天の頂




ACT2

 強くなりたいと思っていた。
 強くなければ、父と共にあることはできない。
 母を支えることはできない。
 だから、強くなりたかった。
 『昏』になりたいと思っていたのだ。
 だけど。


「もういいの?」
 まだ三分の一も減ってない粥を前に、尋ねた。尋ねられた母が、こくりと頷く。
「ごめんね。少し、今日は胸が・・・・」 
「背中さすろうか?」
「いいの。寝てればおさまるから」
 蒼い顔で母は告げた。オレは言葉を探す。
「じゃあ、何か飲む?果物でも剥こうか。この間みたいに、りんごを擦って・・・・」
「ううん、今はいいわ。少し眠ろうかしら。起きたら、お願い」
「・・・・うん」 
 目を閉じる母に、オレは何も言えなくなった。心の中で溜息をつき、膳を手に持つ。
「じゃあ、起きた頃来るね」
 告げて、母の部屋を後にした。台所へと向かう。残った食事を見ながら。

 大丈夫かな。
 母さん、本当に食べなくなった。
 父さんが亡くなる前は、全部食べられるときもあったのに。
 なんだか、日に日に弱ってゆくみたいだ。

 父が亡くなってからというもの、母は更に食が細くなってしまった。日に日に小さくなる姿が、透けるような頬が、オレの不安を煽る。薬師も本人の気力次第だと言った。生きる気力がなければ、長くはもたないだろうとと。
「いかがでしたか?」
 台所にいた出雲が訊いた。オレは首を振る。手に抱える膳を見せた。
「・・・・困りましたね」
 膳を受け取りながら、出雲が言った。大きく溜息をつく。
「都の医師は、母さんを診てくれないかな」
「残念ながら、お母上を都に連れてゆくのは、体力的に難しいかと思います。それに、この辺境の村まで『昏』を診にきてくれる医師も難しいかと。なにより、お母上は胸に大きな病を抱えておられると、近江さまよりお聞きしております」
 昏一族の住む村は、都から遠く離れた場所にあった。もちろんそれは人の頭の中が視えるということからである。都にいる人たちは、「昏」に思考を知られることを恐れた。
「どうしたらいいんだろう。母さん、このままじゃ・・・・」
「嵯峨弥様」
 恐れているものに、胸が痛くなってきた。母は生来病弱な人だった。事実、オレを産むときも危なかったらしい。もともと彼女は一年のうち半分の日は起きて、半分は床に臥せっていた。そんな母には耐えられなかったのかもしれない。最愛の夫である父の死は。
「わかりました」
 急に、意を決した様子で出雲が言った。
「お母上のことは、再度長戸様にお頼みしてみます。そして、それとは別に、古い伝手を頼ってみようと思います」
「伝手?」
「はい。出雲は昔、『御影』の者と仕事をしたことがございます。近江様も、『御影』とは交流を持たれていました。その線で、御影研究所に手配ができないかと」
「御影研究所?」
 初めて聞いた言葉に、思わず聞き返した。出雲、それ、どういう所なの?
「『御影』専門の医療をおこなう場所です。それに、術や兵器の研究、特殊な能力を持つ者の研究なども取り行っていると聞きました」
 オレの疑問を読み取り、出雲が答えた。
「その御影研究所の人なら、母さんを助けてくれるの?」
「わかりません。しかし、頼ってみてはいいかと」
 出雲の言う通り、確かなものではなかった。だけど、他に術はない。
「とにかく今から動いて参ります。嵯峨弥様、その間御一人で頑張れますか?」
「うん!もちろんだよ」
「それでは、しばしおいとまを。必ず、つなぎをとって参ります」
 すいと片膝を折り、出雲が告げた。
「出雲、お願い」
「はい」
 答えて、出雲は消えた。オレは出雲のいた空間を見つめ、大きく息をついた。
 

『母さん、今日もいらないの?』
 それから一週間、時は足早に過ぎていった。
『母さん、何か食べないとだめだよ』
 相変わらず、母さんは食欲がない。何度促しても、寂しそうに首を振るだけだ。そして、どんどん唇が青紫になってゆく。
『食べないと、死んでしまうよ』
 長戸伯父からの連絡もなかった。都の医師は来てくれそうもない。後の頼みは、出雲だけだ。

 どうしてなのかな。
 オレは一人、空を見上げて思った。恨めしい。どうしてオレには、昏の「力」は訪れないのだろう。
 今まで、何かいけないことをしちゃったのかな。その罰なんだろうか。
 規律に違反するとか、激しく非難されるようなことをした記憶はない。でも、気づかない所で何かしているのかもしれないと思った。それでなければ悲しすぎる。自分の無力さが。
 お願いです。もし罰があるなら逃げずに受けます。だから、オレに「力」をください。
 「昏」の能力があれば、できることはたくさんあった。父さんみたいに、母さんに気を分け与えることだってできるかもしれない。とにかく今、おれは「力」が欲しい。
 どうか・・・・父さん、周叔父さん。
 オレは空に祈った。祈るしかできなかった。そして。
『嵯峨弥様』
 それは出雲が旅立ってから十日目の朝、渡り鳥の口を介してオレに伝わった。
「出雲っ!」
『お待たせ致しました。なんとか、手筈が整いました。三日後、医師を届けてくれるそうです』
「本当?よかった!ありがとう!」
 知らせにオレは喜んだ。やっぱり出雲だ。医師がきたら、母さんを診てくれる。そしたら母さん、元気になるかも。
「母さん!」
 喜び勇んでオレは、母さんの部屋へと入った。母さん、眠ってるかな。いいや、起こしちゃえ。だってお医者様が来てくれるんだもの。
「母さん!お医者様が来てくれるんだよ!三日後にここに着くんだ。出雲が手配してくれたんだよ!」
 部屋で寝ていた母さんは、珍しく目を覚ましていた。ぼんやりとした眼差しを、こちらに向ける。
「嵯峨弥・・・・」
「母さん、もう少しの辛抱だよ。がんばって!」
「・・・・ごめんね」
 ぽつりと落とされた言葉に、オレは耳を疑った。
「え?どうしたの?母さん」
「おかあさん・・・・もう、頑張れない・・・・みたい」
 消え入りそうな声。僅かに歪んだ白い顔。一筋流れる涙。目の端を伝って。
「だから・・・・ごめんなさい」
 ゆっくりと閉じられた瞼に、自分の目を疑った。やめてよ母さん。悪い冗談だよ。
「起きてよ」
 信じられない気持ちのまま、声を掛ける。
「ねえ、起きてったら」
 ゆさゆさと細い体を揺らした。動きと共に長い髪が波打つ。オレと同じ、銀色の髪が。
「目を開けて!母さん!」
 思いっきり叫ぶ。けれど。
 抱きしめた母の身体は、ただ冷たくなっていった。