猛獣使いへの道 
by(宰相 連改め)みなひ




ACT7
 
「金眼」に煩わされない生活。
 それは、どれほど快適なものだろうと思っていた。
 気ままに好きなことをして、誰にも邪魔されない。
 一ヶ月前までの自分がおくっていた、自由でご機嫌な生活。
 今まで抑えてきた分、がんがん取り戻してやるつもりだった。
 なのに・・・。 
 

「う・・・ん」
 喉の渇きで目を覚ました。目を閉じているのに眩しい。この分だときっと昼だな。そんなことを思いながら、ごそごそと丸まった。瞼は開けずに声を上げる。
「斎〜、水ちょうだい」
 返事はなかった。少し意外に思う。聞こえてないのだろうか。いつもはすぐ反応するのに。
「おーい、水って言ってるでしょう〜?」
 今度はやや音量を上げて言った。応えを待つ。だけど、返事は一向に帰ってこない。むかりときた。
「斎!聞いてるのっ!」
 ついに声を張り上げた。不機嫌まるだしで身体を起こす。そして気づいた。あのおとなしい相棒は、部屋に気配もないことを。
 そういえば、そうか。
 辺りを見回し、やっと思い出した。今日から三日、斎は御影宿舎にいないのだ。
 ちっ、しかたないわねぇ。
 邪魔くさいと思いながら、備えつけの台所に向かった。蛇口を開き、流れる水を直接飲む。
 あーあ。べちゃべちゃだわよ。
 まとめてないままの髪が、水に濡れてしまった。幾筋も頬に貼りつく。うっとおしくそれらを掻き上げながら、もう一方の手で口を拭った。落ちる滴。濡れたままの顔と髪。
 もうー、なんでこうなんの。
 むっつりと顔を上げた時、声が聞こえた。
『はい、水木さん』
 驚いて振り向く。一瞬、タオルが見えた気がした。しかし、何もない。
 だから、なんなのよ。
 自分自身に突っ込んでしまった。冗談じゃない。いくら毎日斎がそうしていたからって。たかが一ヶ月のことが、当然になってしまっている。
「まったくもう、いい加減にしてよね」
 ブツブツ文句をたれながら、身仕度を始めた。馬鹿馬鹿しい。せっかく、厄介な奴がいないのに。いないって言ってもたかが検査、御門研究所に行ってるだけじゃない。
「だいたい、研究所も飛沫も勝手よね。斎は、アタシの『対』なのに」
 鏡の中の自分相手に、不満を吐いてみる。アタシに何の断わりもなく、勝手に決まった相棒の検査。なんだか腹立たしい。自分は、斎の「水鏡」なのに。
「あー、もうー!辛気くさいったらありゃしないっ!」
 ガシガシと頭を掻いた。キュッと唇を結び、鏡を睨む。ブラシを手に取り、親の敵みたいに髪を梳いた。手早く一つに結わえる。鏡の横に並ぶ、数々の化粧品達は無視してやった。
 斎がいない。
 ということは、当然、あの暴走に煩わされることもないのだ。これは、またとないチャンスだ。今のうち、楽しくやってやろう。
「よし、いくわよっ」
 鏡のアタシに言って、くるりと背を向けた。キッと前を向く。
「さあて。まずは腹ごしらえして、次に新入りチェックよ」
 ぴしりと本日の予定を宣言して、アタシは一歩を踏み出した。


