サガミが近付いてきた。うわどうしよ。サガミ、積極的だよ。
「オレ、どうしたらいい?」
 囁く声。薄く開いた唇が、おれを誘う。

 神さまありがとう。
 おれ、生きててよかったです。
 いただきまーす!

 一気に押し倒そうとして、おれは嵯峨弥へとダイブした。ところが。
 ごいん。
 愛しい人に包まれるはずのおれの頭は、固い何かに激突した。
「いってーーーー!」
 頭を抱えて転がる。目の前に星がチラついた。耳の奥でうわんうわん言ってる。なんだよ。痛いよ。なんでこんなところに、こんなもんがあんだよ!
「夏芽っ!どうしたの?」
 パシンと襖の開く音がして、嵯峨弥の声がした。おれは涙が滲んだ目を開ける。
「大丈夫?」
「嵯峨弥ぃー」
 覗き込んだ愛しい人を見て、おれは更に落胆した。
 目の前には、ばっちり男に成長した(しかもおれより育ってる)嵯峨弥がいた。


 ついてないよなー。
 蕗と高野豆腐の煮物をつつきながら、おれは思った。食卓をはさんでむこうでは、嵯峨弥がごはんをよそっている。
 せっかくあのサガミだったのに。とびきりの据え膳だよ。
 ぐさり。高野豆腐に箸を突き刺す。悔しさが箸を伝わった。
 どーせ夢なら、最後まで見せてくれよ。あそこまでおいしー展開で、強制終了なんてあんまりだ。
 ぐりぐり。高野豆腐にやつあたりした。滑らかなその表面が、ぼろぼろと削られてゆく。
「どうしたの?」
 声に顔を上げた。不思議そうに輝く藍色の瞳。嵯峨弥が見つめている。
「うわっ、嵯峨弥っ」
「それ、味が薄かった?」
「へ?」
「高野豆腐」
 ぽそりと指摘されて、おれは大いに慌てた。やばいやばい。不穏なこと考えてたの、バレたら大変。
「え?大丈夫大丈夫。おいしーよ」
 ひきつりながら誤魔化す。
「そう?だって・・・・」
「ごめん!おれ、ぼっとしてた」
「だと、いいけど・・・・」
 謝るおれに、嵯峨弥がぽつりとこぼした。不安気な表情。まずい。へんな誤解させちゃいそう。
「くれよ」
「えっ」
「それだよ。ごはん、よそってくれたんだろ?」
 相棒の手元を指さしながら、おれはにっかり笑った。嵯峨弥がほっとした顔をする。
「うん。はい」
「ありがと」
「みそ汁、入れてくるね」
 嵯峨弥がすっくと立ち上がり、台所へと向かった。おれはその後ろ姿を見ながら、炊きたてごはんを胃袋に詰め込む。
 あーあ。
 自然と溜息が出た。溜息には理由がある。様々な紆余曲折を経て、おれたちは相思相愛になったはずだ。こうして一緒に暮らしてさえいる。でも。
 実はおれたち、全然進展してないのだ。もちろんそっちの方面で。清い、清すぎる関係だ。
 キスくらい、したいよな。
 ごくり。虚しくごはんを飲み込む。 
 けど、なかなかいー雰囲気になんないよ。
 じたばた。頭の中のおれが、焦れて暴れている。
 どうしよう。
 答えの見つからないおれは、二度目の大きな溜息をついた。


「なあ兄ちゃん、どうしたらいいと思う?」
 昼休みの兵部省食堂の片隅。頬杖をつきながらおれは尋ねた。隣の千秋兄ちゃんが、呆れた顔をする。
「どうって?どこが悪いんだよ。憧れの嵯峨弥とふたりっきり。文句ねぇじゃねぇか」
「確かにふたりだけどさー、それだけなんだよっ」
 涙目で兄貴分の男に迫る。嵯峨弥が郊外に小さな一軒屋を買い、一緒に暮らし始めて一週間。おれこと漆原夏芽と、嵯峨弥こと昏嵯峨弥の関係は極めて清い。というか、何もない。
「それだけって、いいじゃねぇか。お前、嵯峨弥と暮らして楽チンだろ?掃除洗濯炊事、たとえ作れるのが精進料理だろうが、やつは完璧だぜ?なんせ護国寺じこみだ」
「弁当はおれが作ってるよ」
「握り飯だろ?それも嵯峨弥が飯を炊いて、な」
「うっ」
 指摘されてぐうの音も出なかった。確かにそうなのである。一緒に暮らしてわかったのだが、嵯峨弥は何でもできる。作る食事もおれよりはるかにうまい。この働き者の昏一族は、護国寺からの習慣とかで、任務のない日は朝四時半から起きて掃除に勤しんでいる。
「まーそう焦るなよ。一緒に暮らしてりゃ、そのうちなんとかなるって。お前等好き合ってんだし」
「そのうちっていつだよ!もう一週間だよ?一つ屋根の下なんだよ?なのに、どーしてチューさえないんだよっ!」
 涙目のまま更に詰め寄った。詰め寄られた兄ちゃんが、なんとも不憫そうな顔になる。
「そうか。チューもなしか。清いな」
「清くなくてもいーよ!恋人同士なんだよ?もっと、イロイロどろどろしたいよ!」
 しん。それまでザワザワしていた食堂が、水をうったように静かになった。周囲が退いてる。ぴりぴり。感じる空気が痛い。
「あ」
「やべ。注目されてる」
 兄ちゃんも空気に気づいた。あらら、皆さん呆然だよ。
「いくぞ」
「へ?」
「来い!」
 兄ちゃんが腕を引っ張る。寒い視線を背に、兄ちゃんとおれは食堂を出た。