アタシは猛獣と暮らしている。
 おとなしく従順で、やたらと狂暴なケダモノと。




猛獣使いへの道  
by(宰相 連改め)みなひ




ACT1

「わーーーーっ!」
 御影宿舎南館の通路を、アタシは必死で駆けた。せっかくの最新モードと、化粧がぐちゃぐちゃになる。でも、そんなこと気にしちゃいられない。
「もうっ、アタシが悪かったってば!ストーップ!」
 逃げながら必死で叫んだ。けれど。後方から来る相棒は、わずか十メートル先へと迫ってきている。
「止まりなさいったら!このバカーッ!」
 無駄だとは思ったけど、足留め代わりに小刀を数本投げた。しかし、もう遅い。
 キンッ、キンッ、キンッ。
 投げられた小刀は素手で、それも左手一本で掃われた。残った右手が、砕破印を組む。
 ドカーーンッ!
 夏の花火みたいな爆音が響き、アタシの身体は吹き飛ばされた。もちろん爆発の直撃は避けている。でも、吹き飛んだことに変わりはない。したたか、床に背中を打ちつけた。
「・・・ちっくしょ」 
 ごほごほと咳き込みながら、そろそろと四つんばいで起き上がった。ゆらり。前方に影が掛かる。こわごわ、顔を上げた。
「うっ」
 思わずひきつった。背中を汗がつたう。目の前には逆行で影になった相棒。目だけが、金色に光っている。
「うわっ、斎、タンマーーーー!」
 焦りまくって声を張り上げた。が、叫びは虚しくタンマは効かない。斎は暴れるアタシをひょいと肩に抱え、自分の部屋へと向かった。
 ばたん。
 戸の閉まる音と共に、床へと降ろされ伸し掛かられる。這って逃げようとしたら、ぐっと腰を引き戻された。次の瞬間、がぶりと右の首筋に牙。
 どーしていつも首噛むのよっ。ネコのアレじゃないわよーーーー!
 バタバタともがくアタシの叫びは、金色の嵐に飲み込まれてしまった。 


