光さす場所    
by(宰相 連改め)みなひ




ACT2

 その名前を聞いた時、正直、身体が震えた。
 鼓膜から伝わった名前を噛み締める。
 おれの「水鏡」が決まった。
 名前は、如月水木(きさらぎ みずき)。


「北館の面談室で待つがよい。追って水木に行かせる」
 五年ぶりに再会した御影長は、皺の増えた顔でおれに言った。
「飛沫様・・・」
「おぬしの事は篝より頼まれておる。『対』になる者も手練れを選んだ。長年、『御影』と『水鏡』を一人でこなしてきた者じゃ。きっと、おぬしを導いてくれるじゃろう」
 言葉と表情が一致していない。なんだか、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。仕方がないと思った。おれは、ただの厄介者だ。篝さんの力で、ここに戻してもらっただけなのだから。
『御影長にあなた用の水鏡を頼んでおきました。取り敢えず、その者と組んでみてください。もしうまくいかないようでしたら、その時は私が水鏡を務めます』
 何の躊躇いもなく、篝さんはそう告げた。おれと同じ能力を持つ者と一緒にいたのならば、暴走時のおれがどういうものであるか、わかっているはずなのに。
『如月水木さんなら、御影の健康診断で幾度かお会いしたことがあります。あの方の結界能力はそこらの水鏡より強力です。我々としては、彼も研究してみたい因子を持っていますよ』
 にっこりと微笑みながら、御影研究所の研究員は言った。おれは苦笑する。研究する方はいい。される方はどういう思いをするか。西亢の砦からここに来て、健康診断と称する検査や実験を経験しているだけに、その言葉は友好的には取れなかった。
『二月程したら、御影宿舎に会いに参ります。その時、正式にあなたの“対”を見極めましょう』
 当然のことのように篝さんは言った。それは、おれにはひどく違和感を伴って聞こえた。おれの「対」が見極められるのではなく、おれこそが水木さんの「対」にふさわしいかどうか、それを見極めるべきだと思ったから。水木さんは一人で『御影』と『水鏡』を務めている。普通なら、おれなど必要ないはずだ。
 仕方なく引き受けたのかな。
 暗澹たる気持ちでそう考えていたとき、面談室の扉が開いた。とっさに入口へと向き直る。部屋に明るい髪の男が入ってきた。
 水木さんだ。
 その姿を見た途端、体中の血が沸き立つのを感じた。すらりとした肢体。薄い色の瞳。皮肉げに弧を描く口元。間違いない。水木さん、五年前よりかっこよくなってる。
「あの・・・・・はじめまして」
 なけなしの勇気を振り絞って挨拶した。小さな声しか出ない。急に自分が情けなくなった。
「おれ、斎と言います」
 更に声を振り絞り、自分の名前を言う。彼は覚えているだろうか。ドキドキと鼓動がうるさい。
「実はおれ、新入りだった頃、水木さんに助けて頂いたんです。・・・・・・忘れてらっしゃるかもしれませんが・・・・」
 必死で自己紹介した。ちゃんと言わなければ。おれはあなたを知っていると。助けてもらったのだと。感謝しているのだと。
 しどろもどろに話すおれを、水木さんは無表情に見つめていた。だんだん心配になる。やっぱりおれ、厄介者なんですか?
「冗談。忘れるわけないじゃないー!」
 不安で逃げ出したくなるおれに、水木さんはにっこりと笑った。パッと辺りが明るくなる。よかった、疎まれてない。ホッと肩の力が抜けた。
「あの時のコがこうなったとはねぇ。まあ、大きくなっちゃって」
「覚えててくれたんですか」
 嬉しくて聞き返した。五年も前なのに。たった一回、一緒に戦っただけなのに。水木さんは覚えていてくれたのだ。
「おれ・・・・嬉しいです」
 嬉しさで視界が歪む。涙なんてかっこわるい。情けない奴と思われただろうか。でも、止められなかった。
 ひたり。
 冷たい手が頬に触れた。驚きに身体が震える。水木さんの手だった。
「覚えてる?」
 そっと囁やかれる。目の前に面白そうな茶色の目。頬の手に力が入り、ゆっくりと引き寄せられた。
「五年前の続き。『後で』って、言ったよね」
 忘れるはずがない。それだけが心の支えだった。こくりと頷く。おれは待ち続けていたのだ。 
 水木さんの綺麗な顔が近づいてくる。嘘じゃないかと思った。でも、身体が金縛りのように動かない。
 唇が、触れた。少し冷たい。五年前と同じその冷たさが、あの時の口づけを思いださせた。
 血の巡る音が、ガンガンと頭の中に響いた。ギュッと目を瞑る。
『口、開いて』
 唇が離された。おれは戸惑う。口って、開くって・・・。なんだかわけがわからなくなってきた。それでも言われたとおり、びくびくしながら口を開いた。
 ぐい。
 頬の手が項にやられた。再度引き寄せられる。ぺろりと唇に濡れた感覚。しなやかなものが差し込まれた。反射的に腕を掴む。これって、水木さんの・・・・。
 混乱しているおれをよそに、水木さんの舌は奥へ奥へと進んできた。程なくおれの舌を見つける。絡みつき、しっかりと引き出された。
 欲シイ。
 身体の中に、ある欲求が湧き起こる。自然と手に力が入った。
 欲シイ。ケレド、我慢シナキャ。
 欲求はみるみる間に脹れ上がってくる。精一杯、自制を試みた。更に舌が吸い上げられる。
 抑エナキャ。水木サン二嫌ワレル。デモ。デモ・・・・・・欲シイ!
「痛いっ」
 水木さんの声で目が覚めた。呆然と目を見張る。おれ、今、何を・・・・。
「腕!痛いって言ってるでしょ!」
 慌てて手を離した。とっさに謝る。内心、自分の行動にびっくりした。
「いいわよー。味見、終わり」
 冷や汗をかきながら謝るおれを、水木さんは呆れ顔で許してくれた。どうしよう。きっと今ので嫌われてる。
 何てお詫びしたらいいか。そんなことを考えているうちに、ドンドンと部屋の扉が叩かれた。
「水木ー!お楽しみの所悪いけど、飛沫が呼んでるぞー」
 扉の外で響いた声は、水木さんの友人らしき人のものだった。
 

 前を水木さんが歩いている。閃という友人としゃべりながら。背中の辺りまで伸びた蜂蜜色の髪が、ゆらゆらと動きに合わせて揺れた。ぴんと伸びた背筋。おれより少し低い肩の位置。それでも、水木さんはかっこよく見えた。
 二人の話していることを気にしながら、おれは水木さんの後に続いた。