 イライラと箸を使う。夕食はほっけの干物だった。
 もう、メンドクサイったらありゃしない。
 ガツガツと箸を突き刺す。ほっけはきらいではない。でも、小骨が多いのが頂けない。特に内臓を包んでいる辺りの身には、細かい骨がたくさん紛れていた。
 けっ。噛んじゃえば同じよ。
 ついに業を煮やし、骨ごとぱくりといった。だがしかし、無数の小骨は口内を荒らす。ちくちくと更に不快になった。ぺっぺと吐き出す。
 もーう、なんであいつのいない時に魚なのよ。
 お茶を含み、口中の不快を押し流す。まだ半分ほど残っているほっけに、げんなりした。
 あーあ。こういう時、便利だったんだけどな〜。
 それまでの食事を思いだす。魚が出た時、たいてい斎は身を外して出してくれた。
『水木さん。魚にはポイントがあって、こことここを箸で押えていけば、うまく身が取れるんです』
 遠慮がちに言いながらも、斎は器用に魚の身を取った。肉より魚が好きらしく、相棒が食べた後には、きれいな骨のみが残されていた。
 も、いいわ。残そ。
 そう思った時、隣に誰か来た。ふいと目をやる。栗色の丸い目。閃だった。
「水木、どーしたのよ。シケた顔ね〜」
「悪かったわね」
「昼間は気合入ってたのにさ。新入りチェック、行ったんだろ?」
 話してもいないのに言い当てられる。アタシの行動なんて、お見通しってこと?
「ええ、行ったわよ〜。何か悪い?」
「悪くないよ。でも、その顔じゃ、いいのいなかったみたいね」
 図星を指されて、アタシはむっつりとした。そうなのだ。せっかく行った北館には、めぼしい容姿の新入りはいなかった。あんまり悔しかったんで、二年目も三年目も、ひいては斎と同じ時期に入った連中まで物色したのだが、好みの者はいなかった。
「もう、馬鹿みたい。アタシが来たってだけで、みーんなビビっちゃってさ。なにも、手当たり次第に食うわけじゃないのに。失礼よね〜」
「ふーん。さすがは水木って感じ?」
「まあね。一人、いることはいたのよ。すぐにでもいけますってのが。でも、黒髪黒目じゃないし、オレオレうるさいし。なんていうか、謙虚さとか慎みとか足んないのよねー」
 片手をぴらぴら振りながら言った。確かに、脈のあるのはいたのだ。容姿もマシだったし。だが斎と同期だというその御影は、茶色の目に同色のピンピン跳ねた毛で、自分のアピールだけが前面に出てきていた。
 「相棒」は黒髪だったんだけどねぇ。でも、あの性格は頂けないわ。
 御影の隣にいた、水鏡を思いだす。無口で長身なそいつは、一言発するごとに相棒の動きを止めていた。ああボソボソ痛いとこ指摘されたら、やりにくくて仕方がない。やっぱり調子よく喋っている時には、黙って聞いてくれなきゃ。
 それに比べれば五年前、新入りの斎を見つけた時は、俄然ウキウキとしたものだった。
 黒髪。ぱちりとした黒目がちの大きな目。おしゃべりじゃない口。目立たぬよう、人から一歩下がって並んでいるような謙虚で控えめな態度。でもその中には、下らない「洗礼」には屈しない芯の強さが備わっていた。
 もうばっちり、「好み」だったのよね。
 しみじみと思う。斎は今も変わらない。従順だし、うるさくもない。いつもアタシの後ろを歩くし、「御影」だけど出過ぎたことは何もしない。それに。あの黒くて潤みがちな目に見つめられると、今でもムラっときてしまう。
 つまるところは、アレだけなのよね。
 結局はそこにたどりつく。問題はそうだ。一つだけ。「暴走」だけなのだ。
 アレが起こっちゃうから、マズイのよ。
 「暴走」と共に思いだしてしまった。それが起こった後の、斎の顔を。悲壮で、思い詰めてて、泣きそうなあの顔。あれがどうにも苦手だ。ひょっとしたら、「暴走」自体より苦手かもしれない。
 あーもう!だからって、どうしろっていうのよっ!!
 行き場のない感情が、急激に膨れ上がる。ムシャクシャした。ヒステリーよろしく、キーッとなってくる。
「閃」
「なに?」
「飲むわよッ!」
 いきなり叫んだ。閃が目を見開いている。もう限界。憂さ晴らししなくちゃ。
「水木。飲むって・・・」
「宴会よ!こうなりゃ耐久!いっちゃうわよーーー!」
 ガタリと椅子を蹴倒し、アタシは宣言した。