猛獣使いへの道 
by(宰相 連改め)みなひ




ACT5

「たーだいま」
 飛沫への長い抗議を終えたアタシは、自室の扉を開けて言った。
「おかえりなさい」
 中からいつもの声がする。高くも低くもない落ちついた声。斎の声だった。
「抗議、どうでした?」
 大判のバスタオルを畳みながら、斎が訊く。相棒はベッドに腰かけながら、洗濯物を畳んでいた。
「ばっちしよ。アタシに賠償責任はナシ。それに、アンタの分も半額に負けさせたわ。飛沫の奴、ざまあみろっていうのよ」
 至極ご機嫌で長椅子に座る。サイドテーブルにクッキーを見つけた。ひょいとつまんで口の中に放り込む。乗せてあるナッツの香ばしい香りが、ふっと鼻孔を掠めた。
「ん、おいしー。サクッとしてるわね」
「水木さん、バターが効いてるのお好きみたいですから・・・」
 幾分戸惑いながら、斎が手を止めた。何やら思い立った様子ですたりと立ち上がる。備えつけの簡易台所へと向かった。
「紅茶でいいですか?」
 かちり。コンロに火が熾される。どうやら湯を沸かすらしい。
「そうね。ストレートで。ブランデー、いっぱい入れてね」
 ここぞとばかりにオーダーするアタシに、てきぱきと働く後ろ姿が「わかりました」と答える。いくつかクッキーをつまむ間に、濃い飴色の液体が運ばれてきた。
「どうぞ」
 かたりと音をたてて、カップが手元に置かれる。湯気のたつその液体を、アタシはごくりと飲み込んだ。
 あたたかいものが、身体の奥に落ち込んでゆく。内部からじんわりと伝わる熱。ほっとした。
「ホント。アンタがつくるものって、どれもおいしいわね・・・・」
 吐息と共に出た言葉に、斎はなんとも言えない顔をした。俯き、畳み終えた洗濯物を手早く箪笥にしまってゆく。一通りしまい終えた後で、風呂敷包みを一つアタシの前に持ってきた。
「水木さん。あの、これ・・・・繕いました」
 差し出されたものを見て驚く。それは、アタシのお気に入りの薄衣の上衣で、斎の暴走の折、破られてしまったものだった。
「すごいわねぇ。あーんなにビリビリだったのに」
「どうしても糸が目立ってしまう所だけ、別の布を継ぎました」
「いいじゃない。かえってアクセントよ。前よりステキになったわ」
 アタシは心底感心して言った。だけど、斎はどこか痛そうに顔を歪め、くるりと踵を返してしまう。部屋の隅へと行ってしまった。

 何よ。
 何て顔、すんのよ。
 アタシ、誉めてるのに。

 むっつりと相棒を睨んだ。斎は私物を取り出し、ごそごそと何かをしている。
「何してるの?」
 背中に尋ねた。
「御影研究所から呼び出しが来ました。ですから、仕度を・・・」
「ええ?アタシ、何も聞いてないわよ」
 声を張り上げる。振り向いた斎が、おろおろと口を開いた。
「え・・・・でもあの、先程、御影長より指示が・・・・」
「御影長ですって?アタシ、さっきまで飛沫ん所にいたのよ?」
 怪訝に眉を顰めた。むかりとくる。何よ。どうして「対」のアタシに、一言もないのよ。
「どういうことよ〜」
「その、指示は遠話で頂きましたから・・・・」
「ふーん。いい連絡方法よね」
 しどろもどろになる相棒を、じとりと見つめて言った。斎がどうしたらいいかわからないような顔をする。
「研究所って、例の定期検診よね?アンタ、日帰りで大丈夫とか言ってたじゃない」
 思いっきり不審に思いながら、探りを入れてみた。目の前の顔が、更に追い詰められた表情になる。
「はい。いつもはそうなんですが・・・・今回は、いろいろと細かいテストをするらしくて・・・・・」
「テストねぇ。で?いつ帰るの?」
「三日間の予定だと聞いています」
「へえ。じゃ、泊まるんだ」 
「・・・・はい」
 項垂れながら、斎が返した。泊まり。その言葉がアタシの気分を、がらりと変えてしまう。斎がここにいない。それも、三日間。と、いうことは、何をしてもあの厄介な暴走に巻き込まれることはない。
「ふーん、三日か。タイヘンよねぇ。どんな検査、すんのかしらね」
 機嫌よく訊いた。アタシにとって検査と言えば、一年に一回御影研究所で行なう、定期検診しかない。それも、ここ数年はサボっている。
「わかりません。おれも、こんなことは初めてなので。ここに来る前でさえ、ここまで長くはかかりませんでしたから・・・・」
 戸惑いながら、斎が言う。頼りなげな表情。不安らしい。
「いーじゃない。アンタもここらで、ゆっくり骨休めしてくれば?」 
 にっこり笑って告げた。これはチャンスだ。鬼の居ぬ間に、こっちもばっちり楽しんでしまおう。 
「よっく調べてもらうことね。その、むやみにボーソーするアンタの頭も、何とかしてもらいなさいよ」
 調子づいて言うアタシに、大人しくて従順な相棒は、ひどく寂しい顔で頷いた。