「まーーーったくもう、たまんないわ」
 アタシは寝台に横たわり、かんしゃく宜しく吐き捨てた。ずきりとあちこちが痛む。ぐっと奥歯を噛み締め、なんとかやり過ごした。治まった痛みに力を抜き、ため息混じりに自分の身体を見回す。二の腕と肩には青痣。肘と膝にはすり傷。そして、寝間着に包まれ見えないけど、じんじんと疼いて抗議しているあの部分。すべては昨夜斎が暴走した折の、ありがたくない産物だった。
「いくら暴走するって知ってても、いつやるかわかんなきゃ、意味ナシよね〜」
 ぶつぶつとぼやきながら、寝台横の小さな台に手を伸ばした。台の上には少し小振りな白と草色の大福が置かれている。もちろんお茶も一緒だ。アタシは大福を一つ取り、ぱくりとかぶりついた。
「んー、おいしっ」
 思わず言った。適度で上品な甘さ。それらは斎が手作りしたものだった。寝ながらでも食べやすいようにと、少し小さめに作ってある。
 斎は御影宿舎の皆さんに迷惑を掛けたからと、大量に大福を作って重箱に詰めていた。アタシは他の奴にはいらないと言ったけど、斎はまた宿舎を壊してしまったからと、悲壮な顔で作り続けていた。
 欲を言えば大福はこしあんよね。後で言ってやろっと。
 つぶあん大福をごくりと飲み込み、茶を啜りながら思った。すぐに「すみません」という声が聞こえる。必死に謝る姿も浮かんだ。もう何回見ているかわからない、相棒の情けない姿。
「普段米つきバッタだから、余計タチが悪いのよね」 
 誰に言うでもなく、ぼそりとアタシは零した。実はあれに弱い。しゅんとしょげた様子。潤んで泣き出しそうな漆黒の瞳。暴走した後、斎は献身的にアタシの看護をした。ヤルことヤッちゃったんだから、当然だと言えばそうだけど、斎が作る食事はどれもおいしかったし、手当てや整える環境は実に快適なものだった。
「そろそろ、なんとかしないとねー。これじゃ、身体が持たないわ」
 二つめの大福をかぶりながら呟く。それは事実だ。「対」を組んで一ヶ月。最初の一週間は平和に過ぎた。が、この三週間程、斎は四日に一度の割合で暴走している。
 ほんとにもー、厄介だよ。
 顔を顰めるアタシの耳に、戸を叩く音が響いた。誰か、来ているらしい。
「だあれ〜?」
「おれだよ。入っていいか?」
 声は閃だった。「いいわよ」と返事する。がちゃり。扉が開いた。
「水木、生きてるか〜?」  
 明るくとんでもないことを言いながら、同僚は部屋に入ってきた。寝台上のアタシを見つけ、ニコニコとこちらにやってくる。こげ茶色の目がくるりと動いた。
「お、生きてる生きてる。よかったねー」
「うるさいわよ。何か用?」
 ムッとしながら訊いた。同僚の男はへらりと笑った。
「いやさ、昨晩斎が派手にぶっ壊してくれたから、理由聞いてこいって飛沫がうるさいのよ」
 命令だけで動いているだけとはとても考えられない、興味深げな顔で言われた。アタシはぶすくれる。何よ、人ごとだと思って。
「ふーん。でもおあいにく。なーんにもしてないわよ」
「えー?そりゃ嘘でしょ。何もないのに、あいつが暴れるわけないじゃん」
「それでも、やっちゃいないのよッ!」
 寝台をばふんと叩き、アタシは主張した。そうだ。今回は任務先でかわいいコにちょっかいかけてないし、剛と新入りチェックにも行ってない。あいつの貯金担保に、賭けだってやってないのだ。
「本当?」
「ホントよっ!」
「おっかしいなぁ。最初は大人しかったのに、急に増えただろ?任務も西亢みたいなのじゃないしさー。何より水木がいる。後は、水木自身に問題があると思ったんだけどねぇ。なあ、心当たりないの?」
「ないって言ってるでしょ!前もその前もそのまた前もっ!アタシが知りたいくらいよっ!」
 ヒステリー寸前のアタシに、同僚の水鏡は困ったような顔で腕を組んだ。小首を傾げている。
「ないかー。じゃ、なんでかねぇ。ま、あいつに訊くしかないか」
「訊けばいいんじゃない?きっとまだ、屋根直してるわよ」
 むっつり返して、三個目の大福に手を伸ばした。むんずと掴んで、がぶりとかじってみる。完全に八つ当たりだ。
 度重なる斎の暴走で、御影宿舎の南館は見るも無残な姿になっていた。通路にはあちこち穴が開き、隙間風がピューピューと吹き込む。屋根も例外ではなく、雨が降ればあちこちで雨もりだ。飛沫は中央に修繕の申請はしているらしいし、破壊の度に斎が応急処置をしているのだが、環境の改善には程遠い。
「飛沫がさ、嘆いてんだよね。南館が使えなくなったから、部屋が足りないってさ」
「そんなの知らないわよー。出てった奴が悪いんじゃない。斎の攻撃防げるような、結界張ってりゃいいのに」
 南館にいた他の奴らは、さっさと部屋を放棄していった。今はアタシと斎に、閃と剛と飛沫しか住んでいない。
「ともかくさ、なんとか減らしてくれよ。普段はともあれ、あいつ、『西亢の砕』なんだから。このままじゃお前も御影宿舎も、もたないよ?」
 きろりと茶色の目を向けて、閃がアタシに告げる。
「わかってるわよっ」
 むくれながら返した。大きなお世話よ。それは、アタシが一番(身にしみて)わかっている。
「じゃあなー」
 バタンと閉められた扉を眺めながら、アタシは深いため息をついた。真実、途方にくれかけている。
 今まで、面倒なことにはなるべく関わらないようにしていた。極力美味しいところだけを、ちょっとつまむ程度で。なんせ窮屈なことはキライだったし、やりたいことをやらなきゃ気がすまないタチだったから。
 斎と組むことを決心したのは、他でもない自分だ。暴走も知った上で、それでも「しかたがない」と思ってしまったから。
「厄介よねぇ〜」
 ごくりと大福を飲み込み、ごそごそと寝具の中に潜り込む。目を閉じた。寝具には斎のにおい。もう馴染んでしまった、アタシのオトコのにおい。
 厄介なのは、自分が斎をキライになったわけではなく、斎自身も見捨てられる程くだらない奴になったわけでもないということ。だけど。
 今のままでは、先がない。
「どーすんのよ〜」
 斎のにおいに囲まれながら、アタシはじれったく漏らした。