猛獣使いへの道 
by (宰相 連改め)みなひ




ACT2

 我に返った時いつも、泣きそうになる。
 自制できなかった自分が、あまりに情けなくて。
 あの人を傷つけてしまったことが、どうしようもなく、申し訳なくて。

 また、やってしまった。
 屋根にトタンを打ちつけながら、おれは大きなため息をついた。ぼこりと開いてしまった大穴。じわりと目の回りが熱くなる。涙が零れそうになって、慌てて上を向いた。
 何で泣くんだ。
 泣きたいのはおれじゃなく、水木さんの方なのに。
 必死でこらえながら、また釘打ちに戻る。昨夜おれは、何度目かで暴走してしまっていた。
 どうしてなんだ。
 黙々とくぎを打ちながら、奥歯を噛み締める。
 どうして、抑えられないんだ。
「つ!」
 後ろの釘箱に左手を伸ばし、指先に痛みを感じた。手を前に持ってくる。人差し指の先端に、赤いものが滲み出ていた。
 血。
 目に映るものが、悍ましい記憶を呼び覚ます。あれが出たあとのおれはいつも、これに塗れていた。
 何故おれは、あの眼に勝てない。
 荒れ狂う自分の、金色の目を思いだす。最初に知った時はショックだった。「おれ」の人格と意志を押しのけ、やりたい放題にやるもう一人の自分。どうしても受け入れられなかった。
「やれやれ、またえらい目にあっちゃったわよ。ま、ヤッちゃったもんは仕方ないわね」
 我に返ったおれに、水木さんはそう言った。冗談ぽく、大したことではないみたいに。だけど。
 あの人の身体に刻まれた痣や印は、おれの所業を隠すことなく表していた。
「自分で元に戻れるようになったんだから、進歩はあんじゃない?でも、痛いもんは痛いわね」
 まるで他人事のように、水木さんは言う。しかし、そんな場合じゃない。おれが暴走するたび、あの人が傷ついているのだ。元に戻れるなんて段階じゃなく、暴走そのものを失くさないといけない。
「ともかく。この借りは必ず返してもらうわよ。叫び過ぎでのど乾いちゃった。ほら、水持ってらっしゃい」
 おれが悲壮な顔をすればするほど、あの人はうまく捲くしたてて誤魔化してしまう。償えることなら、なんでもしようと思っている。でも、全然足りてない。水木さんはおれの作った食事や菓子をおいしいと言ってくれるけど、そんなもので取り去ることはできない。おれがあの人に与えてしまった、苦しみや痛みは。
「なにシケた顔してんのよ。さっさと行きなさいっ」
 水木さんはおれを罰さない。仕返しもしない。最初にあの人を傷つけてしまった時も、何回目かの今も。たしかに文句や嫌味は言う。けど、それだけだ。
『アンタはアタシのオトコよ』
 大切な言葉を思いだす。それを言ってもらった時、すごく嬉しかった。諦めていた光が、おれに自分から差し込んできてくれたのだ。夢だと思った。
 オマエハ何ヲシテイル。
 頭の中の自分が言った。
 オマエハ、セッカク差シ込ンデクレタ光ヲ、痛メツケテイルダケダ。
 慌てて頭を振った。その声が主張することは事実だ。でも、認めたくない。
 認めてしまったら、おれはあの人の傍に、いられなくなる。
「おい、ボーッとしてたら落ちるぞ」
 思い詰めるおれに、地面から野太い声が掛けられた。誰かと覗きこむ。榊剛さんだった。
「榊さん・・・」
「剛でいい。よせよせ、そんな潤んだ目で見られたら縛りたくなるだろ。ほら、ここ置くぜ」
 ガタガタと音をたてながら、剛さんは何かを壁に立てかけた。あれ、トタンだ。
「よっこらしょっと。あーあ、また派手にやったよなぁ」
