猛獣使いへの道 
by(宰相 連改め)みなひ




ACT6 

 わかってる。
 悪気など、あの人には微塵もないのだ。だけど。 
『いーじゃない。アンタもここらで、ゆっくり骨休めしてくれば?』
 おれの不在を知った途端、あからさまに変わった表情。
 心が音を立てて、軋んだ。
『よっく調べてもらうことね。その、むやみにボーソーするアンタの頭も何とかしてもらいなさいよ』
 弾む声。それはいつもの、あの人の軽口。けれど。
 言葉が胸を、貫いた。


 差し込む朝の光で、おれは目を覚ました。息を殺し、隣の気配を窺う。横たわる背中は、規則正しい呼吸を繰り返していた。
 行かなくちゃ。
 今日の予定を思いだし、そっと身体を起こした。立ち上がりふと振り返る。寝台の上には、煌めく金髪。しばし、目を奪われた。
 水木さん、きれいだ。
 金色に縁どられた寝顔に、心の底から思う。美しくて強い人。その人がおれの隣にいてくれる。自分には過ぎたことだと思った。
 やっぱり、なんとかしなくては。
 ずっと頭にあったことを、再度思い直す。向かう場所が場所だ。正直、何をされるのか不安はある。普段より長く予定された滞在日数。おそらく、今までとは違う内容を検査されるのだろう。
 それでも、行くしかない。
 自分に言い聞かせた。暴走は多発している。依然として、おれ自身には止められない。ならば、何らかの方法で止めてもらうしかない。
 御影研究所。
 彼らはおれの遺伝因子を研究していると言った。その彼らなら、なにかいい方法を知っているかもしれない。
 手早く身仕度をして、まとめていた荷物を手にとった。背中に背負い上げベルトで固定する。戸口へと向かい、再度振り向いた。
 静まり返った部屋。あの人の寝息だけが聞こえる。
『行ってきます』
 心の中で呟き、おれは部屋を出た。


 早朝のまだ冷える廊下を、ひたひたと一人歩く。出口へと向かっていた。
『ゆっくりしてくるがよい』
 水木さんだけではなく、飛沫様もおれにそう言った。
『実はおぬしが水木と組んだ直後から、御影研究所より何度も打診を受けていた。おぬしの精神身体状況を、細かく検査して分析したいとな』
 西亢の砦にいる時でさえ、おれがあそこに長く留まることはなかった。もっとも、危険過ぎて長く置けなかったかもしれないのだが。
 彼らは何を調べるのだろう。
 自らの過去を振り返る。思えば、疑問点はいくつもあった。西亢であれほど忌み嫌われたおれ。どうして、「処分」されなかったのだろうか。
 いくらおれが戦いで死なないとはいえ、全く葬り去る手がなかったとは思えない。例えば薬殺など。あらゆる毒薬物を扱っているあそこならば、無味無臭で死に至らせる薬など、容易く合成できたはずなのに。
 「実験」されていたのだろうか。
 おれを生かすことに、どういうメリットがあったのか。少なくとも、西亢でのおれにそれがあったとは思えない。その都度多くの犠牲を払いながら、生かされてきたのが不思議でならない。
「斎」
 考え込むおれに、野太い声が掛けられた。はっと顔を上げる。見慣れた顔が目の前にあった。
「よう。今から任務か?」
 にちゃりと笑みながら続ける。剛さんだった。
「あー、そんなに警戒するなよ。今日は悪さしねぇから。こちとら任務で徹夜なのよ。さっさと飯食って寝るからよ」
 ぷらぷらと右手を振る。苦笑しながら剛さんは言った。おれは内心、ほっとする。悪気はないとは思うが、前回の指ぱくりは、どうにもごめんだったから。
「・・・・閃さんは・・・」
 気づいて口に出す。目の前の御影には、「対」の水鏡が見当たらなかった。普通、「御影」と「水鏡」は共に行動する。
「ああ。あいつか?閃は出てないぜ。今回のは俺単独。といっても、シケた任務だったけどよ」
 むすりと顔を顰めながら、剛さんは言った。どんな任務を受けたのか。
「・・・あの」
「いや、なんつーかよ。やっぱ縛るのは若くねぇとな。おっさんはつまんなくてよ。おもしろくないから、ガンガン責めてさっさと片付けてきたけど、口直ししたいねぇ」
 うんうんと頷きながら、古参の御影は言った。どうやらどこかで拷問してきたらしい。「御影」としての任務のほかに、この人、拷問係も兼ねているのか。
「その、剛さん・・・」
「なんだよ。やらせてくれんのか?」
 言葉に詰まっているおれを、ずずいと剛さんが覗きこんだ。期待に満ちた目。あわてて首を振る。
「い、いいえ。おれは、これから任務ですからっ」
「ちっ、そーかよ。ま、任務じゃなきゃ、こんな時間にこんなとこいないよな」
 小さく舌打ちした後、剛さんはガハハと笑った。大きな手が、おれの髪をぐしゃぐしゃにする。首から肩へと撫でて離れた。
「でよ。お前、どこの任務だ?」
「御影研究所へ・・・行きます」
 訊かれて素直に答えた。できるだけ普通に。心の中を悟られないように。
「ああ、あそこか。だから水木がいねぇんだな。検査か何かか?」
「はい」
「そうか」
 合点がいったように剛さんは頷いた。急に、真剣な顔になる。
「気をつけろよ」
「は?」
「あそこは得体が知れねぇからな。油断してたら、頭も身体もいじられちまうぞ」
 ぼそぼそと声を潜めながら、古参の御影は告げた。おれは戸惑う。もう何度も、自分はあそこで検査を受けていたから。
「お前、信じてないだろ。本当なんだぞ。御影(ここ)に適応できなかった奴は、みんなあそこに送られんだからな」
 おれの表情を不審と取ったのか、剛さんが言葉を重ねた。そうだ。これも思いあたる。おれもあの時、あそこに送られた。
「大丈夫です」
 精一杯、微笑んで言った。微笑めたと思った。
「おれは学び舎時代から、あそこで検査を受けてきました」
 今のおれは、暴走を止められない。
「だから、もう慣れっこなんです」
 あの人に迷惑を掛けて、傷つけ続けて。ならば。
「それに・・・・・少しくらい、いじられた方が・・・いいのかもしれません」
「・・・・斎」
「失礼します」
 くるりと踵を返した。できるだけ早く、その場を逃れたかった。
「待て!」
 立ち去ろうとするおれの右腕が、ものすごい力で掴まれた。痛みと痺れに顔を顰める。
「何故だ」
 剛さんの声。
「どうして、そんな顔をする」
 おれの顔が、どうだって?
「・・・・辛いのか?」
 辛い?水木さんといるのに、何故?
「剛さん・・・・」
 おそるおそる振り向いた。真摯な目が見つめている。全て見透かされそうで、恐いと思った。
「辛いなら・・・・俺ん所、来い」
 言われた意味を考える。うまくまとまらない。この人は今、何を言った?
「違います」
 勝手に言葉が出た。
「辛くなんて、全然ないです」
 震える声。自分のものではないように、口が続きを紡いでゆく。
「水木さんと、いられるのに」
 おれは笑んだ。目の前の男に、精一杯、幸せそうな顔を見せなくてはと思った。  
「すみません!」
 思い切り腕を払う。解放された右腕に、内心ホッとした。そのまま振り向かずに、全力で駆け出す。
 
 何してるんだ。
 何してるんだよ、おれ・・・。

 自問しながら走った。けれど。
 何が答えになるのか、おれ自身にもわからなかった。