| 猛獣使いへの道 by(宰相 連改め)みなひ ACT8 「検査を終了します」 張りのある声が終わりを告げた。おれは息をつく。それまで張り巡らせていた、緊張の糸を緩めた。 「本日はこれまでにします。では、柊くん」 呼ばれた黒髪の研究員がこちらに来た。手早く、身体のあちこちにつけられた電極を外してゆく。濡れたタオルで簡単に拭いて、病衣のような衣服を羽織らせてくれた。 「何かあれば彼に訊いてください。私は、検査結果の整理がありますので」 一方的に告げて、白髪の男は出口へと向かった。思わず呼び止める。 「あの、すみません」 「なんですか?」 くるりとこちらを向き、男はズレた眼鏡を指で直した。おれは幾分退きながらも、気になっていたことを尋ねる。 「明日は・・・何をするんでしょうか」 「明日の予定ですか?採血はオーダーしたと思いますが。柊君、他に何かありますか?」 てきぱきと言いながら、男は黒髪の研究員の方を見た。白髪に茶色の目が、まっすぐ向けられる。男はここの所長で、柴という名前だった。 「いいえ。採血以外、なかったと思います」 電極を片付けながら、研究員が答えた。彼は柊宮居(ひいらぎ みやい)といい、柴所長の助手にあたる。学び舎時代から、おれの検査を担当してくれていた。 「では、明日の採血をもって君の検査は終了となります。最終日に結果がでますので、それを聞いてから御影宿舎に帰るように。質問は?」 言われて数瞬、戸惑った。ここに来てまだ一日。滞在すべき日はまだ二日ある。明日採血の後、何をすればいいのだろうか。 「なければ、これで失礼します」 迷いを声に出す間もなく、白髪の所長は行ってしまった。不甲斐なく見送る。後には、柊さんとおれが残った。 「桐野君」 「あ、はい」 「大丈夫ですか?『どうしよう』って顔、してますよ」 苦笑しながら柊さんが言った。おれは肩をすくめる。 「所長は悪い人ではないのですが、どうも、興味のある方向に突き進む傾向がありますから・・・・。何か、訊きたいことがあったんじゃないですか?」 小首を傾げながら、言ってくれた。おれはホッとする。実は所長と呼ばれる人より、この人の方が話しやすい。 「すみません。どうしてなのかと、考えていました」 「何が、ですか?」 「採血の後、予定がないと聞きましたから・・・・」 途中まで言って、おれは言葉を濁した。これ以上、何を訊こうと言うのだ。まさか、どうして「検査」だけなのかとでも、尋ねようというのか。 「なんだか、明日、何かされる気だったって感じですね」 困ったような顔で、黒髪の研究員は言った。おれはどきりとする。実は半分、そのつもりだったから。 最近のおれの様子は、ここにも報告がきていたはずだ。その矢先の検査命令。それも、いつにない三日間の予定だという。だから、もしかしたら初日の今日は「検査」をし、明日には何らかの「処置」を受けるやもと思っていた。 「違っていたら失礼しました。あんまり、君が思い詰めた顔をしていたので、なんとなく・・・・」 目を閉じながら、柊さんが言葉を継いだ。敵わない。この人は人当たりのいい笑顔の中に、鋭い洞察力を持っている。全てを冷静に推し量る力。もとは、「水鏡」候補だと聞いた。 「いえ。その通りです」 素直に告白した。 「本当は、覚悟して来ました。ここ半月ほどのおれは、暴走を繰り返していて・・・・ついに、匙を投げられたのではないかと。だから・・・」 「だから、我々が君に、何か手を加えると?」 「はい」 項垂れながら、おれは答えた。沈黙。二人の間に流れる。居場所がなかった。 「・・・・・よかったですよ」 しばらくして、大きく息を吐きだしながら柊さんが漏らした。おれは意味がわからず、首を傾げる。 「君が柴所長にそれを言い出さないで、よかったです」 様子を察してか、言葉が重ねられた。 「あの人が聞いたら、きっと怒鳴られますよ。『馬鹿にするんじゃない』ってね」 小さく肩を竦めながら、柊さんは言った。きっと思いだしたのであろう、彼の上司の怒鳴り声を。 「我々は確かに研究者です。時には、命を扱うこともあります。上の命令で洗脳したりすることも。でも、我々は研究対象を個々に尊重しているつもりです。悪戯に命を弄んだり、握り潰すようなことはしません」 黒眼に強い意志をたたえながら、黒髪の研究者は告げた。おれは自分を恥じる。あまりにも、狭量な思いこみだったと。 「・・・・すみません」 心の底から詫びた。 「いいんですよ。今までいろいろ調べられただろうし。一見、ここは怪しい施設ですからね。そういう見方をする方もいらっしゃいます」 おれの肩をぽんと叩き、目の前の人は言った。 「でも、これだけはわかってください。我々は君たちを解りたい。解れば、何かできるかもしれない。そう思って研究していることを」 真摯に向けられた視線。おれは頷いた。自覚する。閉じていたのは自分だ。相手を知ろうともしないで、手前勝手な解釈をして。 「さあ、疲れたでしょう。部屋を用意しています。明日の早朝、採血に参りますね」 笑顔で促される。おれは、検査室を出た。 疲れた。 どさりと寝台に倒れ込んだ。白い寝具が身を包む。糊の効いた木綿の感触。微かに消毒薬のにおいがした。 馬鹿だよな。 自らを情けなく思う。「処置」を受けなくてすむという安堵の反面、落胆している自分。ここにくれば何かが変わると思っていた。いや、彼らが変えてくれると思っていたのだ。 他力本願、だよな。 自嘲に口元を歪めた。何を期待していたのか。全ては他でもない、自分のしたことなのに。誰かに解決してもらおうなどと、何を甘えていたのか。 『明日の採血以降の時間は、“ゆっくり休むように”ということだと思います』 諭すように柊さんは言った。 『最近の君の様子は、御影本部から逐一ここに報告されています。“御影”として順調にやっていっている反面、明らかに情緒不安定な行動もある。だからこそ所長も上層部も、君に休む時間を与えたのだと思います』 ぼんやりと思う。身体を休める。それで何かが変わるのだろうか。否、おれは変われるのだろうか。 違う。 強く思い直した。自分に言い聞かせる。「変わる」のではない。「変える」のだと。 おれ自身が変わらないから、暴走も起こるし止められない。逃げてはいけない。そして、認めなければならない。暴走を引き起こしているのは誰でもない、おれ自身なのだと。 ならば、自分自身を変えるためには、何をすればいい? そこまで考えて、思考に行き詰まった。道を探す。しかし、これといった方法は見つからない。 『さっさと寝ちゃいなさい』 耳を疑う。水木さんの声が聞こえた。すぐに本当の声ではないと気付く。自分の中にいる、まぼろしの声だと。 『疲れた頭こねくり回したって、ろくな考え出てきゃしないわ。やめたほうが得策よ』 いかにも水木さんらしい言い草だと思った。でもそれは事実。今の頭じゃ、出てくる答えは知れている。 「はい・・・・水木さん」 念じるように目を瞑り、おれは心の声に従った。 『おやすみなさい』 心の中で言う。しばらくして、眠りがおれを訪れた。 |