昏一族はぐれ人物語 〜青年編〜   
by (宰相 連改め)みなひ




ACT11

 ぼんやりと霞がかかった意識の中で、それを感じていた。
 温かい腕。誰かがおれを抱きしめている。
 少し冷たい掌。おれの頬を包んで。
 いつだっただろう、誰かが同じことをしていた気がする。
 細かく震えながら、おれを抱いていた気が・・・・・。


「・・・・あれ?」
 ふわりと身体が浮き上がった気がして、目が覚めた。誰かが覗きこんでいる。どこかで見た顔。
「気がつきましたか?」
 声でわかった。嵯峨弥さんだ。嵯峨弥さんが覗きこんでいる。
 うわ、睫も銀色。
 妙なところで感心して、おれは思いだした。そうだ。おれは倒れたんだ。
「ここは・・・痛てっ」
 起き上がろうとして頭に激痛が走った。ガンガンと響く痛み。二日酔いか?
「横になっていてください」
 長い手が背を支えて、嵯峨弥さんが促した。おれをそっと蒲団に寝かせる。あ、これ、おれの蒲団だ。
「ここは夏芽さんの家です。資料庫に帰るわけにもいきませんし、こちらに来させて頂きました」
 ずれた蒲団を直しながら、嵯峨弥さんが告げた。そうか。嵯峨弥さん、倒れたおれをここまで運んでくれたんだ。
「すみません。重かったでしょ?」
「いいえ。もとはと言えば、オレがお誘いしたわけですし・・・・・」
「でも助かりました。ありがとうございます」
 礼を告げると嵯峨弥さんは困った顔になった。何か言おうとしてやめ、立ち上がる。台所へと消えた。
「あの、勝手にしてしまってすみません。・・・・どうぞ」
 再び帰ってきた嵯峨弥さんは、手に椀を持っていた。湯気が出ている。なんか、変わったにおい。
「これなんですか?」
「薬湯です。あまりおいしいものではないのですが、二日酔いにはよく効きます」
 差し出された椀には、なにやら灰緑っぽい液体が入っていた。おれはよく見ようと首を伸ばす。
「苦いですか?」
「はい、残念ですが。もしお嫌でしたら、無理には・・・・」
「飲みます」
 即答で返せば嵯峨弥さん、びっくりした顔で少し退いた。なんでだろう?せっかく嵯峨弥さんがおれの為に、作ったものなんだ。飲まないはずがない。
「嵯峨弥さん」
「なんでしょう」
「ちょっと飲みにくいんで、少し手伝ってください」
「わかりました」
 白い手が伸びてきた。背中を支え起こす。薬湯の椀が迫ってきた。
「熱いですよ」
 嵯峨弥さん手ずからの薬湯を、おれは少しずつ啜った。確かにまずい。なんかすっぱ苦い。けれど、嵯峨弥さんの薬湯だ。
「これ位飲んだら、いいですか?」
「もちろんです。ありがとうございます」
 おれは少しずつ薬湯を啜り、半分ほどになったところで嵯峨弥さんに尋ねた。嵯峨弥さんが笑顔で答える。少し、嬉しそうだ。
「本当。これ、まずいですね」
「すみません。でも、確かによく効くんです」
「『良薬口に苦し』ですか」
「ええ」
 ふっと互いの顔が綻ぶ。やわらかな空気が流れた。頭はガンガンするけど、妙に嬉しい。
「口直しに、お茶を持ってきますね」
 おれを蒲団に寝かせて、嵯峨弥さんが立ち上がった。再び台所へと向かう。
 いいよなぁ。
 お茶の用意をする後ろ姿に思った。細身の長身。背中まで届いたまっすぐな銀髪。おれの家に嵯峨弥さんがいる。おれに、薬湯やお茶を持ってきてくれる。
 風邪ひいた時とかさ、こういう感じかな。看病したり看病されたり、夢みたいだよな。
 嵯峨弥さんの背中を眺めながら、おれはうっとりと妄想に浸った。温かい部屋。温かい飲み物。温かい空気の中の、美しい人。
 そういえば嵯峨弥さん、おれの家知ってたんだ。
 妄想の中でふと思った。実は教えた記憶はない。なんで知ってたんだろう。
 そうか。この人「昏」だし、諜報部だもんな。
 ほんの数秒考えて、おれは合点がいった。 
「お茶です」
 こっちにやってきた嵯峨弥さんが告げる。
「すみませんが、飲ませてください」
 おれはわざと甘えた。「わかりました」と嵯峨弥さんが答える。これぞケガの功名。病人?の役得。チャンスは逃すな。
「おいしいです」
「熱くなかったですか?」
「適温です。濃さもおれ好みで」
「よかった」
 おおお。こりゃ新婚の会話だよ。二日酔いだとか、男にお茶飲ませてもらってるとか、そんなことどうでもいい。好きな人にいたわってもらっている。それだけで天国だ。
「すごいですね。いつも飲んでるうちのお茶でも、嵯峨弥さんが入れたら数倍おいしい気がします」
「そんな・・・・・同じですよ。ただ、お茶の入れ方は少し違うかもしれません。護国寺時代に、遥に習ったんです」
 薔薇色だったおれの気分は、その名前を聞いた途端、ドドメ色になった。東洞院遥。あの、嵯峨弥さんに妙にベタベタしている、嵯峨弥さんの友人。
『嵯峨弥、漆原さんがびっくりしているよ。これでは誤解されてしまう。困ったね』
 これみよがしな台詞と共に、あの挑戦的な顔が脳裏に甦ってきた。あいつ、絶対嵯峨弥さんを狙ってる。冗談じゃない。わたすか。
「それじゃあオレ、もう帰ります」
 脳内煮えてるおれの横で、嵯峨弥さんが言った。
「えーっ、もう遅いですよ。どうぞ泊まっていってください」
「でも、それでは夏芽さんにご迷惑がかかります」
 嵯峨弥さんは立ち上がろうとしていた。おれは右手をのばし、むんずと思い人の二の腕を掴む。
「夏芽さん?」
「前にも言ったでしょ。全然迷惑じゃないって。それに、まだ頭が痛いです」
 酒のなごりが残っているおれは、いつもより強気だった。ずるいけど、相手の痛いところを突く。手段を選んではいられない。おれは今夜、嵯峨弥さんにここにいて欲しい。
「・・・・・痛いですか?」
「はい、すごく。蒲団はもう一組押し入れにあります。そばにいてください」
 まっすぐに蒼眼を見つめる。嵯峨弥さんの目は少し大きくなった後、迷っているように細かく動いた。逃すもんかと念押しする。
「お願いです」
「・・・・・わかりました」
 おれの熱意?に圧されたのか、ついに嵯峨弥さんは頷いた。

