戻れるとは思っていなかった。
 このまま、自分は闇に沈んでゆくのだと。でも。
 その人はおれを、導いてくれたのだ。
 光さす、その場所へと。




光さす場所    
by(宰相 連改め)みなひ




ACT1

 暗闇には慣れていた。
 もう何度目になるだろう、この空間にいるのは。慣れているのは暗闇だけではなかった。
 冷たい岩肌。湿った空気。カビと埃の臭い。
 それらに馴染んでいるくせに、あきらめきれない自分が情けなくなった。でも、どうにもできない。
 ガシャリ。
 手足を動かす度に、繋がれた鎖が音をたてた。その重みと固さ、冷たさに思い知らされる。自分が何者であるかを。
『どうやら隔世遺伝のようです』
 最初に拘束された時、送られた研究所の研究員は言った。
『我々が研究してきた遺伝因子の一つに、君が持っているような性質を持つものがあります。普通は外部に漏れないよう、保因者は管理されるのですが。君の場合はたぶん、親かその祖父母の代の人がここから抜けだした、もしくは遺伝形質が現れない為、解放されたと考えられます』
 そんなことを言われても困る。おれは孤児だ。森に置き去りにされていたのを猟師に拾われ、都のある教育者に育てられた。だから、おれは実の親の顔も知らないし、そいつらの遺伝形質も知っているわけがない。
『その年でこの能力が表れたということは、君の場合も普通は表面化しない状態だったのでしょう。しかし、“御影”の任務で生命に危機が及んだ時、隠されていた遺伝因子が目を覚ました。自己防衛能力として』
 何が自己防衛だ。こんなことになるのなら、殉職した方がよかった。自らの命は守れても、暴走して他者を屠り続けるこの能力。毎回獣のように取り抑さえられ、檻に閉じ込められる日々。一月のうち十日も太陽を拝めない生活。
 頭が痛い。ずきずきとこめかみを抉られるような感覚。吐き気もあるから、まだ完全に戻っていないのだろう。鏡がないからわからないが、おそらくこの目はまだ、あの凶々しい金色。
『金眼、お前が守るのは二つだ』
 西亢の砦の長は、取り抑さえられたおれに言った。
『一つは裏切らないこと。そして、ここから逃げないことだ。そうなったら、都のお前の育て親に咎が行くぞ。あいにく数年前、亡くなったらしいがな。それでも確か一人、息子がいたはずだ。それと、拠るべのない子供たちも』
 逃げられるわけがないのに、そんなことを言う。数々の符や呪でおれを縛っておきながら。
 おれの育った桐野家には、たくさんの子供がいた。皆、孤児だった。桐野の後継ぎは一人。おれより二つ上の、藍兄さん。
 裏切るわけにはいかなかった。もちろん逃げるわけにも。桐野の家に、藍兄さんに迷惑を掛けることはできない。もしあの家がなくなったら、おれと同じ境遇の子供たちが放りだされることになる。それだけは避けたかった。
『そんなにイヤなんだったらよ、任務でやられたっていいんだぜ?どうせお前は捨て駒なんだし』
 砦の男たちは笑いながら言った。そうなれたらどれだけいいか。けれどおれは生き残ってしまう。もう一人のおれは手加減などしない。情けも、躊躇いも何もない。ただ、目の前の獲物を貪欲に狩るだけ。そして、おれは暴走を止められない。任務と暴走と拘束。それらを繰り返して、五年が過ぎようとしていた。
『君の暴走には精神的な要素が大きく関わっているようです。もともと自己防衛で発現した能力ですからね。追い詰められたり不安定な精神だと暴走の頻度は高まり、更に止めにくくなるようです。もっと安定した精神状態を作ることが出来ればいいのですが・・・・』
 御影研究所研究員の呟きが甦る。安定した、だと?どうすればそうできるのだ。心の支えになるものさえ、おれにはないというのに。
 否、ある。
