猛獣使いへの道 
by(宰相 連改め)みなひ




ACT4

 ごしごしと床を拭く。がらんどうの食堂に、モップのこすれる音だけが続いていた。
『お願いです。“御影”のあなたにそんなことさせたら・・・・勘弁してください』
 必死な声と顔で、食堂のおやじさんは言った。けれど、どうしても申し訳なくて、無理言って掃除をさせてもらった。日々あちこち破壊し、皆に迷惑を掛けているおれである。できることは何でもしたい。それに、自分自身、居たたまれなくて何かしないではいられなかった。
『どーしてよ』
 ひどく疲れた声で、あの人は言った。
『アンタ、どうして暴走するのよ。前は命に関わる危険で、だったんでしょ?』 
 疲れの中に混じる苛立ち。いつも余裕綽々な水木さんが。それを出させている自分が、ただ情けなかった。
 何故だ。
 自らに問う。だけど答えは見つからない。水木さんと組んでから、振り当てられる任務の内容も危険率も変わった。なにより、あの水木さんがおれを守ってくれている。以前とは比べものにならないほど、安全な毎日をおくれているのだ。なのに。
 おれの暴走の頻度は、以前より増していた。それも、全て任務以外の時に起こっている。
 どうしてなんだ。
 拭きながら問い続けた。依然として抑えられない暴走。しかも増えている。その都度傷ついてゆく水木さん。なんとしても止めたいのに。これ以上、あの人に迷惑を掛けたくないのに。
『黙れ』
 対の解消を言い出そうとしたおれの言葉を、水木さんは遮った。
『オレを侮辱する気か』
 あの人は見抜いていたのだ。「対」を解消することで、「自分」から逃げようとするおれを。そして。
 あの人は、おれから逃げる気などないのだ。 
 どうしたらいいんだ。
 水木さんは逃げない。だけど、おれが暴走する限り、あの人はそれを受け止めざるを得ない。その、傷つき疲れた身体と心で。