 ひょいと屋根の上に飛び上がり、剛さんはおれの塞いでいる穴を見下ろした。
「まあ、いいじゃねぇか。風通し良くてよ」
 にやりと笑って、言う。思わず項垂れてしまった。申し訳なくて。
「・・・・すみません」
「はあ?」
「お部屋、寒くなってしまって・・・」
 おれたちの住んでいる御影宿舎の南館は、所どころに穴の開いた状態になっている。みんなおれの暴走時に破壊されたものだ。その都度応急処置はしているけど、雨もりはするしすき間風は差し込む。もともとは指揮官クラスが部屋をもつ館なのに、今は飛沫様と水木さんと剛さんと閃さんとおれしかいない。
「気にすんな」
 ポンとおれの頭を叩き、剛さんは言った。
「いいんだよ。宿舎の一つや二つ。どうせ、お国のもんなんだしよ。俺としちゃあ、穴の一個二個開いてる方が、いろいろ聞こえやすくて・・・・って、なんでもねぇ」
 カラカラと笑いながら、剛さんが返した。もっとも、最後のほうはもごもご言ってたから、何を言ってるのかわからなかったけど。
「・・・・剛さん」
「あれ?斎、そこどうしたんだよ」 
 どう言ったらいいのか迷うおれに、剛さんが指差して訊いた。服に血がついている。さっき傷つけた指が、服に触れたのだろうか。
「あ・・・・これは、なんでもないんです」
「だけどよ。それ、血だろ?どっかケガしたのか?」
 汚れを隠そうとするおれを覗きこみ、再度訊いてくる。諦め、話すことにした。ケガした左手を差し出す。
「本当に大したことじゃないんです。釘箱に手を入れた時、刺したみたいで・・・・」 
「なんだって?」
 ぐいとおれの左手を引き寄せ、剛さんが見つめる。すぐに人差し指の傷を見つけた。
「あの、かすり傷で・・・」
「あーあ、穴開いちまってるよ」 
 ぼそりと呟かれた後、ぱくり、人差し指が飲み込まれた。
「うわっ、ご、剛さん」
 ど肝を抜かれ、慌てて指を退こうとした。しかし、剛さんの手はがっちりとおれの手首を捕らえ、びくともしない。湿った生暖かい口腔内の感覚。背中を怖気が駆け上がった。
「お願いですっ。剛さん、離してください」
「ぼががー(そうかー)?でぼ(でも)、ぼうどぐじでぇど(消毒しねぇと)」
 必死で訴えるおれに、指を咥えたまま剛さんが返す。パニックになりかけたその瞬間。目の前の男が、ぱしんと頭を叩かれた。
「はいはい。おっしまいー」
 にっかりと明るい笑み。くるりとまわる鳶色の目。桧垣閃さんだった。
「ぼんだお(なんだよ)」
「剛ちゃん、味見はだめよ。そいつは水木の。それ以上やったら、後で知らないよ」
 指を離さない己の「御影」に、「水鏡」の男は明るく言った。しばらくして、「ちぇ」と言いながら剛さんがおれの指を吐き出す。おれは泣きそうになりながら、出された指を服で拭った。よかった、助かった。
「んでよう。何か用かよ」
 憮然としながら、男が訊く。
「うん。おれね、こいつに用なの。剛ちゃんごめんねー」
 にっこりと相棒が返した。すごい。こんな不機嫌そうな剛さんを、軽くあしらってる。さすが「対」というべきか。
「斎、飛沫が呼んでるぜ」
 こちらに向き直って閃さんが言った。焦げ茶色の丸い目が、おれに向けられる。
「何のご用でしょうか」
「さあね。いろいろ訊きたいことあんじゃない?行けばわかるでしょ」
 不安なおれに、閃さんはあっさりと答えた。この人、いい人そうなんだけど掴み所がない。
「さ、行こうか」
 微笑みに促される。
「・・はい」
 おれは工具を手に取り、立ち上がった。