昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT12

 おれはやった。
 ついに嵯峨弥さんに告白した。
 学び舎留年非常勤の臨時事務職員だって、やるときゃやるのだ。
 

「起きてください」
 朝。耳に嬉しい声で目覚めた。これはあの人の声。昏嵯峨弥さんの声だ。
「あ・・・・おはようございます」
「おはようございます」
 目を開くと嵯峨弥さんがいる。夢にまで見た美しい人が。うーん、いい朝だ。
「夏芽さん、お話があります」
 すばらしい朝を迎えたおれに、正座した嵯峨弥さんは告げた。おれはまだねむい目を擦りながら、上半身を起こす。
「・・・・・なんですか?」
「実は、オレにはあなたにお話していなかった事があります」
「話してなかったこと、ですか?」
「はい」
 こくりと頷いた嵯峨弥さんの顔は、ひどく青白くなっていた。眠れなかったのだろうか?目の下に黒い隈。どんよりと背中に背負った縦線。さすがにこれは何かありそうだと、おれは蒲団の上に正座した。
「えっと、それでお話って・・・・」
「申し訳ありません!」
 みなまで言ってないおれに、嵯峨弥さんはいきなり土下座をした。おれはびっくりしてその場を飛び退く。えええっ?何があったんですか!? 
「ど、どどどーしたんですかっ?」
「オレは過去、あなたに取り返しのつかないことをしました」
 平伏したままの嵯峨弥さんが言う。
「え?」
「オレは、あなたを一族のいざこざに巻き込み、あなたに狼藉を働きました」
 狼藉?狼藉ってたしか、あれだよな? って、あれってなんだ?
 事態が全く飲み込めない。なんだかよくわからないけど、必死で脳を動かしてみる。
「嵯峨弥さん?」
「はい」
「きいていいですか?」
「どうぞ。何でもきいてください」
 質問するおれに、嵯峨弥さんが顔を上げた。
「その、狼藉って具体的には何を・・・・」
「乱暴しました」
「・・・へ?」
「オレは、あなたを犯したんです」
 頭が空白になる。ぽっかりと口を開けたままのおれに、悲壮な形相の嵯峨弥さんは告げた。

 ら・ん・ぼ・う?
 お・か・す?

 聞き慣れない言葉が頭をぐるぐる回る。
 乱暴って、暴力振るうことだよな?
 犯すって、むりやりアレしちゃうってことだよな?
 言われたことの意味はわかった。でも、なんかピンとこない。
 おれが嵯峨弥さんをやっちゃうんじゃなくて(それはありうる)、嵯峨弥さんがおれをやっちゃうなんて。
 ・・・・・あれ?でもそんな記憶ないぞ?
 
「オレがいけなかったんです」
 記憶にない過去に混乱するおれに、嵯峨弥さんが告げた。
「本当はもっと早いうちに、真実をお話するべきでした。なのにオレは、それがあなたにとって真にいいことなのか迷ってしまって・・・・・・かといって、言わずにいていいものとは思えず、オレはお話する機会をダラダラと今まで引き伸ばしてしまいました」
 真実。今までの不安気な嵯峨弥さんの表情が浮かんだ。言い淀むしぐさや、必死で何か言おうとしていた様子を思い出す。ことり。おれの中に、答えが落ちた。