 モシ。
 モシ、コノママオレガ、ズット暴走ヲ止メラレナカッタラ。
 ソノ時、オレハ・・・・・。

「そーいう顔しちゃ、来るもんも寄ってこなくなるぜ」
 ふいに声が響いた。驚き顔を上げる。すぐ近くに、閃さんがいた。
「桧垣さん・・・」
「閃だってー。堅苦しいのはなし。お前、どしたの?」
 くるりと焦げ茶の目をまわし、こちらを覗きこんでくる。思わず、顎を退いた。
「なんでも、ありません」
「そんなことないでしょ〜?夜の食堂に一人っきり。おまけに、話しかけても全然気づかない。いかにも、思い詰めてますって感じよ。違う?」
「・・・・すみません」
 言い当てられて項垂れる。いくら考え事していたとはいえ、本当に不覚だ。こんなに近くに来るまで気配も気づかず、声も聞こえなかったなんて。
「何悩んでるのー?って訊いても、言わないだろうから訊かないけどさー。ま、いいか。ねえ、一人酒もなんだからつきあってくんない?」
 そばの食卓に酒をごとりと置き、閃さんは訊いた。小首を傾げて、おれを伺っている。
「え・・・でも、おれは・・・」
「大丈夫だよ。これ、果実酒だから甘いし。アルコールもきつくないから。グラス、取ってくんねー」
 にっかりと人のいい笑みを投げ、閃さんは調理場の奥に消えた。すぐに、グラスを二つ持ってくる。
「その、閃さん」
「ほら、ここ座って」
 返事を出せないおれを、閃さんは椅子に促す。ついに諦め、椅子についた。ぴきり。酒の封が切られる。甘い香り。透明なガラスに、緋色の液体が満たされた。
「飲んでよ」
 手渡されたものを、おそるおそる口に含む。途端に、爽やかな甘酸っぱさが舌を包んだ。
「どう?」
 水木さんよりやや濃い色調の、大きな瞳が伺っている。「うまいです」と返すと、きれいに一本の線となった。
「よかったー。実はこれ、とっときの酒なんだ」
 子供が誉められた時の顔で、閃さんは返した。
「おれの故郷がさ、殆ど莫の国近くなんだけど、葡萄の産地でねー。産地っていうかもう、これしか取れないんだ」
「そうなんですか・・・・」
 頷きながら思いだす。目の前の人の髪と目の色が、西域に多いことを。
「でもさ、ここ十年位ずーっと不作でね。酒造りもすたれちゃったのよ」
 その言葉で気づいた。閃さんが注いでくれているこの酒は、おれなどが飲んでいいものではないと。
「あのおれ、これ・・・・」
「いいの。飲んで欲しいんだ」
 戻そうとしたグラスを、閃さんはやんわりと押し戻した。更に酒を注いでくる。促され、戸惑いながらも飲み干した。じんわりと、喉と胸が熱くなってくる。
「なあ斎」
「はい」
「お前さ、水木好き?」
 いきなり真っ向から訊かれた。しかし、普通なら動揺する問いを、酔い始めた頭はやんわりと受け止める。
「はい。好きというか・・・・ずっと憧れていました。今も一緒にいられるのが、嘘みたいで・・・・」
「ふーん。『対』組んでても、不安?」
「ええ。だっておれと水木さんとじゃ、全然つりあわないし」
 常に心にある気持ちを言う。酒のせいか、軽く言えた。
「つりあわない、ねぇ・・・・・」
 くるくるとグラス内の液体を回しながら、閃さんが呟いた。ついで、何故だか遠い目になる。
「傍目には、けっこういい勝負に思えるんだけどな。まあ、おれも同じと言っちゃあ同じか」
 大きく息を吐き、目の前の人が苦笑した。
「あの・・・」
「昔ねー、この酒一本分の値段で、売られてった子がいたんだ」
 赤い液体を見つめたまま、褐色の瞳が告げた。おれは目を見張る。
「思いっきり気が強かったんだけどね、結構かわいい子だったんだ。でも、おれには何もできなかった。その子んちどころかおれんちも、食うのに精一杯だったから・・・・」
 ゆらゆらと揺れる液面。目の前の男が続ける。少し、辛そうな顔。
「それでもね、なんとか生き抜いて学び舎卒業したのよ。で、晴れて御影の宣旨受けたのはいいけど、組まされた相手に初見で縛りあげられちゃってさ〜。まいったよ」
 童顔とも言える顔が、くしゃりと歪む。先が気になり、おれは尋ねた。
「それで・・・・どうしたんですか?」
「とにかく、代わり紹介するからってからくも逃げだして、その手のお店を必死で捜し回ったの。縛られちゃうの仕事な人をよ。だけど見つからなくて、色町で途方に暮れてたらいるのよ、昔、売られていった幼馴染が」
 大きな目をこちらに向け、閃さんが言った。
「びっくりしたぜぇ。でも、そん時は彼女のつてで、なんとか代わり紹介してもらったんだ。で、礼言おうと会いに行ったらさ、あいつ、錦翔楼の天神さんなんかになってんだぜ?新入りの水鏡の任務報酬なんて、一回会うだけで半分パーさ」
「・・・はあ・・・」
 恥ずかしながら、おれは楼に行ったことはない。それでも何となくわかった。錦翔楼の「天神」が、どれほどのものであるかを。
「あいつはもう来なくていいって言ったけど、借りもあるし、おれは会いに通った。きれいなべべ着てるのもいいけど、葡萄の汁で手足真っ赤になってた時の方が、あいつらしく笑っていた。だから、いつか故郷に返してやりたいと思った。けど、天神さんなんて立派な女の身請け料、稼ぐの生半可じゃなかった。でも・・・・」
 かちん。コップを寄せて鳴らし、閃さんは酒を飲み干した。にっこりと笑う。
「今日さ、払ってきたんだ。七年越しだぜ?我ながらよくやったよー。半月後、後がまの引き継ぎ終わらせたら、やっと迎えに行けるんだ」
 心底嬉しそうに、閃さんが告げる。
「よかったですね」
「うん。おれってえらいって思ってるのー。でも、一番えらいのはあいつなんだ。あいつこの七年、一度だって弱音吐かなかった。幼馴染のおれにもよ?それどころか毎回、あれが欲しいこれが欲しいってわがままいっぱいだし、ついには説得しやがんの。あたしはお高いんだから、諦めた方が利口だって。そんなの、意地でもって気になるだろ?なのに今日、やっと身請け代払った時に言うんだぜ?あーあ、人生棒に振ったって。だから、遊郭で大げんかやってきたの」
「・・・・はあ・・・」
 何と言っていいのかわからない。でも、閃さんが変わらず嬉しそうだったから、そのまま聞き続けた。
「でもさ、これであいつはおれのもんだ。ざまあみろだよな。その酒もさ、二回目に会った時にあいつにもらったんだ。あんた自分で買えそうにないから、あたしのおごりだよって。あったまくるよなー。だから、ずっと飲んでやらなかったんだ」
 封を切られることなく、七年を経た酒。その中に、閃さんとその相手が積み重ねたものがある。確かな礎として。羨ましいと思った。
「お前さ、わがまま言ったことあるか?」
 ごくりとグラスを空けた後、ぽつりと閃さんが訊いた。おれは言われた意味がわからず、ただ目を見張る。
「水木でなくてもいいんだ。誰かに、自分の言うこと聞かせたこと、あるか?」
 苦笑を交えながら、前の問いが言い換えられた。おれは頭の中で何度も反芻し、考えてみる。
 わがまま。
 確かに、自分はそれを言った経験は少ないかもしれない。生まれが生まれだし、育ちも育ちだったから、自分の我を通すほど意志も強くはなかった。まわりに迷惑をかけず、その時一番皆がいいだろうと思われる選択をする。自然と、そうしてきていた。御影補欠宣旨という形であっても、辞退せずここに来たのもそうだ。
「いつも人の言うことばっかり聞いてないでさー、たまにはガーンと言いたいこと言わなきゃ。人間、抜きどころがないと潰れちゃうよ」
 ね?と覗きこまれて考える。おれの言いたいこと。おれが望んでいること。それは一つしかない。しかも、もう叶っているのだ。
「ないです」
 微笑みを浮かべながら、返した。閃さんが眉を顰める。だけど、これで十分なのだ。どうしてそれ以上を望めようか。
「ご心配かけてすみません。でも、本当にこれ以上、ないんです。言いたいことも。わがままも。だから・・・・ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げる。酒の礼を言い、グラスを流しに運んだ。洗って片付ける。
「斎・・・・」
「部屋に帰ります。あまり遅いと、水木さんに怒られちゃうから・・・」 
 告げて、踵を返す。前に進んだ。
 食堂を出るまで、背中に閃さんの視線を感じていた。