 
 狭い部屋に蒲団を二つ並べて眠る。一人じゃない夜が、こんなにも嬉しい。
「まだ起きてますか?」
 嬉しさで寝つけないおれは、隣へと声を掛けた。蒲団がもぞもぞと動いて、嵯峨弥さんがこちらを向く。
「・・・・はい。なんだか寝つけなくて・・・」
「おれもです。さっきからドキドキしちゃって。もー呼吸困難って感じです」
「だ、大丈夫ですか!?」
「え?」
 ウキウキと答えるおれに、がばりと嵯峨弥さんが起き上がった。びっくりしておれも飛び起きる。夜目にもわかる、心配そうな顔。
「苦しいんですか?」
 するりと嵯峨弥さんの手が伸びて、おれの手を取った。おれは急な接近が嬉しくて声がでない。嵯峨弥さんはおれの手首に、白魚の指を当てている。
「脈は・・・・ちょっと早いですね」
 俯きがちの顔。真剣な眼差し。
「どこか、痛いところはないですか?」
 顔を上げて問うてきた。傾げられる小首。迫ってくる嵯峨弥さんの顔。

 うわ、チャンスだよ。
 いっちゃえ。
 
「!」
 ぺたりと唇を合わせると、びくりと嵯峨弥さんの身体が揺れた。おれは構わず唇を押しつける。逃がさないように腕を掴んだ。
「・・・・・・・・・・・・」
 固まる嵯峨弥さんを余所に置き、おれはその感触を楽しんだ。やわらかい。少し冷たい嵯峨弥さんの唇。
「好きです」
 顔を離して告げた。
「おれは、嵯峨弥さんが好きなんです」
 間近で更に念押しした。嵯峨弥さん、目がまん丸になっている。
「じゃ、おやすみなさい!」
 満足しておれは横になった。景気よく蒲団をかぶる。目を瞑ってにやけた。やった。ついに告白した。おれは嵯峨弥さんに、告白したんだ!
 一世一代の大仕事を成し遂げたおれは、溢れる充実感で眠りについた。最高の日だった。