 そうか。迷っていたのだ。
 このひとは。

「四年と少し前、オレと夏芽さんは出会いました。夏芽さんは昏のオレに、とてもよくしてくださいました。オレもそれに甘えてしまって・・・・なのに、オレはあなたを裏切ってしまいました。一族がらみの事情であなたに恐い思いをさせ、凄惨な場面を見せ、更にはあなた自身を穢してしまいました」
 震える声。おれには聞いたことが信じられなかった。そりゃあ、おれは学び舎留年の万年ヒラ事務員(それも臨時採用)だ。しかし、人を見る目だけは自信がある。嵯峨弥さんはいい人だ。それも、おれが知り合った中ではとびきりの。その嵯峨弥さんが、そんなことするはずがない。
「嵯峨弥さんには悪いですが、おれ、どーしても嵯峨弥さんの言うことが信じられないです。だって、記憶にないし」
「そうですよね・・・・」
 思いきって告げた言葉に、目の前の人は悲しそうな顔で返した。そうですよねって嵯峨弥さん、それってどういうことですか?
「夏芽さん。あなたの記憶の中には、所々抜け落ちた部分があると思います」
 なぜそのことを知ってるんだと思った。おれに記憶障害があるという話を、この人にしたことはない。
「その抜け落ちた記憶は、オレが『昏』の力で削除しました。オレに関することを、全て」
「どうしてですか!」
 思わず叫んでしまった。
「なんで、記憶を消したんですか?」
「オレはあなたに取り返しのつかない仕打ちをしました。そんなオレのことなど、覚えていない方がいいと思ったんです。でも、それは間違いでした」
 嵯峨弥さんの白い顔が痛々しく歪んだ。何かを堪えるように震える肩。小さく見える。
「オレはただ、自分のしたことから逃げていただけなんです。苦しむあなたを見ることに、オレ自身が耐えられなかった。けれど、それではダメだったんです」
 自分に言い聞かせるように、嵯峨弥さんが吐き出した。後悔の滲む表情。少し、胸が痛い。
「お願いです」
 ひたとおれを見つめて、嵯峨弥さんは言った。藍色の目に映る、決心の光。
「あなたの記憶を、オレに修復させてください」
「えぇぇ?」
 いきなりものすごいことを言うから、声が裏返ってしまった。
 記憶の修復。
 それってつまり、失くした記憶が甦るってことだよな?
 そんなことが、できるのか?
「あの、嵯峨弥さん」
「すみません。急に、無理なことをお願いして」
「えっと」
「ご不快ですか?もしあなたが望まれないのでしたら、別の方法を探します。もっともです。オレが削除したあなたの記憶は、あなた自身にとって、楽しいものではありません」
「いや、違うくて、その」
「何でしょうか。やはり、嫌ですか?『昏』の力を身に受けるなど・・・」
「だから、違いますって!」
 自然と語尾が荒立った。嵯峨弥さん、一人でどんどん先走っている。このまま放っておいたら、おれの意志とは関係なく、自己完結だ。
「勝手に決めないでください!」
 ぴしりと告げた。嵯峨弥さんの顔が、サッと変わる。
「おれのことはおれが決めます!嵯峨弥さん、落ちついてください」
「・・・・すみません。オレ、混乱してしまって・・・・・」
 目の前の人は告げて、しゅんと項垂れてしまった。こんな嵯峨弥さんは苦手だ。面倒はさっさと片付けて、笑う嵯峨弥さんが見たい。
「わかりました。いいです」
「えっ」
 驚く嵯峨弥さんに告げた。
「記憶、戻してください」
 おれに迷いはなかった。どんな記憶でもおれの記憶だ。むしろ知らないままでいる方が、すごくいやだと思った。辛いことやいやなことから、目を反らして生きていきたくはない。
「お願いします」
「夏芽さん・・・・」
 ぺこりと頭を下げるおれを、嵯峨弥さんが見つめている。大きく見開いた目。心の震えが伝わる。
「ありがとうございます」
 目元を潤ませながら、嵯峨弥さんが言った。
「できる限りやってみます。全部は戻せないかもしれませんが、全力を尽くします」
「はい」
 いつもオドオドしていた嵯峨弥さんが、まっすぐにおれを見ている。その真摯な瞳に満足して、おれはにっかり微笑んだ。どんな記憶だったのかは知らない。でも。
 覚えてないほど、いやなことはない。
「おれ、どうしたらいいですか?」
「あなたに同調します。手を」
 嵯峨弥さんが促す。両手を差し出した。少し冷たい、嵯峨弥さんの手が包む。
「オレの目を見てください」
 鮮やかな蒼眼。それが更に蒼くなるのを眺めながら、おれは大きく息を吐いた。途端に、何かがするりと頭に入りこむ。
 あ・・・・・これ、嵯峨弥さんかな。
 呑気なことを考えながら、おれはゆっくりと意識を手放していった。