 たった一つだけ、遠い昔の、束の間だった記憶が。
『後で、ね』
 頭の芯まで痺れるくちづけの後、その人は囁いた。
 不安と恐怖で狂いそうだったおれを、助けにきてくれたのだ。
 おれは待った。
 あの人がおれに何を求めているか、既にわかっていたけれど。
 それでもよかった。水木さんなら、抱かれてもいいと思ったのだ。おれを求めてくれるのなら。だけど。
 あの人は帰って来なかった。
 待ち続けているうちにまたおれは暴走してしまい、こんなところで日々をおくっている。
 会いたい。
 それは遠い夢だった。おれはここから出られないし、そのうち任務で死ぬだろう。そうそういつまでも、最前線で生き残れるはずがない。
 ずっと、このままだろうな。
 絶望的であっても、答えは出ている。あとは諦めだけ。自分を全て諦める、その割り切りができないだけだ。
 わかっているのに、未練だよな。
 自嘲に口元を歪める。そうだ。未練たらしい。さっさと捨ててしまえ。こんな、自分など。
 殆ど自棄になっていた時、気配を感じた。ギギギと音がする。地下牢の入口が開いたのか。
 ひたり。ひたり。
 殆ど聞こえない程の、静かな足音が聞こえる。だんだんとこちらにやってくる。知らない気。誰だ?
 ゆらり。
 ほっそりとした人影が格子の外に表れた。夜目にもわかる長い髪。男だ。
「桐野斎(きりの さい)ですか?」
 声が聞こえた。落ちついた、それでいて張りのある声。おれはこくりと頷いた。
「結界を解きます」
 言うと同時に声の主が印を組んだ。ぱしんと結界の弾ける音。錠に鍵が差し込まれる。軋んだ音を立てて、格子の出口が開いた。
 ゆっくりとその人が近づいてくる。
「じっとしていてくださいね」
 白い手が伸びてきた。おれの首へと向かってくる。一瞬、思う。この人はおれを始末するかもしれない。それだけおれは罪を重ねている。それもいいと目を閉じた。
「目を開いてください」
 頬が温かい手に囲まれた。驚いて目を開ける。すぐ目の前に、濡れたような漆黒の瞳が待ち構えていた。
「ああ・・・・・・金色の目ですね。与儀と同じ」
 うっとりと間近で囁かれる。今までこの目を、そんな風に言う人はいなかった。皆、大抵、いやなものを見る目つきばかりで。だけど、何故。
「辛い思いをさせてすみません。もっと早くに私があなたの存在を知っていれば・・・・許してください」
 相手の言っている意味がよくわからない。人違いではないかと目を瞬かせた。じっと反らさず見つめられる。戸惑い、口を開いた。
「あの・・・・おれは、与儀という人じゃないです」
 震える声で言った。目の前の人が困ったように微笑む。おれは更に当惑した。
「わかっています。でも、あなたは与儀の血を引いています。その瞳が何よりの証拠」
「あなたは誰なんですか?何故この目のことを・・・・」
「桐野篝(きりの かがり)と言います」
 出された名前に驚いた。桐野。そう言えば顔だちが藍兄さんに似ている。まさか。
「昔、あなたと同じ目を持つ者と共にいました。今は、その者はいませんが。私は普段、山に引き篭っていて、五年ぶりの都であなたのことを聞きました。そして、ここに会いにきたのです」
「どうして・・・・」
 相手の意図がわからない。どうして、何故ここに来たのか。おれに会いに来ただなんて。
「戻りましょう」
 砕破印。ぴきんと音を立てて、手足の拘束が崩れさった。混乱する。わからない。戻るって、何処に?
「あなたは『御影』なのですよ。御影宿舎に決まっています」
 呆然とするおれに、篝という人はそう言った。穏やかな、染み入るような笑顔のままで。

 その日、おれは地下牢から出た。篝という人と共に、御影研究所へと向かった。
 長い長い拘束から解放された、信じられない瞬間だった。